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【親子関係】対等に話せるからこそ、相手の言葉をしっかり心で受け止められる。

一人暮らしを始めてから、約1か月半が経った今。
初めての帰省を経験した。


私は正直あまり「帰省がしたい」という気持ちになれていなかった。
けれども、初任給で何かをご馳走してあげねばという使命感もあって、無理矢理口実をつくって帰ることにしたというのが初期設定であった。


何だかんだいろいろ文句言われたりするのかなあとか、面倒だなとか。
特に、親との関係を問題視していた私の目には、帰省は結構面倒なイベントとして映っていた。だから今回は3泊ぐらいで収めておいた。


対等な関係

初日のことである。最寄り駅に到着すると、母が車で迎えにきてくれていた。いつもより柔らかい表情で、なんとも嬉しそうな笑顔を浮かべて待っていたのが、印象的だった。

会社に対する不安、部署の同期が最高だったこと、一人暮らしをしてから共感できるようになった家事の悩み、お部屋に飾ってあるお花の話。

母は、私が次々挙げる話題をすべて楽しそうに聞いていた。
特に驚いたのは、いつもちょいちょい挟んでくる注意がパタリと止んだことである。私がわりとまともに自活をしていることを話してからは、見下してくるようなお説教が出てこなくなったのだ。


もちろん「こう考えたらいいじゃない」というアドバイスもあったけれど、注意とか説教としてではなく、母の気持ちがストレートなメッセージとして自分の心へ届くようになった。

「何もできない世間知らずの娘をなんとかしなくては」という支配のための忠告ではない。
「こうあったら、もしかすると娘が楽になれるのではないか」という、思いやりが詰まったメッセージとして受け止められるようになったのだ。


これは恐らく、「上下関係」→「対等な関係」へと近づいたという変化の現れなのだと思う。


というのも、互いの生活が切り離されたことによって、ある意味ひとりの他人として相手の意思を尊重するというスタンスが、お互いに身についたということではなかろうか?と気づいたからだ。


だからこそ、今まで黙っていた「就職先を選んだ基準」に関しても話すことができた。結構チャレンジングで無理のあるエンジニアという選択肢をとってでも、親の満足を得られるような会社に入ったこと。そこで、やっと自分のやりたいことができると感じたこと。また、それは決して親のせいにしたいということではなく、自分自身で心からそう望んだということも。

包み隠さず話せたことが、自分としても意外だった。
母も怒ったり悲しんだりすることなく、「そうだったのか」と驚いた反応を示していた。


これまで一方通行だった親との会話が、やっと対話になったんだなあ。


そんな喜びをかみしめることができた、幸せな帰省となったのであった。


そして最後に。少し早いけれど。

お母さん、いつもありがとう。










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