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【要約】人間・この劇的なるもの 読書記録48

人間・この劇的なるもの

福田恒存


自覚されぬ不満こそ、ここでは問題なのである。
本人の自覚のうちにとりいれられた不満や不幸が、その人の致命傷になったためしはない。
そういう不満や不幸は、味わい楽しむことさえできる。
むしろ、今日では、すべての不幸や不満が私たちの自覚のうちに組み入れられ、もっぱらその解決策にかかずらっている私たちの背後に、別のどうしようもない不満や不幸が忍びよっているのではないだろうか。

自覚できる不幸や不満は、味わい、楽しむことができる。

自覚できない不幸や不満こそがその人にとって致命傷となりうる可能性を秘めている。

そしてその不満や不幸には本人は気づいていないのである。


私たちが真に求めているものは自由ではない。
私たちが欲するのは、事が起こるべくして起こっているということだ。
他人に必要なのは、そして舞台の上で快感を与えるのは、個性ではなくて役割であり、自由ではなくて必然性であるのだから。

人々は自由が欲しいと声をあげるが、真に欲しいものはなんなのか。

なんでもできる、なにをしてもよい。

これが欲しいわけではない。

必然性のうちに生きているという実感こそが人々にとっての生きがいになる。


人々はなぜそうまで必然性を身につけたがるか。
それは自己確認のためである。
私たちは自己がそこに在る実感が欲しいのだ。
その自己の実在感は自分が居るべきところに居るときにはじめて得られる。

自己表現と自分の内部が一致している時に、人は自己がそこにいる実感を得られるとも言える。

自己がそこに在らぬ人。

居るべきところに居る、内部と表現の一致、自己確認のために必要な観点。


理想主義者は理想と現実との一致を信じ、それへの努力に生きがいを感じている。
現実主義者は両者が一致しないことを知って、生活から理想を追放して顧みない裏返しの理想主義者にすぎない。
現実家は同時に理想家である。
かれは現実と理想が永遠に一致しないことを知っている。

理想主義者は理想と現実の乖離に対して、この乖離を埋めていく過程そのものに生きがいを感じている。

決してその理想を手にすることにではなく。







○読書記録


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