人生運が9割ってマジ?
僕は、自分のことを運がいい人間であると自覚している。
叶えたい目標を叶えて生きてこれたこと、最高の仲間に出会えたこと、大きな事故病気がなく22年間生きていること、やりたいと思ったことができる環境にいること、大きな不安や悩みがないこと、、、
本当にこれまで家族と周りの人に恵まれて生きてこられたと思うし、自分がこれまでしてきたことにもこれからの未来にも自信がある。
ただ、こうとも言える。
少し運が悪ければ、僕はこの世の中に対して不満を抱えて、自分に自信がなく、周りに感謝の気持ちもなく、惰性で人生を過ごしていたかもしれない。
今の僕とは全く違った人間として。
僕は先日、自身のパーソナリティが形成された過去を振り返るべく、「人生の分岐点」についての記事を書いた。
ここでの自分の分岐点の5つはすべてポジティブなものを挙げている。
人間のパーソナリティを形作る出来事は必ずしもポジティブなものだけであるとは思わない。
だが、これまで失敗と言えることよりも成功と言われる出来事の方が今の僕により大きく関与していることは確かだ。
しかし、もし仮に、このこれまでの僕の経験した成功体験が失敗体験になっていたら。
僕は分岐点の記事で以下の5つのターニングポイントを挙げた。
①サッカーを始めたこと
②尊敬できるコーチに出会ったこと
③第一志望の高校に合格したこと
④サッカーのインターハイで全国大会に出場したこと
⑤大学生になったこと
そしてこの5つのうち、少なくとも①②③④は「たまたま」であったと言える。
サッカーを始めたのは兄の影響と近くに自転車で通えるサッカークラブがあったことくらいだろう。兄が生まれた確率やその兄がサッカーを始めた確率、近くでサッカーができる環境に生まれた確率などを掛け算すると、確率は極めて低いことが分かる。
また尊敬するコーチとの出会いも、お互い同じタイミングでそのサッカークラブに所属している確率やその中でも僕の年代(中学1,2年生時の2年間を担当してもらった)の担当コーチになる確率も同じく極めて低い。
きわめつけは高校受験とインターハイ出場だ。
受験なんて当日出題される問題との相性や、小さな計算ミス、読み間違え、自分以外の受験生の学力などあらゆる要因で合否が決まる。(模試でA判定を取っている人や万全に試験対策ができている人は自分の力で合格率を限りなく100%に近づけることができるかもしれないが、僕の場合は受かるかどうかは本当に五分五分だったし落ちる可能性の方が高かったようにも思う)インターハイで全国大会出場を決めた最後の試合では、後半の残り5分まで1-2で負けており、そこから数分で2点を奪い3-2で勝利を掴んだ。
まさに「たまたま」の連続だ。
また、⑤の大学生になったことは、現在の日本においての大学進学率は52.9%(2021年)であるのでたまたまとまでは言えないが、これに関しても2分の1の確率を引き当てたことになる。
こう考えると、これまでの僕の人生で自分のパーソナリティを形成したものはすべて再現性が極めて低く、幸運によるものであったと断言できる。
この結論が今回の記事のタイトルである「人生運が9割」の意味である。
もちろん受験に合格することや、スポーツの試合で勝利することというのは日ごろの練習によるものであるため、普段から意識高くライバルより熱意を高く保って本番に備えるということがカギにはなる。
実際僕も高校時代多くのことを犠牲にしてサッカーに取り組んだ経験があるため、それを否定するつもりはない。
ただ、「人との出会い」、や「何かを始めるきっかけ」、というのは本当に運によるところが大きいということは言える。
自分では操ることのできない不確定要素がいくつも集まって、結果として自分の行動や人との出会いにつながるからだ。
「特定の人との出会いは70億分の1」という言葉を聞いたことがある人は多いだろう。単純に世界の人口70億人の中からあなたという1人に出会うということからこう言われているものだ。
この言葉のように世界に視線を広げてみると人生はもっと運要素が大きいことが理解できるだろう。
日本ではない国に生まれたら、今こうして僕が日本語でブログを書いていることもなければ、あなたがこれを読むこともない。
発展途上の国に生まれていたらこんなに自由にサッカーをできなかったかもしれないし、不自由なく学校に通うこともできなかったかもしれない。
他の生きるためにやらなければいけないことに人生の大半を費やすことになっていたかもしれない。
さらに視野を広げてみると、もし100年前に生まれていたら、1000年前に生まれていたらどうだろうか。
今の時代ではコミュニケ―ションを取るのが上手い人や勉強ができる人、自分で稼ぐ力がある人が人生上手く生き、重宝されているかもしれない。
でも狩猟採集をしていた時代に生まれていたら問答無用で体力に自信がある人の方が重宝されていたかもしれない。
もっと言うと、100年後に生まれていたら勉強なんて必要なくなっているかもしれない。賢いAIに文句を言うことなく従順に従うことができる人が優秀とされているかもしれない。
ここまで視野を広げるとさすがに現実味がなくなってくるが、考え方次第で我々の人生がいかに運によって操作されているのもなのかがよく分かる。
となると次は、「どのようにしたら幸運を引き寄せることができるのだろうか?」と考え、そのために行動することが賢い選択ともいえるかもしれない。
「自分は幸運な人間だ」
これは僕が、9割運の人生を生きるうえで、新たな幸運を引き寄せるためのメンタリティとして意識的に思っていることである。
(実際に幸運だとも思う)
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
僕の記事を読んでくれたこの”奇跡”に感謝します。
では、また。
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