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【あらすじ】愛がなんだ 読書記録39

愛がなんだ

角田光代


すでに映画も2回見てるけど、小説も読んでみた。

「愛がなんだ」の世界観がとても好き。


マモちゃんと会って、それまで単一色だった私の世界はきれいに二分した。
「好きである」と「どうでもいい」とに。そうしてみると、仕事も、女の子たちも、私自身の評価というものも、どうでもいい方に分類された。
そうしたくてしたわけではない。
「好きである」ものを優先しようとすると、ほかのことは自動的に「好きなものより好きではない」に変換され、つまりはどうでも良くなってしまうのだ。

恋愛に限らず、僕にはこの現象がめちゃくちゃ起こっている。

何か新しく出会い、興味を持ったものに対して多分他の人より「興味を持つ度合い」みたいなのが高く、そこに向かって猛突進することが多いように感じている。

サッカーという、将来的に20年弱続けることになったスポーツに出会った5歳の僕は、死ぬほどサッカーばっかりしていた。

この時は、サッカーが「好きなもの」でサッカー以外は「どうでもいいもの」に分類されたいたと思う。     

大学2、3年生くらいの時に簿記を勉強する機会があって、少し勉強してみると僕の何かが強く反応し、めちゃくちゃ楽しかった記憶がある。

当時は朝イチでスタバに行って気付けば4時間、5時間が経過しているということが毎日だった。

この時も新しく出会った「会計学」みたいなものに魅了され興味を持ち、会計が「好きなもの」で会計以外は「どうでもいいもの」に分類されたいた。

テルちゃんの感じていたこの「好きである」「どうでもいい」の2択になるという感覚にめちゃくちゃ共感した。  

                           

プラスの部分を好ましいと思い誰かを好きになったのならば、嫌いになるのなんか簡単だ。プラスがひとつでもマイナスに転じればいいのだから。
そうじゃなく、マイナスであることそのものを、かっこよくないことを、自分勝手で子供じみていて、かっこよくありたいと切望しそのように振る舞って、神経細やかなふりをして、でも鈍感で無神経さ丸出しである、そういう全部を好きだと思ってしまったら、嫌いになるということなんて、多分永遠にない。

自分自身についても同じことが言えると思う。

自分の嫌いなこと、納得がいかないところ、惨めなところ、いろいろあるはず。

でも、「その部分も含めて自分なんだ」と受け入れてあげて愛することができれば、自分を一生愛すことができる。

たとえ、自分の長所が短所に転じたとしても。







○読書記録



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