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『愛着障害』の克服法を自分なりに実践してみたら・・・

私が「本当の自分とは」という問題に直面したのは、かれこれ10年前になる。



そして、私が岡田尊司著の『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』を読んだのは、今から5年ほど前。

自分探しのきっかけをくださった先生が、「面白い本があるよ」と紹介して下さった。


読み終えて、先生にその感想を伝えるがごとく、私は自分のノートにこんなことを書き残している。

私は愛着障害かもしれません。「かもしれない」というのは、自分の心の中では断言できないからそう言います。

自分の中には、よくわからないものが複雑に絡み合い、時にひどく苦しく悩んだり、考えすぎたりすることが多々あります。もし、そういった苦しい思いを、名前がつくものに当てはめられるなら、そう割り切ってしまえる点で楽だと思います。

でも一方で、そんなのは自分の甘えだと思います。人間はみな、多くのことを考え、みな大変な中を生きているからです。自分だけその辛さから逃げ出すようなことは許されないし、自分が特別だと思うことはできないのです。

人間は一人ずつみな異なります。その人間を型(タイプ)に分類することに、私は抵抗を感じます。『愛着障害』の本の中でも、型によって人間が分けられており、読み始めた時はあまり期待していませんでした。

けれど、読み進めていくと、思い当たることがたくさん書かれ、途中まで読むと、涙が止まらなくなりました。そこにはある種の安心と、未だ解明できない自分について、少しばかりの手がかりを得たことの嬉しさがあったように感じます。


『愛着障害』とは・・・

ここでは、さらっと簡潔に書く。

乳・幼児期に養育者との愛着が何らかの理由で形成されず、情緒や対人関係に問題が生じる状況。「子どもの愛着障害」と「大人の愛着障害」があったり、医学・心理学の両面で様々な考え方が存在したりする。

そもそも「愛着(アタッチメント)」の理論を確立したのは、イギリスの児童精神分析学者の ボウルビィ John Bowlby(1907-1990)である。



私の中での問題は、自分が愛着障害であるか否かというところではなかった。

これを読んだ当時、「子ども時代を引きずるわたし」が確実にいたということだ。

( ※ 私の心の中で起こっていたことの一部。)

・ 他人のことを信じることを大切にする意味がわからない。

・ 子どもの頃を思い出すと、良い思い出が浮かばない。

・ 他人と自分を比較して自己を嫌悪する。

・ 自分の感情を認められない。

・ 頑張っても頑張っても、足りないと思う。

・ 自分だけ幸せになってはいけないと思う。

・ 自分はいてもいなくても変わらない存在だと思う。


結果を先に述べる。この本に書かれた克服法を参考にして、自分の思考は180度変わった。



では、一体何をしたのか・・・


① 自分の過去を調べる


保育園や学童保育時代の連絡帳を細部まで読んだ。親から見た自分の姿、先生方から見た自分の姿、そこから見える自分のふるまい、他人の感情、そして当時の自分の感情を想像した。

② 過去の自分の感情に向き合う


隠してしまっていた感情や欲を掘り起こす。何かに躊躇して出してはいけないと思っていたものを、自分の中に存在させてあげるための作業。

③ 向き合うことで現れた感情を言葉にする


⑴ まずは、書き出す。

自分の中に感じるものの正体が見えやすくなる。


⑵ 誰かに聞いてもらう。

安全基地となる人を自分の中に作る必要がある。その人に聴いてもらうことで、安心と慰めにつながった。


④ 自分がしてほしかったことを、目の前の子どもにしてあげる


ちょっと自己中な感じもするが、学童保育で出会った子ども、保育園で出会った子どもたちの心に寄り添うこと。

私の思いは「さみしさを感じさせたくない」に始まり、「楽しい時間にしたい」につながっている。子どもと同じ楽しみに触れることで、自分の過去を捉え直すことができた。

出会った子どもたちのパワーは計り知れない。




とにかく、こういったことを繰り返した。

最初は「さみしい」という気持ちを自分で見つけられても、なかなか向き合えず、書くとなれば涙となって書けなかった。「さみしかった」という言葉を声にするのには、書くことができてから2年。

だけど、繰り返していくうちに、どんどん自分の中が軽くなるのを感じた。

そして、今では何事をも前向きに捉える自分が誕生した。

私は自分が誕生してから、まだ数年しか経っていない、そんな気分でいる。





これから少しずつ、子ども時代からのエピソードを交えながら、いろいろ考察していきたいと思っています。

最後まで読んで下さり、ありがとうございました😊



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