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主の平和/高校教師ヨハネによるひとこと説教集140

 16世紀英国教会説教集 Certaine Sermons or Homilies の全訳を完了。本邦初の全訳出版を目指しています。Twitter「主の平和/高校教師ヨハネによるひとこと説教集(@sermons218tm)」で、この説教集のなかから特に味わい深い言葉を紹介しつつ、画像つき(http://pixabay.comに感謝です)でメッセージをお届けしていますが、ここではさらにそのなかから選りすぐりの140節を五十音順に紹介します。説教集からの引用のあとにある数字は、たとえば(1.4.2)なら、「第一説教集4章2部」からのものであることを示します。目次をみて五十音のなかで好きな言葉から入ったり、好きな数字から入ったり、あるいはなんとなくスクロールして入ったりとしてみてください。16世紀英国の信仰世界を垣間見つつ、その普遍性や現代性を感じてもらえれば、また、ここの「説教」がみなさんの生活の潤いに、人生の望みにつながれば幸いです。



【あ】


001 愛によって働く生ける信仰は

「愛によって働く生ける信仰は救いを得るためになくてはならないものです。また、実を結ぶものであり、あらゆる善き行いをもたらします。」(1.4.2)
花が咲いて実となりますが、美しい実をつけるには何が必要でしょう。栄養ある土、きれいな水、適度な温度と光。すべては愛でできています。


002 悪意のある言葉に

「悪意のある言葉に特によく効くのは忍耐と柔和さと沈黙とで鎧を固めることです。」(1.12.3)
とはいえ、鎧をまとうのは戦うため。同時に矛も持たなければなりません。名誉にかけてここぞというときには一撃が必要です。むしろそれをするためにまとうのが堅固な鎧です。柔和な善を鎧としましょう。


003 悪魔がわたしたちの心に

「悪魔がわたしたちの心に入ってくるかもしれないと常に用心をしておくことが大切です。」(2.19.1)
いつも勤勉であるべきです。これは四六時中ずっと労働していればよいという意味ではありません。自身にも他者にも誠実であることにおいて勤勉でいましょう。人としての構えが問われています。


004 悪魔は聖書が

「悪魔は聖書が正しい道そのものであると知っている一方で、何が聖書の教えを理解する妨げとなるかを知っています。」(2.10.1)
しかし悪魔は言葉が巧みであり、なおかつ悪魔の姿をして目の前に現れはしません。日々の生活のなかにはさまざまな誘惑があります。人生を歩むための道標を持ちましょう。


005 あらゆるものを贅沢に

「あらゆるものを贅沢にふんだんに使っていながら、わたしたちは欠乏や困窮にあるという不満を口にしています。」(2.6.1)
無駄を見直しましょう。食べ物、衣服、時間、しがらみなど、さまざまな無駄があるはずです。それらを手放して身軽になりましょう。きっと本当に必要なものが見つかります。


006 誤って口にしたことが

「誤って口にしたことがあるならそれを取り繕うのではなく、改心するべきです。」(1.12.1)
ごめんなさいと心から謝る姿勢と勇気が必要です。そうしないと、無意味な言い争いが続いてしまい、ただの愚かな過ちが救いようのない過ちへと変わってしまいます。自分も相手も立ち直れなくなります。

【い】


007 家の中がよく整えられ

「家の中がよく整えられ隅々まで手入れが行き届いていると、清々しく満足した気持ちになるものです。」(2.3.1)
加えて、ものをなくすということがなくなります。また、整えていく過程で、なくしたものが見つかるかもしれません。自分に必要なものもわかります。明日は片づけをしましょう。


008 いったん偽りや迷信への

「いったん偽りや迷信への盲従に陥ってしまうと、邪悪な所業までも賞讃してしまうものです。」(2.2.2)
周囲から浮きたくない、目をつけられたくないなどと、わたしたちは声を上げることをためらいがちです。しかし両目で事実を見て考えることは続けましょう。それは自分だけでないはずです。


009 祈りなくしては

「祈りなくしては、何も神のみ手から与ることはできません。」(2.7.1)
「あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の源である御父から下って来るのです(ヤコ1・17)。」神は「ご自身を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みに(ロマ10・12)」なります。祈りましょう。


010 祈りはその名を唱える方への

「祈りはその名を唱える方への信仰なしにはありえません。祈りを献げる前に、その方への信仰を持たなければなりません。」(2.7.2)
聖書には「信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう(ロマ10・14)」とあります。信じるにふさわしい方を目を見開いて心から求めましょう。


【お】


011 王がいれば臣民が

「王がいれば臣民が、主人がいれば家来が、父がいれば子が、夫がいれば妻がいます。どの立場ももう一方の立場を必要としています。」(1.10.1)
いろいろな人がいてこの世界が作られています。いなくていい人などいません。自分なんて…と思っているあなたも、きっと誰かに必要とされています。


012 大きな水源があるのに

「大きな水源があるのに小さな水溜を作るなど、愚かな者のすることです。」(2.7.2)
わずかな利便を求め、強欲をもって囲い込もうとして、人はさまざまな過ちや無駄を行うことがあります。水溜まりはやがて枯れます。しかし水源は汲めど尽きない。大いなるものを皆で分かち合う知恵を持ちましょう。


013 大勢の人による公祷の

「大勢の人による公祷の力は大きいものであり、それによって天なる父の御手にある慈悲と救いに与ることができます。」(2.9.1)
たとえばスタジアムでの応援。思いと言葉をひとつにすると、なんでもできてしまう気さえします。これは人と人が大いなる力の下で繋がるからです。皆で声を合せましょう。


014 おこがましい野心をもって

「おこがましい野心をもって目的を果たそうとしても、合法で平和的な手段をとることができないので、ただ力に訴えることになります。」(2.21.5)
そのような人は多くの場合、自分ひとりでは目的を達せられないので、他人を誘惑して事に臨みます。悪の道への誘惑を退ける知恵と分別を持ちましょう。


015 穏やかさは臆病さと

「穏やかさは臆病さと同じであり、怒りで上気して拳や棒で戦うのが男性であると考える者がいます。」(2.18.1)
「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福しなさい(一ペト3・8)」とあります。悪をもって悪に対するのではなく善の実をもって悪に勝ちましょう。柔和は力です。


【か】


016 悔悛し堅く信仰を持てば

「悔悛し堅く信仰を持てば、神は慈悲深くも祈りを聞き入れられます。」(2.7.2)
神は「憐れみ深く(エフェ1・4)」「恵みに満ち、怒るに遅く、慈しみに富む(詩103・8)」方で、「まことをもって呼ぶすべての人に近くおられます(同145・18)。」謙遜と柔和をもって心から祈りましょう。


017 顔に化粧を施し

「顔に化粧を施し、髪の毛を巻いたり違う色に変えたりしたところで、創造主が造られたものを超えることができるというのでしょうか。」(2.6.1)
人間を含め万物はそもそも美しく造られています。美しく造られたものに手を加える必要などありません。そのままで十分に美しい。ここに気付きましょう。


018 神がわたしたちの思推など

「神がわたしたちの思推などすべてお見通しであるからといって、祈りを無意味なものとするのは愚かなことです。」(2.7.1)
軽々しく物事を無意味と断じないようにしましょう。キリストは「天におられる私たちの父よ(マタ6・9)」と始まる祈りの形を定め、受難の前でも真剣に祈られました。


019 神に向かう中で躓いた

「神に向かう中で躓いたのであれば、また顔を上げればよいではないですか。」(2.14.2)
隣人を怒らせてしまったなら和解を求め、貶めたのならば名誉を回復させましょう。悪意を持ってしまったなら友情を示しましょう。隣人の健やかさを自分のことのように望みましょう。人は変わることができます。


020 神のみ言葉を無視することは

「神のみ言葉を無視することはすべての過ちの源です。」(1.1.2)
今でこそたくさん知っている人も、はじめは何も知らない人だったはずです。ただ、知らないままでよいと思わず励んだのでいろいろなことを知るようになったのです。人は誰でも変わることができます。勇気ある一歩がその人を変えます。


021 神はあらゆる平等と正義の

「神はあらゆる平等と正義の神であり、欺瞞や狡猾を禁じています。」(2.17.4)
虚偽や策略で得られるものにどれほどの値打ちがあるのでしょう。「きょうだいを踏みつけたり、欺いたりしてはなりません(一テサ4・6)」とあるとおりです。悪意を持ちそうになったら、いったん立ち止まりましょう。


022 神はいつも

「神はいつも、すみやかにご自身に立ち帰る人々を愛をもって受け入れる準備をなされています。」(2.20.1)
やり直すことなんてできないなどと思わないようにしましょう。そう思ったら最後、もはや絶望しか残りません。いつでもわたしたちはスタートラインに立てます。立とうとする勇気が必要です。


023 神はいまだ善性をもって

「神はいまだ善性をもってこの世を保たれ、お創りになったときのままにされておられます。」(2.17.1)
船を造り終えて引き渡したとします。そこでもう造った側に何の責任もないとはなりません。造った側には見守りが求められます。船が安全に航行し、船員たちが幸せに生きるための愛ある見守りです。


024 神は義を愛され

「神は義を愛され不義を憎まれます。神は罪人の死を望まれず、罪人が邪さを離れて生きることを望まれます。」(2.4.2)
わたしたちも正義を尊び不正を排しようとはしています。ただそのときの姿勢によく注意しましょう。誰かにただ罰を望むのではなく、その人が悔い改めることを願って信じましょう。


025 神はご自身の神殿に

「神はご自身の神殿にお住まいになることを喜ばれます。ただしその神殿とは、聖書の教えに従う真のキリスト教徒の心と体であるのです。」(2.1.1)
どんな立派な建物も形のある有限のもの。しかし人間の精神は無限に広がりゆくもの。「人は石垣、人は城」とはまさに名言。人と心を大切にしましょう。


026 神は無辺の寛大さを持たれ

「神は無辺の寛大さを持たれ、余りあるものを与えてくださっていますが、わたしたちに行き過ぎがあれば、すぐにそれを無になされます。」(2.5.1)
いま自分にあるもので満足できない生活を送っていませんか。すでに十分なものを与えられているという前提で考えましょう。それを活かしてこそです。


027 神はわたしたちから一部を

「神はわたしたちから一部を取り上げ、残りの多くをより大切にするようにとされます。」(2.17.2)
およそ裕福な人は富をなくすことを、名声のある人は悪評が立つことを、知者は愚者と罵られることを悲しみます。しかしそれらは所詮その人の一部です。もっと自分という人間の大きさを知りましょう。


028 神はわたしたちの食べる肉を

「神はわたしたちの食べる肉を祝福され、それを食べる力を与えてくださっています。そうしてわたしたちは味わうことができています。」(2.5.1)
食はそもそもが命です。また作るも食べるもひとりでは完結しません。間違いなく食は愛です。愛をいただいていることへの感謝を忘れずにいましょう。


029 神はわたしたちの日用を

「神はわたしたちの日用を満たし、節度ある楽しみによって、わたしたちの感覚を生気あるものにしています。」(2.6.1)
目にするもの耳にするものひとつひとつは小さくても、集まって大きなひとつのものを作っています。これに気付く感覚を持ちましょう。ひとつひとつの出会いを大切にしましょう。


030 神への崇敬のために

「神への崇敬のための場所に偶像を置くことは偶像を崇拝することに大きく繋がります。」(2.1.2)
手段が目的になるという言葉があります。えてして本質を見失い目に見えるものに傾くことによって過ちに至ります。目に見えるものの向こうにある見えないものに思いを致しそれを大切にしましょう。


031 神をただの呼び名として

「神をただの呼び名として、他の何物かに重ねてしまうという不実を為していないでしょうか。」(2.2.3)
誰かの名を口にするとき、どれほど強くその方を想えているでしょう。惰性でその名を口にしていないでしょうか。不意に口から出るとしても、その度にその方への想いを強く持ちましょう。


032 完全な忍耐というものが

「完全な忍耐というものがあります。」(2.13.1)
それは誰から仕打ちを被ったのかなど意に介することなく、打算なくそれを被ろうとするものです。「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい(マタ5・44)」とあります。真の忍耐は受動的なものではありません。自ら進んで耐えた方を思いましょう。


033 甘美なものに思えないのは

「甘美なものに思えないのは、その肉が苦いためではなく、自分の舌や口が病んでいて苦みを出しているからです。」(1.1.1)
目の前のものについてあれこれと悪く言うのは簡単です。しかしその前に、自身に問題があるのではと考える必要があります。あなたの病みを癒すのは何でしょうか。


【き】


034 キリストは苦しめられても

「キリストは苦しめられても柔和さを失いませんでした。」(2.13.1)
嘲笑されても「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか分からないのです(ルカ23・34)」と祈り、裏切り者には「しようとしていることをするがよい(マタ26・50)」と言った深さを覚えて日々を送りましょう。


035 キリストは十字架の上で

「キリストは十字架の上で敵のために祈り、父に彼らを赦すように望みました。」(2.7.3)
キリストは「彼らをお赦しください。自分が何をしているのか分からないのです(ルカ23・34)」と神に訴えました。「敵を愛し、迫害する者のために
(マタ5・44)」祈る姿に倣う毎日を送りましょう。


036 キリストはどれほど

「キリストはどれほど使徒たちに温和さと従順さを説いたことでしょう。」(2.1.2)
しかし神を冒涜する行いに対しては厳しく臨みました。温和で従順であることは、何かに盲目的に従うことや他者の悪を見過ごすこととは違います。悪に立ち向かうための柔和であり、意思の強い力に裏打ちされます。


037 キリストを死に追いやった

「キリストを死に追いやったユダヤ人の残忍さを嘆く前に、自分たちがその死の原因だったと思うべきです。」(2.13.1)
受け入れがたい状況が目の前にあると、とかく人は誰かの責任に帰そうとします。本当に自分には責任がないのか、冷静になって考えましょう。同じ間違いを二度としないためにも。


038 教会堂に通って聖なる水を

「教会堂に通って聖なる水を受け、祝福されさえすれば、説教をまったく理解していなくてもよいとしてこなかったでしょうか。」(2.8.2)
「手段の目的化」や「形骸化」という言葉があります。どんなに素晴らしいものもそうして弱体化し消滅してしまう恐さがあります。本質を大切にしましょう。


【く】


039 草花や樹木の見目の麗しさや

「草花や樹木の見目の麗しさや甘い香りを楽しめば、人類に対する神のひたすらな愛を感じることができます。」(2.6.1)
花はなにが美しいのでしょう。花弁や花柱の形そのものでしょうか。それよりもそこに咲くたたずまいの美しさではないでしょうか。何物もそこにあることに自体に愛を感じましょう。


040 口から出るものは心から

「口から出るものは心から出るものであり、それが人を汚します。」(1.11.1)
言葉は心を表します。善い言葉を使いましょう。善い言葉を使ううちに心が善いものとなりよい習慣が身につきます。つい悪い言葉が出そうなときはいったん唾を飲み込んで呼吸をおきましょう。悪に呑まれてしまわないように。


【け】


041 欠乏や悲惨の只中にある

「欠乏や悲惨のただ中にある貧しい人を扶けることは神に大いに喜ばれます。」(2.11.1)
「この最も小さな者の一人にしたのは、すなわち、私にしたのである(マタ25・40)。」飢えた人に食物を分け、寒がる人に服を着せ、さまよう人に宿を貸し、病にある人を励ましましょう。世界の市民として。


【こ】


042 心無い物言いをされることが

「心無い物言いをされることがあっても、そのようなことをする者の弱さに寛容であるようにしましょう。」(1.12.1)
むしろその言葉を受け流しましょう。同じように悪い言葉を返すのではなく、あるいはただ軽蔑するでもなく、その人の悩みや苦しみに寄り添うべきです。愛をもって悪に勝ちましょう。


043 この世にある逆境という

「この世にある逆境という小さな十字架を忍耐強く持つことが、どうしてわたしたちにできないというのでしょうか。」(2.13.1)
キリストは「その足跡に続くようにと、模範を残された(一ペト2・21)」とあります。痛々しい苦しみに鍛えられた先には、喜ばしい希望があることを信じましょう。


044 この世の虚栄にまみれれば

「この世の虚栄にまみれれば、その胃袋は天の知識や神の御言葉という食物を嫌って受けつけなくなります。」(1.1.1)
お腹が満たされるのは幸せなことです。しかし食べるものを選ぶ必要はあります。身体によくてなおかつ美味しいものを選んで食べましょう。そうして身体だけでなく心も満たしましょう。


045 この世の富を持っても

「この世の富を持っても、それによって魂が傷ついて地獄の業火に至ることがあってはなりません。」(2.11.2)
富や名声があっても、心に平穏がなければ幸せではないでしょう。心の平穏はお金で買えず、また名声に伴うものでもなく、信じるものを堅く持つことによって得られます。信こそ力となります。


046 これから何百年にもわたる

「これから何百年にもわたるなかで、少しは偶像の数が減るかもしれません。しかし善い説教者は多くの努力がなければ生まれてきません。」(2.2.3)
物事を築き上げるのには労力と時間が要ります。目に見えて結果が出ないからと諦め、止めてしまわないようにしましょう。壊れるのは一瞬です。


【さ】


047 策をめぐらし

「策をめぐらし、他人だけでなく自身の足元にも躓きとなる石を置き、ついには自身の首を折ってしまう者もいます。」(2.2.3)
成功のために工夫は大切で、段取りも必要です。しかし始まりが愛であるか、目指すところが光であるかをいつも思いましょう。策に溺れないようにしましょう。純心が一番です。


【し】


048 慈愛をもって貧しい人を

「慈愛をもって貧しい人を憐れみ、施しを求める人を安らげるべきです。」(2.17.4)
「畑に一束忘れても、それを取りに戻ってはならない。それは、寄留者、孤児、寡婦のものである(申24・19)」とあります。世の憐憫は巡ります。明日は自分が助けられる立場かもしれないことを覚えましょう。


049 虐げられた人々を救い

「虐げられた人々を救い、飢えた人にはパンを分け与え、彷徨える人には住み処を与え、裸の人には服を着せるべきです。」(2.4.2)
当たり前のことをわたしたちは思うほどできてはいません。大業を成し遂げようとする前に目の前の小さなことを。小さなことを見逃さない目と勇気を大切にしましょう。


050 自身の魂を故意に殺める

「自身の魂を故意に殺める者であってはいけません。」(2.10.2)
自分の身がかわいいと思うなら自分に極限まで愛情を注ぎましょう。ただ、愛情を注いで甘やかすのと野放図な勝手きままを許すのは似て非なるものです。自分が幸せであり続けるために、自分にとって大切なものが何かよく考えましょう。


051 自身の罪について

「自身の罪について真で率直で深い観想や考察を持つ人なら罪の底に落ちることはありません。」(1.2.1)
誰もが罪を持っています。その罪をどれだけ直視するかで違いが出ます。罪を認め、救いをどこに求めるかが問われます。生の歩み方がどうであるのかにかかわります。闇を抜けて光を求めましょう。


052 自身を正しいと過信する者は

「自身を正しいと過信する者は他を軽んじてしまうことがあります。」(2.4.1)
信念を持って道を行くのは尊いことです。しかしそれと聞く耳を持たないのは似て非なることです。進むにしても周りをよく見て立ち止まりもしましょう。階段に踊り場があるのはときに休んで歩調を合わせて昇るためです。


053 時代がどんなに変わろうとも

「時代がどんなに変わろうとも、信仰に変わりはありません。わたしたちにとっては、キリストは一人であり信仰も一つです。」(1.4.2)
人の世は移り変わりますが、いつの世も不変のものがあります。形あるものはなくなりますが、形のないものは人の心に生き続けます。それを尊びましょう。


054 舌では神を讃えても

「舌では神を讃えても、心では神を敬わず、言葉で敬っていても、行いでは神を崇めていないということがあってはなりません。」(2.14.2)
剥がれないめっきはありません。落ちない化粧もありません。表面を飾ったのみでよしとせず、心を鍛えて磨きあげましょう。内側から確固として輝きましょう。


055 自分がそうしてもらいたい

「自分がそうしてもらいたいように、すべての人を愛し、すべての人についてよく言い、すべての人に救いの手を差し伸べましょう。」(1.5.3)
困っているとき、自分がしてもらいたいと思うことを他人にもしましょう。友であれ敵であれみな、自分と同じ人間です。他人への善はやがて自分に返ってきます。


056 自分が望むままに嬉々として

「自分が望むままに嬉々としてものを語る人に限って、自分が望まないことを喜んで聞こうとはしません。」(1.12.2)
人間は話す以上に聞くことと見ることが求められます。口が一つなのに耳と目が二つずつあるのはそのためでしょう。そのように体が造られていることを活かしましょう。


057 自分の悲しみとなっている

「自分の悲しみとなっていることを他人に見せることによって癒しが得られます。」(2.20.2)
「癒されるように、互いに罪を告白し、互いのために祈りなさい(ヤコ5・16)」とあります。正直に語ることと共感して聴くことはワンセットで、その立場の転換が連続してはじめて実りある会話となります。


058 自分の口で告白し

「自分の口で告白し、自分の言葉で救い主を讃えましょう。心から信じ、善い行いをもってその栄光を讃えましょう。」(2.12.1)
信じるものについて自分なりの言葉で率直に語ることができるようになりましょう。心の底から出るまっすぐな思いと言葉と行いを大切にしましょう。そこに嘘はないからです。


059 自分の能力のなさを知り

「自分の能力のなさを知り、全能の神について、遠くに離れて語るべきです。」(2.17.1)
ものを知ろうとすると、近くに寄ろうとしがちです。しかしときには一歩ひいて客観視し、さらには何百歩もひいて謙虚に仰ぎ見ることも必要です。近くにいれば必ず真を捉えられるというものではありません。


060 自分への非難は多くの場合

「自分への非難は多くの場合、友人からの温かい言葉以上に、生き方を改めるための若枝となります。」(1.12.2)
良薬は口に苦しと言われます。本当に苦いのかもしれませんが、ひょっとしたらまだ舌がその美味をわからないから苦く感じるのかもしれません。年齢とともにわかるのかもしれません。


061 自分よりも持っているものが

「自分よりも持っているものが少なくいからといって隣人を軽蔑し、自分のほうが優れているなどと思ってはいけません。」(2.17.2)
そもそも優劣を思うところに間違いがあります。十全な人はおらず、仮にある点で多く持っているとしても、他の点ではそうではないからです。不遜に陥らないように。


062 自分を中心にしたもの

「自分を中心にしたものではなく他への善い意図を持っている行いが善き行いと呼ばれます。」(2.4.1)
自ら意図を持って行動しましょう。本質を見ることに無関心でいて、周囲がしている行いを見てそれをただ真似ているだけでは相手の心に通じません。本気があってこそ感動を呼び起こします。


063 邪悪な考えは人間の心の中で

「邪悪な考えは人間の心の中で長い時間をかけて根を張ります。一度の説教で根こそぎなくなるものではありません。」(2.2.3)
根は地中に深く張ります。土を掘って取り除くにしても一部は残り、そこからやがてまた芽が出ます。物事を根本から変えるには時間を要します。気長に構えましょう。


064 自由だからといって

「自由だからといってしたいだけのことをしていいと考え、他を見下し、慎みのない振る舞いをしてはいけません。」(2.6.1)
自由と身勝手をはき違えないようにしましょう。自由には責任が伴います。わたしたちはひとりで生きてはいません。良くも悪くも影響しあって生きている「人間」であるのです。


065 信仰深い者であるなら

「信仰深い者であるなら、愛をもって、哀れな人や、病人や身寄りのない人など、何かに困っている人に手を差し伸べるべきです。」(2.2.3)
今日は夜寝るまでに、意識してこれをしてみましょう。身の周りにそういう人がいないはずはありません。助けを求める人の小さな声を慈愛をもって聞きましょう。


066 身体の中に肉や酒を

「身体の中に肉や酒を詰め込みすぎると動きが鈍くなります。」(2.5.1)
腹八分を意識しましょう。満腹感があるときにはすでに遅しです。この手の過ちを避けるポイントは「お腹がすいたら食べる」心がけです。普段から思いと言葉と行いをたくさん持ちましょう。「ゆっくり食べる」ことも大切です。


067 真の強さや雄々しさとは

「真の強さや雄々しさとは、憤りを克服して自身の足りなさや他者の弱さをよく見ることです。」(1.12.2)
何か悪いことをされたら憤りを持つことでしょう。ただそれを和らげたり抑えたりすることができるのが強い人間です。そうあるためには心に何を置き、誰に倣うべきでしょうか。


【す】


068 過ぎた時間とは

「過ぎた時間とは、のちにそれを振り返って生きるわたしたちにとって、知恵という教師となります。」(2.2.3)
普段からメモや日記をつけましょう。読み返すと自分の行動パターンに気付き、同じような間違いを繰り返さなくなるでしょう。また、自分が大きく成長しているという嬉しい驚きを持てます。


【せ】


069 誠実な本性は鞭によってでは

「誠実な本性は鞭によってではなく温和な言葉によって保たれます。」(2.18.1)
人の過ちを正そうとして、思慮なくただ厳しい言葉を発しても、憎しみという極めて大きな悲しみをもたらすだけです。意見の相違や不和が満ちていては何も得るものはありません。理性をもって相手の立場にたちましょう。


070 聖職者の祈りの最後に

「聖職者の祈りの最後にわたしたちは『アーメン』と言います。何が語られているか理解せずにそうするなどありえません。」(2.9.1)
誰かが語りかけ、内容を理解してもいないで返答するという場面があります。失礼である以上にもったいないことです。今日はいつも以上に人の話をよく聞きましょう。


071 聖書にあるとおり

「聖書にあるとおり、コルネリウスは隠れたところで神に祈り、それが聞き届けられたのでした。」(2.9.1)
誰もいない部屋でひとりになり、内のものを外に出すことは大切です。想いを声に出して気づくことがあります。その想いは少なくとも自分自身の耳に聞き届けられます。ひとりではないのです。


072 聖書には質素で飾り気のない

「聖書には質素で飾り気のない言葉もあり、物事をうわべだけで捉える者には理解できないことがあります。」(2.10.1)
世の中には朴訥な話し方をする人や粗野な話し方をする人がいます。饒舌でないから、丁寧でないから中身がないなどと思ってはいけません。その人の心からの声に耳を傾けましょう。


073 聖書には、信仰に篤い人でも

「聖書には、信仰に篤い人でも肉的で邪な生を持ったことの例があります。」(2.10.1)
ノアもロトも過ちを犯しました。だからとってわたしたちがすすんで過ちを犯していいというのではありません。人間は自らの力だけでは恐ろしい罪から遠ざかれないと学ぶべきです。人間には佑けが必要なのです。


074 聖奠とは目に見えない神の

「聖奠とは目に見えない神の無辺の御慈悲を目に見える形あるものにして、神の約束をわたしたちの心の中に刻ませるものです。」(2.9.1)
たとえばわたしたちは誕生日のプレゼントをもらって喜びます。しかし本当に喜ぶべきは愛情や祝意そのものです。目の前にあるものの元にあるものを見ましょう。


075 聖奠も教会規律も

「聖奠も教会規律も、こじつけて変えられ、付け加えられ削られ、勝手な伝統が作られてそこに織り交ぜられ、今や全く別の姿となっています。」(2.16.2)
時間の経過とともに形が変わること自体は仕方がありませんが、本質を見失わないためにすべきことがあります。こまめな記録と点検です。


076 聖なる日には教会堂に

「聖なる日には教会堂に礼服を着て集うべきです。」(2.8.2)
「友よ、どうして礼服を着ないでここに入ってきたのか(マタ22・12)」と聖書にあります。隣人への愛という礼服でもって集いましょう。ただ礼服は着慣れていないと不格好に見えます。礼服を着こなせるには日頃からの心がけが大切です。


077 贅を尽くす享楽に溺れ

「贅を尽くす享楽に溺れ、悲惨へと真っ逆さまに落ちることもあります。」(2.5.1)
嬉しいときは喜びましょう。ただ祝宴を催すにしても贅を尽くす必要まではないはずです。よく頑張った、嬉しかったなど、思いを噛みしめ喜んで感謝し、お腹よりも心を満たしましょう。節度を持ち欲に溺れないように。


078 僭越と尊大はすべての過ちの

「僭越と尊大はすべての過ちの母です。謙遜は過ちを恐れません。なぜなら、謙遜は真実を知ろうとするのみであるからです。」(1.1.2)
人に教えを乞いましょう。わからないままにしてはいけませんし、わからないのにわかっているふりをするのはもっとよくありません。伸びる人とはよく聞く人です。


079 戦場で吹かれるラッパが

「戦場で吹かれるラッパが心許ない音を出していては誰も戦おうという気持ちにはなりません」(2.9.1)
楽器がしっかりと出さなければ何が演奏されているのかはわかりません。同じように、どんなに思いが高尚なものでも、伝え方がはっきりしていないと伝わりません。心に響く言葉を使いましょう。


080 善を為すことによって

「善を為すことによって恵みがもたらされるのではありません。恵みを受けているから善を為すことができるのです。」(2.4.1)
車輪は一回転するから丸いのではなく、丸いから一回転します。そのように造られているからそのように動けます。人間は誰かを愛せるように愛をもって造られています。


【そ】


081 そもそもが善くないものは

「そもそもが善くないものは、許容できる程度のものとして始まったとしても、しだいに悪くなっていき、ついには許容できないものとなるものです。」(2.2.2)
若い芽が善か悪か見極めるのは難しいことです。しかし生長を観察することはできます。育むことの本気度がそこで試されています。


082 そもそも罪を離れている

「そもそも罪を離れている人間はいるのでしょうか。」(2.10.2)
「正しき者は七度倒れても起き上がる(箴24・16)」と聖書にあります。人間は過ちを犯しますが、そこにとどまってよしとしてはいけません。倒れても起き上がり前に進んでこその強い人間です。そのための拠り所を心に持ちましょう。


083 それがそれ自体として

「それがそれ自体として行われても、行く着くところは善にも悪にもなりえます。」(2.4.1)
行いや言葉それ自体に善悪はありません。それを使う人間の思いが作用して善悪が生じます。謙遜も過ぎれば傲慢です。真に柔和であれば中庸を進めます。針の穴を通ったあとに広大で彩りのある世界があります。


【た】


084 大理石や金銀がなくても

「大理石や金銀がなくても光を放ち、慎ましくあって壮麗さを求めず、内なる輝きをもって栄光に満ちてこその教会堂です。」(2.2.3)
立派な建物も、何もしないで美しさを保つことはできません。人が掃除や修繕などの手入れをするのは愛と熱があってこそです。そうして生まれる輝きを大切にしましょう。


085 太陽のもとで影が体から

「太陽のもとで影が体から離れることはありません。教会堂に偶像を置くことと偶像崇拝は不可分です。」(2.2.3)
因果という言葉を意識しましょう。目の前にある現実にはそもそもの起こりや原因があります。目の前の状況を収拾したいときは、根っこにあるものに目を向けるようにしましょう。


086 他人の生き方について

「他人の生き方についてあれこれ言う前に、自分の良心を確かめるべきです。」(2.15.2)
人間は誰も十全ではないということを踏まえないでいると、建設的であるべき批判は「批判のための批判」になりがちです。他人の足りなさを指摘して勝ち誇るという過ちに陥ることのないように心がけましょう。


087 他人のものを奪っては

「他人のものを奪ってはいけません。隣人のものをむやみに欲しがってもいけません。」(1.5.3)
自分が求めるものは、ひょっとしたら自分のすぐそばに、それこそもう指先にあるのかもしれません。ただ隣の芝生が青く見えているだけなのかもしれません。もう一度、よく自分の周りを見てみましょう。


088 食べ物があって貧しくさえ

「食べ物があって貧しくさえなければ、自分が良い状態にあって万事うまくいっているものと思ってしまう者がいます。」(2.5.1)
食べるに困らないのは幸せなことです。しかし食べるに困る人を見たら、わたしたちは何をすべきでしょう。富に溺れ慈愛を忘れた卑しい人間にならないようにしましょう。


089 誰についても良心をもった

「誰についても良心をもった祈りを持つべきです。」(2.7.3)
聖書に「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。呪う者を祝福し、侮辱する者のために祈りなさい(ルカ6・28)」とあります。わたしたちは自分自身と同じくすべての人を愛すべきです。悪い循環を断ち切る人になりましょう。


090 端正な服装を恥じる者は

「端正な服装を恥じる者は豪奢な衣装を得さえすれば満足するのでしょう。」(2.6.1)
自分をよく見せようとつい華美に走ることがあります。そこでよく考えましょう。端正と美しさは両立します。豪奢と醜さが同居することもあります。服を着こなして内面にある美を外に輝かせる人になりましょう。


【ち】


091 塵や灰に帰する人間が

「塵や灰に帰する人間が創り主について詳しく語れるなどと考えるのはあまりの傲慢です。」(2.17.1)
知らなかったことを知るようになる。これは努力によるものです。しかしその努力はどこから来るのでしょうか。努力の結果をただ自分の成果と誇っていいのでしょうか。そこに謙虚さが求められます。


【つ】


092 土が乾いているところに

「土が乾いているところに苗木をただ植えても、十分に水を含んでいないのですから育ちようがありません。」(2.18.1)
しかしその土を耕せば、果実を収穫できます。人の心も同じです。相手の心が渇いていても、愛をもって根気強く説けば、互いの心を満たす甘美な果実を得ることができるはずです。


【て】


093 できうる限りでわたしたちの

「できうる限りでわたしたちの財や知恵や経験や力で隣人に善を行いましょう。」(1.9.3)
助けを必要として人に救いの手を延べましょう。できる限りそうしましょう。あなたも助けが欲しい時は人に助けを求めましょう。助けを求めることをためらう必要はありません。支え合って生きているのです。


094 敵を愛するのはとても

「敵を愛するのはとても難しいことです。しかし自身も敵に悪をなしていながら、敵からどれだけの善を受け取っているかと考えるべきです。」(1.6.2)
他人から受ける不快は心の中で何倍にも膨れ上がります。ただそのとき、ちょっと視点を変えてみましょう。違うものが見えるかもしれません。


【と】


095 どんな事をどんな時にしても

「どんな事をどんな時にしてもよいというわけではありません。」(2.4.2)
聖書にも「すべての出来事に時がある(コへ3・1)。」「泣くに時があり、笑うに時がある。嘆くに時があり、踊るに時がある(同3・4)」とあります。周りをよく見ましょう。ひとりで生きているのではないと覚えましょう。


【な】


096 なぜわたしたちは利益や富を

「なぜわたしたちは利益や富をもたらす者の歓心を得ようとしながら、貧しい人の友情を得るのに怠惰で億劫なのでしょうか。」(2.11.1)
自分にとって「便利だ」「使える」などと人を色分けし、それによって接する態度を変えていませんか? 「小さな者(マタ10・42)」こそ大切にしましょう。


【に】


097 肉の事柄への関心で

「肉の事柄への関心であまりに心がいっぱいになっている者は、魂の事柄に対しては往々にして怠惰であり散漫です。」(2.6.1)
聖書にこうあります。「『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って思い煩ってはならない(マタ6・31)。」光を目指して日々を堂々と生きましょう。


098 柔和さを持つことは

「柔和さを持つことは、言い争いにおいて勝つなどということよりも大切です。」(1.12.1)
目に見える勝ち負けを超えたところにいましょう。言葉で相手を打ち負かしたところで勝ちではありません。また、打ち負かされても負けではありません。本当の大いなる勝利はもっと別のところにあります。


099 人間は死人よりも感情を

「人間は死人よりも感情を持たず、石よりも固い頭をしているのでしょうか。」(2.13.2)
わたしたちは光を目にし、鳥のさえずりを聞き、花の香りを嗅ぎ、果実の甘美さを味わい、指先でさまざまなの形を知覚することができます。ただしそこで漫然とならないことです。一瞬一瞬を大切にしましょう。


100 人間は自分が知っている

「人間は自分が知っていることしか知らず、見ているものしか見えていません。」(2.7.1)
求められるのは想像力です。想像力の根底にあるのは何でしょう。自分の知恵や経験は限りのあるものであるという謙虚さと、すべてを超えてある存在や真理への崇敬です。それによって人間は賢くなります。


【ぬ】


101 盗人が一人いれば

「盗人が一人いればたくさんの人々が物を奪われることに加えて、多くの人が盗人になってしまいます。」(1.6.2)
しかしその盗人をただ排除すればそれでいいというわけではありません。愛をもって説諭し、その心の想いに耳を傾け、その人の負う重荷を取り除くことが必要です。寛容でありましょう。


【は】


102 始まりが悪であったものから

「始まりが悪であったものから善いものは生まれようもありません。」(2.2.3)
人間はどうでしょう。罪をもって生まれていますが、そもそも御姿を象って造られています。世の塵にまみれ、ときに道を見失いそうになっても、助け合い大きな愛の中で生きることができます。これを信じましょう。


【ひ】


103 左を打った者には右を向ける

「左を打った者には右を向けるようにするべきなどという教えを理解に苦しむものであると言う人もいます。」(2.10.1)
確かに不可解でしょう。しかしどんな言葉もまずは受け取り、その上で「なぜ」と考える習慣を持つことです。自分にとっての「こうあるはず」を超えた世界を思って成長しましょう。


104 羊たちだけでなく

「羊たちだけでなく、暗闇で光へ導くべき羊飼いもが、偶像の魔力によって、盲人を導く盲人となりました。」(2.2.3)
暗闇では足元と5歩先とさらにその先を交互に照らしましょう。足元は転ばないため、5歩先とその先は行く道を確信するためです。自身の内側を勇気で照らすことも大切です。


105 ひと塊のパンのなかに

「ひと塊のパンのなかにたくさんの麦の粒があるように、わたしたちは一つの神秘体のなかで愛によって繋がれています。」(2.14.2)
不和、虚栄、野心、軽蔑、憎悪、悪意。これらは確かにこの世にありますが、人が生きる軸となるものではありません。人は何によって生きるのかを考えてみましょう。


106 一つの考え方にこだわり

「一つの考え方にこだわりすぎれば、争いやいさかいが大きくなります。」(1.12.1)
信念を持つことは大切です。しかし信念を根とした枝葉は多岐に渡ることも確かです。そのことを思いましょう。繁茂する枝葉として違うだけで根は同じであるのかもしれません。本質を捉えようとする姿勢が大切です。


107 人はキリストの教えから遠く

「人はキリストの教えから遠く離れ、戸棚には衣服がいっぱいで、自分がどれほど持っているかもわからないという有様です。」(2.6.1)
「旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない(マタ10・10)」とあります。衣類を持ちすぎていませんか。今度の週末に整理をしましょう。


108 人は心のなかでこそ悔いる

「人は心のなかでこそ悔いるべきで、罪を大いに憎んで嫌うべきです。罪から身を守るために、主なる神に立ち帰るべきです。」(2.20.1)
だれでも道を誤ることはあります。大切なのはそのあとです。表向きに形だけの反省をしても意味はありません。心から悔いることのできる人間になりましょう。


109 人は目覚めると

「人は目覚めると眠りに就いた時よりも若々しくなります。」(1.9.1)
人生の三分の一は眠りの時間と言われます。たくさん眠りましょう。よい眠りを持ちましょう。ぐっすり眠って目覚めたとき、目の前に広がる景色はさぞ美しいことでしょう。よい眠りに入るためには心身を整えていることが大切です。


【ふ】


110 福音よりも人間の発想や

「福音よりも人間の発想や創作によるものを喜んでいたら、最後の日にみ前にあってどんな言い訳ができるというのでしょうか。」(1.1.2)
あなたには信じるものがありますか。また信じるものがあるなら、とことんまで信じていますか。自分にもその信じるものにも恥じない生き方をしましょう。


【ほ】


111 暴飲や暴食に溺れては

「暴飲や暴食に溺れてはなりません。節度を持たないでいれば神はわたしたちをみ恵みから遠ざけられます。」(2.5.1)
よく周りをみましょう。ないものねだりをしないで足るを知る生活をしましょう。アダムとイブも欲に従っていなかったら楽園を追放されはしませんでした。強欲という敵は内にいます。


112 誉れは神のためのものであり

「誉れは神のためのものであり、慈悲と寛容は隣人のためのものです。」(1.1.1)
隣人を憐れみ、気にかけ、ときに不快なことをされても寛容であるようにしましょう。隣人の悲しみを自分事としましょう。そのように生きることが愛されることにつながります。わたしたちにはそう生きることができます。


【ま】


113 貧しい人はわたしたちに

「貧しい人はわたしたちに正しい道を示すマーキュリーであるのです。」(2.11.1)
道標や里程標があって安全に旅をすることができます。人生という旅路にもそれがあり、そのおかげで正しい道を大きく踏み外すことがなくなります。あなたの人生における道標は何か、あらためて意識してみましょう。


114 真昼の眩しい太陽のもとで

「真昼の眩しい太陽のもとで仄かな蝋燭のあかりは必要とされません。」(2.2.2)
蝋燭は真昼の明るさのなかで使われるものではありません。しかし暗闇のなかで使われれば、その灯は強く大きく輝き、人に安心や勇気を与えます。どんな人にも活躍の場があります。自分が輝ける場があります。


115 まゆをひそめるような

「まゆをひそめるような憎々しい行いが、まゆをひそめるような悪辣な手段で正されることはありません。」(2.18.1)
「毒を以て毒を制す」という言葉を曲解してはいけません。相手の悪い行いを正そうとしても、ただ力に訴えたのではかえって増長させてしまいます。柔和さと温和さであたりましょう。


【み】


116 み言葉の意味や奥深さを

「み言葉の意味や奥深さを読み取れないからといって、それを嘲る者や蔑む者となってはいけません。」(2.10.2)
本を読むときは字面を追うだけでなく行間も読みましょう。声に出して読むと行間にある文字が浮かび上がってくることがあります。人と話すときに相手の表情や声色をみるのと同じです。


117 み子は人間の身体を有して

「み子は人間の身体を有して人性を持ち、恥辱にまみれ苦痛に苛まれる死を受け入れられ、わたしたちに永遠の命をもたらそうとなされました。」(1.3.3)
他者のためにわが身を犠牲にする。利己心など捨てねばなりません。ここで何が原動力となるのでしょう。高い理想と深い愛です。これに倣いましょう。


【む】


118 昔からの地境に手を加え

「昔からの地境に手を加え、その所有者に自分の権利を押し付ければ神の怒りを招きます。」(2.17.4)
「隣人の地境を移す者は呪われる(申27・17)」とあります。大変な苦労をもって踏み固めた先達への敬愛を持つとともに、自らの行いを顧みましょう。他人のものをむやみに欲しがらないように。


119 無垢な人々をいたずらに導く

「無垢な人々をいたずらに導くのは危ういことです。」(2.2.3)
真っ白な布は何色にも染まりますが、その色に染まったら落とすのは簡単ではありません。青が残っている上に赤を染め加えても、赤が鮮やかには発色しません。ただしそこに個性が出ます。多くの色に出会って人が魅力を増すのは確かです。


【め】


120 目は心を表し

「目は心を表し、人間はその心によって事を行います。」(1.5.1)
目を輝かせましょう。自分の心は自分でも見れませんが、目は鏡で見ることができます。曇りのないきらきらした目でみる世界はひときわ美しい。それは心にもよい栄養となります。そしてさらに目が輝きます。ここに好循環が生まれます。


【ゆ】


121 友人や近親者は大切ですが

「友人や近親者は大切ですが、彼らがわたしたちを神から引き離そうとするなら、離れねばなりません。」(2.10.2)
人間はひとりでは生きられません。しかし人間はみな違います。一緒にいたいと思うなら、互いの理想を共有する必要があります。話し込むことです。そこで怯んで諦めてはいけません。


122 緩まず弛まず

「緩まず弛まず、止めることもなく、信仰をもった祈りをしましょう。」(2.7.1)
キリストは「神は、昼も夜も叫び求める選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつもでも放っておかれることがあろうか(ルカ18・7)」と言いました。信じて祈ってこそ突破できるものがあります。信は力です。


【よ】


123 善いものは少しずつ朽ち

「善いものは少しずつ朽ち、やがては消えてなくなります。反対に、悪しきものは次第に勢いを増し、ついには邪さの完成態に至ります。」(2.2.3)
善が衰え悪が盛んになる分岐点はあるはずです。しかしそれを気付ける人はほとんどいません。絶頂のときこそ衰退への備えをしておきましょう。


124 善き子というのは親が

「善き子というのは親が定めたことにただ従うのではなく、自分の行いをよく確かめつつ、親が定めたことに従うものです。」(2.8.1)
○○しなさいと言われた「から」そうする、△△してはいけないと言われた「から」そうしないというのではいけません。理性ある従順と無責任な盲従は紙一重です。


125 よく酔う者は常に渇き

「よく酔う者は常に渇き、大食いする者は決して腹を満たされはしません。」(2.5.1)
人間は飽くことなく欲を持てる生き物です。人間はこの意味で獣より残酷です。しかし一方で人間には理性があります。信をもって立ち帰るべきところを持ちましょう。幼子の純真さに思いを致すことが大切です。


【り】


126 理解できていない言葉を

「理解できていない言葉を使う者がまともに語ることなどできません。」(2.9.1)
言語の限界が世界の限界であるという言葉があります。しかし難しい言葉を弄して己を大きく見せようなどとしてはいけません。率直に語れなくなります。言葉少なであっても、心の底から思いを出すことを大切にしましょう。


【わ】


127 わが子が過ちを犯したとき

「わが子が過ちを犯したとき、愛のある父ならばそれを正すでしょうし、愛がなければそうはしないでしょう。」(1.6.2)
愛すればこそ親は子に厳しく当たります。愛と厳しさは両立します。ただし厳しさが目的化してはいけません。懲らしめの拳をあげるときに、愛の深さと成熟の度合いが試されます。


128 わたしたちが祈りを向ける

「わたしたちが祈りを向ける相手には、わたしたちを救う力が備わってなければなりません。」(2.7.2)
わたしたちの弱さを知っていて、祈りに耳を傾け、わたしたちを救うことができる方に祈るべきです。わたしたちは誰に祈ってもよいのではありません。信頼する相手を間違えないようにしましょう。


129 わたしたちの救いはどなたに

「わたしたちの救いはどなたによるのでしょうか。それは純粋で汚れのない神の小羊イエス・キリストによります。」(1.2.2)
世の罪を取り除く神の小羊。人間が人間を救うことはできません。ただし助け合い憐れみ合い愛し合うことはできます。手を取り合って光を目指す力を与えられています。


130 わたしたちは神によってある

「わたしたちは神によってあるのですから、節度ある美しさに満足を持たなければなりません。」(2.6.1)
外見を飾って自分をよく見せようとすればするほど、内を磨くことが疎かになります。内が輝いかなければ外の美しさに陰りがでます。内を磨いて輝くところに節度ある美しさがあります。


131 わたしたちは自身をよく知る

「わたしたちは自身をよく知るべきであり、他者を蔑んではいけません。」(2.6.1)
聖書にこうあります。「裸の人を見れば服を着せ、自分の肉親を助けることではないのか(イザ58・7)。」わたしたちはみな、大いなる世界に共存しています。小さい存在です。高ぶらず慈愛を持ち助け合いましょう。


132 わたしたちは自分の教養に

「わたしたちは自分の教養に応じて、聖書を理解しようと努力しなければなりません。」(2.10.2)
聖書に書かれていることは他愛のない寓話だと見る人もいます。そう評するのは簡単ですが、その前に深く読もうとしましょう。何事も否定から入っては出会いを狭め成長を鈍らせてしまいます。


133 わたしたちは自分の力だけで

「わたしたちは自分の力だけでは十分に言うこともできず、十分に行うこともできません。」(1.2.1)
人間はひとりではとてつもなく弱く、補い合う必要があります。補い合えるのが人間の持つ力です。そのうえで希望を持って真や善や美という光を求めることができるのが人間の素晴らしさです。


134 わたしたちは救い主の

「わたしたちは救い主の栄えあるみ姿を求め、自身の生を穏健と貞節と節制に向かわせべきです。」(2.5.1)
例えば食事によって健康が保たれますが、かといって飽食に至れば害となります。節度をもってゆっくり噛んで味わってこその五体の強健さです。慎みをもち慈愛と感謝を胸にいただきましょう。


135 わたしたちは適切な節制を

「わたしたちは適切な節制をもって、あらゆる誘惑を断つべきです。」(2.6.1)
財産がどれほどになりどのような立場になっても、それは授かったものであるとして喜びましょう。花が定められたその場で強く美しく咲いていることをみましょう。いまあるところでいまあること自体に感謝しましょう。


136 わたしたちは肉体の死に

「わたしたちは肉体の死に定められていますが、いつ死を迎えるかを知りません。」(2.20.3)
さきほどまで元気に語っていた人が突如として倒れたり、平穏に暮らしていたのに不慮の事故に遭うということがあります。生かされていることに感謝しつつ、時間を無駄に過ごすことのないようにしましょう。


137 わたしたちは必要とするもの

「わたしたちは必要とするものすべてを一つのものだけで満たすことはできません。」(2.17.3)
飢えればパンが必要です。渇けば水が欲しくなります。寒ければ毛布が要りますし、病気のときには医師を求め、落ち込めば友に癒しを懇願します。しかしこれらは枝葉。すべての根である愛を思いましょう。


138 わたしたちは邪さのなかで

「わたしたちは邪さのなかで削がれています。」(2.6.1)
悪しき慣習に従っていて自分が削がれてしまっていると自覚できているのなら、それを破る人になりましょう。他でもない自分の人生のためです。その上でさらにその慣習を打ち捨てることができたら、世の中を変えられるかもしれません。


139 わたしたちはもう古い律法の

「わたしたちはもう古い律法の軛の中にはなく、福音による新しい自由のなかにあります。」(2.4.1)
○○してはならない、より、△△しましょう、のほうが前向きに思えます。言い方ひとつで違いが出ます。ただ注意すべきは使う場面や互いの関係性です。薬も使い間違えれば害になりえます。


140 わたしたちひとりひとりは

「わたしたちひとりひとりは、節度のないあらゆる事柄を避け、質素で適度な食事をしてよく節制を心がけ、心から神に向かうべきです。」(2.5.1)
パウロの言葉によく耳を傾けましょう。「だから、食べるにも、飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい(一コリ10・31)。」


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