見出し画像

大人になれない僕たちは 第3話 檸檬とエイド

「あぁなると終わりだな」

 会議が終わると、声が聞こえた。陰口には慣れている。反応しない、というよりも、あぁそうか、と聞いて納得する自分がいる。
 昔からそうだ。簡単な方と面倒な方、私は決まって面倒な方を選ぶ。納得できるのか、そこにこだわるばかりに、私は上手く立ち回ることができないでいた。

 藤沢部長は、会議で発言した私の気持ちを理解している。その上で、意見を却下した。

 週に一度の会議は、簡単な申し送り程度で、それ自体に意味をなさない。伝えられることは、ほぼ決定事項だ。それは私も分かっていた。

「次回クールの企画を練り直す」

 新しく始まったドラマ枠は、視聴率が期待よりも伸びず、現場はお通夜状態が続いている。次回こそはと強気で攻めた企画は、半分程固まったところで、藤沢部長の一声でボツとなった。主演が設定に駄々をこねたのか、そんなことはよくある話だったが、今回ばかりは譲れなかった。

 三十路を迎えたOLが、結婚を夢見て奮闘するドタバタ恋愛コメディ。どこかで見たことのあるような設定が並べられる。高視聴率を狙うのではなく、原作ものをアレンジして無難な路線でいく。それなりの数字がとれればいいという、上層部の意向がはっきりと感じ取れた。

「変化を恐れたら、これからのドラマは終わってしまいますよ!」

 そう述べた私に、周りは空気を読めとばかりに、冷めた視線を向けた。

「垣原、君はどう思うかね」

 意見を求められた隆二は、私を見て、すぐに視線をそらした。口ごもった後、結局、私を庇おうとはしなかった。会議は、隆二の発言で流れが決まった。冒険をしない保守的な企画に、私を除く全員が賛成した。

 納得いかない。私は一人、屋上で泣いた。記憶に残るドラマを創りたい。そう思ってこの業界を選んだ。その夢は、簡単なものじゃないことは、入社してすぐに理解した。スポンサーや事務所、会社の意向、数えたらキリがないほど多くのしがらみがあった。

「くそっ!」

 感情的に述べてしまった意見は、藤沢部長には届かない。冷静に交わされた時点で、私の負けは決まっていた。私は、何も言い返せなかった。
 何歳になっても大人になれない。最近、そう思うことが増えた。責任を持つ役割が増え、新人の指導をする度に、昔はこうだったのかと呆れることも多くなった。
 ブスくれた新入りを見ると腹が立つ一方で、隆二と一緒に、先輩に怒られていたことを思い出す。自分だったらこうするのに、そんな思いを何度もぶつけ合った日々。その情熱に似た想いは、いつしかしぼみ、今の私は大人になるつもりはないという小さなプライドだけが残っているような気がしていた。

 一つ先に出世したのは、隆二だ。私は、それをどこかそんなものだろうと受け止めていた。いつしか私達は、形式的な会話しか交わさなくなっていた。納得しないと前に進めない私が、戦うことを諦め、こうやって流される、それも悪くないと言い聞かせるようになった。
 
 週末は決まって、レモネードに手を伸ばす。自分への戒めに近いかもしれない。

「もう少し、融通がきくようになれよ」

 この言葉は、私の心に重たく刺さったまま、抜けない。あの日、一度だけ、隆二は私の家に来た。まだ、隆二が今の奥さんと出会う前のことだ。いつものように企画を出し合って、笑い合い、深夜まで語り合った。レモネードが、檸檬とエイドだと知った私は、その由来を念入りに調べるまで納得しようとはしなかった。隣で笑う隆二は、あの時、本当はどんな顔をしていたのだろうか。

 ストローを回すと、レモネードの泡が、ポツリポツリと消えていく。このままでいい、きっとこれからもこのままで。満足しているのか、満足しようとしているのか、私は、時々分からなくなる。
 口にしたレモネードは、今日も少しだけ甘酸っぱい。明日も笑おう。深いため息の後、そう、自分に言い聞かせた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?