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コキ使われてもぉキレた!退職決意からの大収穫。


キレた私の退職届、添え状6300字

【公僕にだって人権はあるはず】

 自腹引っ越し2年おき、タイミング狙って最前線のような部署ばっか。
 福利厚生をぬくぬく超有効活用してる人のすぐ近くで、なんで私はこんなに人権軽視されて、なんで私はこんなに自分時間捧げてずっと頑張ってるんだろう・・・。 
 ぽっきり、心が折れた!
 辞めよう。

 いや勿論、安定の正規雇用身分を捨てるのはハードル高い。
 でもそれより、一度きりの自分の人生だという思いの方が捨てきれない。
 紙切れ一枚に「一身上の都合により」って書けば終われる。

 そう、終わり・・・?それなりの年数を苦労しながら働いてきたのに、紙切れ一枚提出してさよなら?
 添え状って、要するにお手紙だよね。どうせ巨大組織。なんの意味もないことはわかってるけど、文句の一つくらいは言って辞めたい。

 タダでは転ばないのが私のモットーなんだから。
 試しに書き出したはずが無我夢中で綴りつづけ、その一発書きを数週間かけて校正。最終的には約6300字、A4で6枚とかなっちゃって。
 どんだけの積年の想いよ。
 自分でも呆れたけど「ああ、こんなにも吐き出さなきゃダメなとこか。もう未練ないや」とスッキリ。

 周囲からは驚かれひどく惜しまれ、おかげで最後の最後には、なんかすうっと浄化されました。

 その時の思い出と、これからに向けて。
 案の定、華麗にスルーされて終わった添え状を元にここに綴ります。


【まずは勤務先ふんわり説明】

 大学にお金と時間を使うより、世の中の仕組みを知りながら早くお金と自由時間を手に入れたくて。19歳の年から公僕一本。

 国の地方出先機関に所属したため、転勤範囲は県内。
 暗黙のルールで「自宅から公共機関で片道2時間以内」が範囲でした。癒着防止を兼ねてスパンは3~4年といったところが相場なかんじ。

 でも私、平均2年でちょいちょい激しい最前線に置かれることが多くて。人脈広がるし、暇なの苦手だし、飽きっぽいから、ちょうどいいといえばちょうどいい・・・のだけど。

 うちの地方機関は10年もの間、新規採用がストップしてたんですよね。
 肩書なしのヒラ職員が他にいないので私、約8年、同じ系統の嫌われ業務ばっか。
 県南部3ヶ所転勤したところで業務内容はまぁ同じ。まんべんなく色んな業務してる先輩職員もいるといえばいる中で、強制度合がちょっと理不尽。
 期限2年の出向的なことでプチ飛び出すことにして、別系統側から勉強させてもらい人脈も広がりました。

 戻り先として、「片道2時間」かかる筆頭所への辞令が下り・・・以降、理不尽への疑問が止まらなくなりました。
 ・・・今、思えば。

【不景気で忙殺、好景気でも忙殺】

 8年連続で嫌われ業務していた、と記述しましたが。
 ざっくり雑に説明すると、不景気で失業者があふれかえれば地獄の忙しさを味わい、なんなら失業者さんから直接八つ当たりを受けることだってあるような仕事。
(一番最悪だったのは、誕生日一人ぼっちで夜9時頃までの残業かな。リーマンショック期の我々、予算足りずにガチのサービス残業でした。労基法適用されないしね、リアル未払い)

 出向から戻ってきた時には、かのアベノミクスで稀にみる好景気のタイミング。となれば、今度は会社側が人手不足でどうにかしなきゃと血眼になる番なわけで。
 私の今度の配属先、ばっちりそっち側の応対。

 つまり、不景気で忙しい部署に置かれ続け、今度は好景気で忙しい部署に置かれちゃった状態。

 そして3週間前に下された新しい辞令先は「筆頭所」で「片道2時間」。
 片道2時間って、往復4時間。
 初めてアレコレ覚えなきゃいけない業務に8時間費やして、当然のごとく残業もついてくる。
 でも私には一日24時間しか与えられてないし、食事も睡眠も必要で。
 引っ越ししなきゃ倒れそうだったので、大慌てで準備することになりました。

 ところで。
 この場合、異動手当的なものは1円たりとも払われません。引っ越し費用だって自腹です。
 何故なら、片道2時間の範囲内なのに引っ越すのは個人の勝手だから。
 まぁ確かにズルズル実家暮らししてたので。いい機会でもあり、ゴールデンウィークに合わせ転居をしました。

【いざ、私の新しい配属先の実情】

 会社さんからの手続き依頼を受けてそれを処理反映させるまで、一週間かかってました。
「即日」反映すべきところを「一週間」です。普通ありえません。

 電話も凄かった。文字通りに「鳴り止まない」を経験したのは、ここが初めて。コールセンターでもなんでもないのに。
 対応中で出れないし、さっき受電したばかりで次に出たら依頼がさらに追加されてさっきのも処理できない、の悪循環。

 そんなキャパオーバーが発生するほどの好景気でした。
 管轄が決まっていることが、これは裏目に出るパターン。

 本社機能が集中した管轄地の「筆頭所」はただでさえ忙しいのがデフォルト。他の県内支所は届け出数が少ないので、その分、正規職員の配置も少なくだいたいどこも3人位かと。
 対して当時私がいた筆頭所には、正規職員が8人程。普通のとこより3倍近く平素から忙しいと想定されている、といっていいのではないでしょうか。
 しかし!
 この内、2名は病休多用常連者、1名は介護休業中という内容。そこにド素人もド素人の私1名。
 前年度後半からずっと一週間以上会社さんを待たせているありえない状況だというのに、実質、正規職員4.5人レベルでのスタート。

 人事、何を考えたらこんな暴挙に出れる???

 因みに転勤初日、右も左もわからないまま窓口していたのでお昼ご飯食べれたのは15時を回ってからでした。(ストレスで食欲失ってたけど)
 引継ぎは受けても、実務は見様見真似が必須。
 初日は隣の席の様子を伺いながら事務処理をするのがセオリーだと今までずっと思っていたんですけれど。「窓口やってみましょう」って無茶振りされたんですよね。

 その後は危惧してた通り、病気多用常連者が「夜寝れてなくて、朝どうしても起きれない」(いわゆる朝寝坊だよね)だとか「今日はまた別の熱が出て」(しばらく身内で流行りました、この「別の熱」という謎のパワーワード)だとかそんな理由(こっちからしたら「そんな」程度なんですよ)で、月に数回とかしか出勤しねぇ。
 一年度って12ヶ月、半期でも6ヶ月ありましたよね?
 顔、合わせたのって正味3ヶ月未満だったかなー。
 これでちゃんと給与も身分も保証されるなんて、実に最高ですね!

 実際に、ここの通常業務を主に回してくれているのは20名の非常勤職員達。正規職員がこの体たらくだなんて、申し訳なくてしょうがない。
 徐々に慣れ、隙があったら電話を取るようにした私に対して「窓口職員なのに取ってくれてありがたい」って言わせることが、この部署の残念な現実でした。

 同じフロアだけでも、来客者の姿もないし電話もそんなに鳴らないのんびりーとした部署があります。
 でも、全然違う業務ですし、手伝いましょうという申し出なんかはありません。そういう<文化>なので。

 そんな文化の中でしか育ってない私でも、来客者の待ち時間が常時60~90分というありえなさに「内容サッパリわからなくても、とりあえず電話取って御用聞きするとかFAXの依頼内容にマーカーつけるとか、それくらい可能なんじゃないの・・・」と思わざるを得ませんでした。
(例の嫌われ業務だと、だいたい若手が必ず通る道で誰でも分かる内容なので、繁忙期は応援体制が組まれるのがちゃんと一般的です)

【トラウマになったこと愚痴らせてください】

 組織体制としていかがなものかと察してもらえるかと思いますが、この時のこの部署もちょっとおかしかった。

 窓口対応が長引き、そのまま時間外に突入したある日のこと。
 終業チャイムが鳴った時点で、まだギリギリ駆け込んできたお客さんが最後に一人だけ呼ばれず残っていました。
 接客をしていない又は終えた正規職員は、数名いました。
 でも17:30を回っても誰も対応する気配がない。ないどころか、そのまま帰宅準備を進めて姿を消してゆく。その来客者に見向きもせず。
 結局というか勿論、時間外対応をし続けていた私がその来客者をそのまま引き受けました。だって私一人しかいないし。
 同じく異動間もなく実務担当でないためにしたくても応対が出来なかった課長職の上司は平謝りしてくれました。でもさっさと帰宅し翌日これといった声掛けもないベテラン正規職員達には、その点においてがっかりしてしまいました。

 窓口では相談を受けたり届け出内容審査を行い、後方でそれらのシステム入力や二次チェックを行うわけですが・・・。
 入力のし過ぎで腕が痙攣したことがありました。

 なんで腕が痙攣するまで入力作業を私がしたのかというと、例のメンタルで朝起きれない職員がいつまでたっても出勤しないせい。
 そいつ(そいつって言っちゃった)が担当していたはずの専用書類、明日までに必要だったらしく。課長職からご指名で依頼を受け、私が一日で肩代わりしなきゃいけなくなり。
 お客さんの目が届かない後方のシステム席でひたすら、ひたすら、入力。
 夕方、腕が勝手にびくびく痙攣しだして止まらなくて「え、コワ。自分の体なのに自分で止めれない」とびっくりしました。

 正式に病休申請していた職員だったなら、はじめから私が間に合うように事前計画的にやってたのに。さらに代替職員雇えて頭数くらい揃うのに、まったく気が利かない。
 しかもそいつが、初日に私に「窓口やりましょう」って無茶振りしてきた奴!後で聞いたら、自分は一ヶ月近く事務処理のみの甘やかされ待遇で窓口デビュー遅かったくせに、よく開始二時間の私にそんなこと言えたよね?!

 待ち時間や処理時間が異常で仕事が追いつかないこと、腕の痙攣まで経験したこと、定期ヒアリングで所長に相談はしました。
 半期毎に人事異動があるから、その時、ちょっと良いメンバー置いてくれたくらい???(いや普通ぅ)
 うん、抜本的に必要と思われる改善ゼロですね。

 この頃は社畜度高めの私なので、訴えがまだまだ足りなかったのかもしれません。
(因みに論点がズレるのでここではつまびらかにはしませんが、国の業務システムがお粗末すぎるのがそもそも大問題なんです。
 IT系の会社さんとかに「実はこんな処理してるんですよ」って話して何度目を点にさせたことか・・・だって、関数の一つも入ってない手作業レベルのよなシステムなんだもの。処理が遅い!と怒りたかっただろうに、逆にめちゃ同情させてしまった) 

 こんなメンバーこんな組織体制でどうやってモチベ維持したかって、やっぱり頑張ってくれてる非常勤職員達をこれ以上失望させられるかッ!っていう意地でした・・・。

【地獄から一転、でも】

 うちの組織は、異動内示を二回に分けて行います。
 最初に、中間組織の人事係が各支所への転勤を決めます(○○支店的な) 
 そして翌週、各支所長が内部での配置を決めます(○○課とか)

 ヒラ職員の一般的な異動スパンは3~4年。故に、地獄のような部署を1年やっと生き抜いただけの私は「次の2年目こそ、凡ミスをもっと減らして効率良く回していこう」と自分を奮い立たせていました。
 だいたいお昼前に異動対象者が、役職順に所長室に呼ばれます。
 下っ端ヒラが呼ばれるのは遅めの時間ですが、まぁ私には関係ないこと。いつも通り窓口業務を粛々と行っていました。
 が、ふと接客が途切れた時、次長が私に所長室に行くよう声を掛けてきました。
 こんな時間だけど内示の一週目にそこへ呼ばれるということは・・・?!なわけです。「は?!嘘でしょ」と失礼ながら二度見のうえ素で叫びましたとも。

 この地獄から、1年だけで解放されるとは思ってもいませんでした。

 次の行き先は、当県の各支所をとりまとめる中間組織。
 実家との行き来がしやすい私鉄沿線上に引っ越してた私としては「うーん、なんで真逆のJR沿線の方にたった1年で異動なん・・・」とちょっと複雑な気持ち。(渋滞で時間が読めないバス通勤だし、早起きしないといけなくなる) 

 とはいえ、この次の仕事が人生で一番楽しかった!
 何故なら同期と席を並べて、年の近い同僚ばかりの部署。しかも業務内容は、私が出向先でやってたことの延長線そのもの。
 出張多いの面白いし、残業なんて生じないし、メンバー最高だし。毎日笑い転げながら仕事出来るようなとこ。

 勿論、だからこそふと思ったんです。
 ここまで圧倒的な差があるの、おかしいよ。と。

 腕が痙攣するほど入力しなきゃいけない仕事場があるのに、ここみたいに実は暇すぎて困る時間帯がある仕事場が実在するとか。
 人事異動でまんべんなく定期的に入れ替わるのが約束されているならいいけど、絶対に人事には偏りがある。
 暇なとき「あーあ、(前の業務システムにアクセスできる)権限があるなら前の部署の手伝いするのにな」「私が地獄をみてた時、のほほんと天国を味わっていた人が本当にいるんだな」と何度か心の奥で思っていました。

 私、誰かだけが明確な理由なく割を食うっていうのが心底嫌いらしい。

【幸せはほんのひと時】

 とはいえ、当然なるべく長く今の部署でぬくぬく過ごしたい。
 最低でも3年はここに居座りたい。そう思っていました。

 ここに来て1年と半年経った異動内示の日、隣席の同期達と別室に呼ばれていく人をそわそわ見送っていました。あそこの後任誰だろうね、あぁあの人も結構長かったから呼ばれたね、なんて他人事ひとごとで話していたら。

 なんと自分も呼ばれてしまいました。
 オアシスからの短期間での強制退去、すごくショックでした。
 しかも行き先を告げられさらにさらにショック。

 県南部で「陸の孤島」と言われるほど、公共機関が不便すぎる支所だったのです。
「あれ、地元方面を希望していたよね」と土地勘のない上司は落ち込む私に言いますが。
 実家からだったら車で30㎞・40分程度で、以前所属もしてた大好きな支所ですけどね!今の住所からだと50㎞離れていて、公共機関を乗り換えみっちり2時間かかるようなところなんですよ!
 私鉄沿線にわざわざ自腹引っ越ししてるんだから、私鉄沿線上にある他の2カ所の支所どっちかでもよくない?!あえてそこ?!

 そして翌週の内示の日、想像していた通り例の嫌われ業務に完全に出戻ることも決まりました。
 なにも同じ支所でまた同じ仕事させなくてもいいじゃん。

 唐突に私の一人暮らしは強制終了。とりあえず、自分の車を置いてきている実家に戻った次第。
 勿論、自腹で。

【本省に火ィつけてやろうかと本気で思った不信業務のこと】

 実家には可愛い可愛い猫がいるし。
 県南部はお客さんも穏やかだし、良い場所だし。出戻りの私を、馴染みの非常勤さんや常連者さんがすごく歓迎してくれたし。初めて直属で年下の後輩だって出来ました。(この頃からやっとまともに新規採用が再開)
 気心知れた雰囲気の中で、手慣れた仕事を楽しくやっていました。

 けれどここにいる時に、とある新規業務がふってわいてきたんです。

 統計収集に、不適切な処理があった。
 その統計を元に支給額計算方法が決められていたので、つまり国民への支払いまで不適切だったということ。
 ついては不足額を国民に支給しなければならない。

 関数入れたエクセルシートならあるから再計算と再支給よろしく!あ、問い合わせ対応も管轄そっちでね!ってくらいのノリで、我々下部末端組織に本省がまるっとぶん投げてきました。
 唖然。
 うちの組織でなんで嫌われてるかって、お金が絡む重要で面倒でメンタルにきやすい忙しい業務内容だからですよ。
 よりによってそんな部署に、こんな途方もない丸投げ新規業務を増やすと?
 そりゃこの部署の持ち分だし、本省がまとめて全国再支給するには困難が伴うでしょう。でも、人手もシステムも窓口も満足な状態じゃない末端部署にとってもそれは無謀すぎる。

 さらに、中身である不足額に唖然。
 なんとなんと、10円前後の国民がザラ。
 つまり、不適切処理の統計ではあったけどたいした誤差のない精度だった。私らの感覚でみて、100~500円の追加支払いがあれば「高い」方。

 本省が、対象となりえる全国の受給経験者に「不足があるかもしれないから(うちじゃなくて管轄で)確認してね」程度のハガキをお送りするとのこと。
 不足額を明示して万が一本人以外が見たら個人情報漏洩、的な思想背景があるらしい。そもそも同一人物のデータが一本化されてない場合(氏名変更含む)が多く、明確に提示出来ないのでそのハガキには「あなたの不足額」は記載されていない。
 フタ開けたら何十円とかの世界なんだけど、そりゃ皆、目を輝かせて問い合わせてくる。不適切処理に無関係な私達の窓口に。
 「ガソリン代/電車代、いくらかかったと思ってる?!」と怒鳴り散らされる未来しか見えない・・・。

 いや、だいたい、今日びハガキ代の方が高けぇじゃねぇか!!!
 あと、うちらの残業代という人件費もすげーかかるからな?!

 国民の皆々様には申し訳ないけども、こんな経費内訳、税金の大大大無駄遣いだと思うんです。
 私は「これこれこの通り差額支払いには莫大な経費がかかるため1000円以上の差額が生じた方のみ対応しますくらい言って、見せしめに大臣の首でも切っとけ!!」と職場で何度叫んだことか。

 給付金の種類ごとに段階を踏みながら、とにかく進めていくことにはなりました。
 全国民に1円だろうと払うというご立派な誠意のために、専用端末PC・業務システム導入や臨時職員の増員なども行われました。(これまたどんだけ経費かかったんでしょ)
 脱線になるのでここで細々こまごま晒しませんが、呆れた実情を一つだけ例に挙げさせてください。

 対象者情報・金額・口座登録・支給記録等が出来る管理用の専用業務システムが導入されるなら、当初計画でイメージしていたエクセル管理よりはマシになるかな・・・と思っていたんですけど。
 うちの弱小本省のITセンス(?)と予算のなさを舐めてちゃいけなかった。

 時は「令和」を迎え、はや数ヶ月経っているというのに。
 なんとこのポンコツ(ハッキリ言っちゃった)システム、元号が「明治~平成」しか対応してない!

 明治生まれで対象者なんていないし、絶対使わねぇよ!!支給記録入れるとき平成32年とか33年?!(因みに個人的に和暦併用文化が大好きなので、西暦に統一しろというツッコミはしない)
 これが国のやるIT化の一端ですか、情けない。
 急拵えなのはわかるけど、元号一つまともに用意できないとか準備不足もいいとこ。代わりにやってくれる現場の人間をバカにしてるようなもん。  
 一応、私が再びの転勤でこの業務から離れてやっと、令和が使えるように改修されたらしいですけどね。

 お粗末すぎるレベルの丸投げにキレ散らかして「ねぇ私、明け方にでも本省に火ィつけに行ってきていい?なんかこう施行の証拠書類的なやつごと燃やしたい」と過激発言しまくってたので、同僚や部下たちをドン引きさせたことでしょう。
 仕方ないので他の支所の担当者と情報交換しながら(転勤が多く顔が広いとこういう時にはとても役立つ)、誰がしても漏れやミスが少なく合理的に業務が回せるように、やれるだけの工夫と準備をしたつもりです。 

【行政ってなんだろう・・・】 

 それにしても。
 対象者を限定したところで経費は生じるから、1円支給にしても誤差の範囲だったんでしょうか。
 試算まで現場におりることはないのでわかりませんが、私には10円単位の差額支給のためにハガキ送付・全国の支所にPC設置・臨時職員や残業を増やしたり、それらがよっぽど税金の無駄遣いに思えてなりません。
 私が受給者だったなら1000円以下なら確実に「どうぞ国庫に入れてて下さい、いりません」って言う。それよりちゃんと集めておいて、もっと意義のある使い方してほしい。
 実際、差額をお伝えしたほとんどの来客者さんだって「わざわざ」という言葉で表現してくれてました。
 なにせ現場に出向きもしない真意を伝えもしない本省官僚や政治家どもなんで「やることやった」つもりなんでしょうかねー?

 1円を嗤うという話でなく。まつりごとを行うにあたり、誠意の見せ方がこれって果たして最適解なんでしょうか?

 当時は好景気で財源にゆとりがあったのが裏目に出たのか。
 大臣の立場、ひいては政権を守る一端になったのか。
 詳細知らぬ民意は是だったといえるのか。

 このわけのわからない新規業務は、私に「こんな税金の使い方の片棒を担がなきゃいけないし意見の一つも届かないのか」という明確な不信感を与えてくれました。

【また振り回してくる横暴人事】

 試行的に段階を踏み、いよいよ広範囲の対象者にも差額支給を開始する。
 そんな本格始動のタイミングで、またまた私は所長室で内示を受けることになりました。
 再び二重のショック。

 また、前回と同じ中間組織に出戻ることになったのです。

 コロナという新種の疫病流行がチラつき始めた3月。
 中間組織の中でも企業にお金を払う課への転属。こういう時、一番荒れる部署なんです。

 ってゆーか、すぐまた2年程度で中間組織に出戻るんだったらこんな公共機関ハズレの僻地に一回わざわざ飛ばす必要あった?!!!
 だから私鉄沿線にしてくれてたらさぁ!!!なーんーのーためにー私はぁ実家に戻ったかぁご存じでない?!
 こんな短期間で広域転勤するヒラ職員が他にどんだけ実際にいるかな?なんで私ばっか狙い撃ち?!
 今思い返しただけで取り乱すほど怒りがわく。

「ああ、私だって家族もいるし身銭を切らなきゃいけない人間なのに。血の通わないただの駒にしか見られていない」と失望確定しました。

【コロナ対策で忙殺】

 ここでの仕事はエピソードの宝庫すぎて、どこをどう切り取ったらいいのか迷うほど。

 業務に精通した同僚のおかげで、一週目位はほぼ残業せずに帰れてはいたんですが。
 ゴールデンウイークに再び引っ越せるまで(準備出来たのは母のおかげです、感謝)は、6時に起きて21時過ぎに乗り換え帰宅してやっと夕飯にありついて入浴したらすぐにでも寝てまた6時に起きて・・・の繰り返し。
 プライベートの時間なんてない無機質な日々。
(因みに、家に帰るのが週に1回程度の猛者もいたんですよ他県では・・・信じられない。今すぐ反乱起こしていいレベル。)

 コロナのための特例業務。
 母体となる本来の制度上、我が県の平時の「年間」申請数は10件程度。
 それが、たった「一日」で400~600件の申請が届くようになりました。

 こんな仕事量、どうやって追いつけと?

 すごいんだ、うちの組織。正規職員の配置人数、一切増えない。
 他の制度がメインにあって、一年で10件のそれらを回していただけの人数なんですけど。一日で400件以上になろうが仕事量変動なし扱い?
 数ヶ月かけて臨時職員は100人ほど増員されましたけどね。
 一番欲しいのは、自主的に動いて判断・結論が下せる同格の正規職員なわけで。
 そっちに予算割いてよ。そもそも暇な部署・支所、ぶっちゃけあるんだからそこの頭数を奪う英断をするだけ。どうして出来ない?

 だいたい、母体制度を突貫工事でコロナ特例化するのでいわゆる「改正」が発生します。
 80ページくらいの支給要領だったと思いますが、その文量相当の新しいルールをこちとら<申請者にわかりやすく説明出来るように>叩き込まなきゃならないんです。
 突貫工事のあまりに不都合が続出。
 前代未聞の「毎週改正」が発生。(普通、こういう改正は多くても年一。本省の担当者もとんでもない地獄だったでしょう、ご苦労様です)  
 文字通りの「朝令暮改」の押し付け。毎週変化する新ルールに翻弄されながらこの件数に対応しろと。

 電話回線なんて、勿論パンク。
 別棟にある会議室に電話を増設して、ローテンション組んで非常勤職員が対応。回答できないものとか炎上した困難事案は正規職員にあがってくる。

 書類は、へたしたら段ボールで嵩張るほどに届く。毎日毎日毎日止まることなく少なくたって400件は届く。
 書類を広げる場所は元々でも足りてないくらい。
 作業台兼昼食会場だったスペースは、たちまち書類置き場に。
 我々、お昼ごはん食べる場所さえ奪われて。飲食店はコロナのせいで閉まってたりするし、空き会議室がなければ建物内のどっかか近所の公園か、そんなとこ見つけてやりくりするしかない。

 どうにかこうにか臨時で近所の貸しビルの一室を借りれるようになっても、やっぱりうちの組織って予算ないから。
 なんと、契約してるのはお安い「月~金の間」だけ。

 つまり「土日の間、この部屋は原状回復すべし」なわけ。  

 月曜日になったら山のような書類を台車に乗せて貸しビルに大移動。紛失に万全の注意を払いつつ、事務処理が出来るように広げてセッティング。
 金曜日になれば山のような書類を台車に乗せて確保したどこかの空き会議室(←合同庁舎なので上司が毎週どこか探し出して予約手続きをしている)に大移動。紛失に万全の注意を払いつつ、また展開しやすいように収納する。
 雨の日はビニール袋を活用して濡れないように工夫して。
 毎週、毎週、半日はこの大移動で終わる。

 馬鹿か。
 時間がいくらあっても足りんわ。
 この一大事に、ホントに予算と主要人員の使い方これしかないん?

 応援体制が組まれて、毎週、十数名の県内の各部署各支所から手伝いに来てくれる。
 けど、毎週顔ぶれが変わるということは毎週イチから指示説明が必要だということ。

 何の時間よコレ。
 っていうかもはや休息時間かな。
 書類の中身のこと考えなくていい、ただの肉体労働だったし?ゆっくり喋れずとも、久しぶりの懐かしい人に会えたりもしたし?

 さらに翌月頃、正式に借り上げる用のビルが決定。
 つまり今度は、引っ越し業者に渡せる状態にするための作業発生。ファイリングさえまともに終わっていないのに。
 そして本格的に増員した臨時職員もそちらに投入。(ここに至るまで、上司たちは求人を用意し面接をひたすら行ってました。なんなら私程度のヒラ職員が頭数で面接官するっていう、本当の非常事態)
 何もかもが初めましての新規採用の一部臨時職員60人位?への初日の指示出しは、私に一任され。
 2棟建ての本庁舎・新規採用者説明会場ビル・月~金貸しビル・借り上げビル、いずれも400メートル範囲内でしたが。その初日で指示出しで奔走してグッタリの私、ゆうに2万歩以上動き回ってましたwww
 事務職公僕でこんな歩く?!(メイン担当だった先輩は、毎日がこの歩数でしたけどね)

 借り上げビルへの搬入が整い、徐々に新規採用勢に任せられる範囲が増え。徐々に正規就業時間でやっと自分の本来の持ち仕事に時間が割けるようになりました。ふぅ。

 大量増員メンバーの何人かから「えっ、私達の直接の上司じゃなかったんですか?!説明は声も通ってわかりやすいし、頼れたのに」と言ってもらえたのは嬉しかった。

 でもね。
 私はじめ4~5人の職員って、本来、全然別の制度担当なんだ。
 コロナ特例を、課内総出で役割分担してただけ。
 言うなればこれまで8時5時までは応援業務をして、自分の本来業務を時間外にやっと始めていたような状況。
(私の場合はほぼ3カ月以上、メインは同僚任せでしたが)

 しかも私、2種類の制度持ってて・・・。
 引継ぎの時、顔馴染みの大先輩と若手の二人から説明受けたんですよね。
 私はちょうど中堅だし、異動タイミングで持ち仕事の再配分をするのはよくあること。だから、二人から部分的に引継ぎを受けたんだとそう思っていたんですよ。
 でも実は、若手枠がコロナ特例担当係に<増員>されてたの、後から気が付いて。(係り内の増減だから課として±0)
 単に二人相当分やんなきゃいけないやつじゃん・・・!またか!(そう、腹立たしい事にこういうの初めてじゃない私)
 大先輩がそのままスライド昇進なさってたから凄くサポートしてもらえたし大ベテランの非常勤職員がいたから良かったけど、それ無しだったら詰んでた。(最終的には、今後のためを考慮し隣の班に移管交渉成功)

 元々いた非常勤職員達も、上司も、同僚も、どれだけ苦労し疲弊したことか。筆舌に尽くせません。感謝しかない。本物の、私の戦友です。

【不正の温床への嫌悪感】

 コロナ特例の朝令暮改がすごかったこと、もう少し曝け出していいですか。

 本来、うちがやってる助成金は未納がない事業所に支給するものです。
 でも前代未聞のパンデミック。労働者と雇い主負担の某料金、払っていない事業所にも支給する仕組みが追加されました。
 納めている事業所への支給は、経済らしく<回る>というもの。それを納めてない所にまでも支給するとか・・・<足りる>と思います?

 まぁいかにも日本の政治の<平等>らしさを煮詰めたかのような。(私はこれを「足の引っ張り合い平等」と呼びます。悪条件の方にしか合わせないから)
 当然のことながら、失業・倒産を量産しないための策は必要です。

 だからこそ!そちらさんには別の臨時制度を用意すればいいんですっ。
 某料金未納が無いこと前提に構成された制度をいじくりまわすから、おかしなことになるわけ。
 ややこしいから素人には理解してもらえないし!(労働者を使ってる事業主が、労基法等のさわりをここまで知らないことに恐怖を覚えたのはまた別の話)
 似て非なる物にくっつけて押し付けるからうちの県だけでも一日で400件越えになって、即赤字になってくんだって。

 真面目に納めてる実在の人達が差し出してるのはお金だけじゃない。なのにこんな無理くり特例、書類だけ用意したら架空請求し放題!
 はい、私の一番ムカつく不平等の出来上がり。

 届く書類の開封作業仕分けを主に手伝っていた私と同僚ですが、そこそこキャリアあるんで。うさんくさい申請、開封してるだけでもなーんか察するものあるんですよ。
 明らかなら不備でハネれますが。。。
(自分の持ち仕事でも、帳簿の動きが怪しすぎて裏取りに追加書類用意させているあいだに他県で本社に不正処分が下されて、やっぱな!ってことがありました)

 またしても「こんな無能な税金の使い方の片棒担がされるのか」という仕事内容でした。私には。
 不正受給処分はこれからも続くでしょう。メインニュースにならないだけで、落ち着いた今が処分時なので。
(年に3兆も払って。その中から不正発見して回収処分するのにどれだけの労力と経費がかかるか、想像しただけで吐きそう。不正申請のせいで、本来支給すべき所への入金が後回しになるんだ)

コロナで変わったこと

【リモワで気付いた惨めさとか】

 コロナで、時差出勤とかリモートワークが推奨されましたよね。
 うちの組織もやってました。私達だけには何の説明・弁明もなかったけど!

 別の課や下部組織の各支所ではリモートワークという名の自宅研修してるらしい、なんて職場結婚してる職員だったり各地の仲良し職員からそういう噂がちゃんと流れてくるんですよ。
 個人情報管理の厳しく窓口ありきの<役所仕事>がリモートなんてまずやりようがないし、持ち帰り可能PCなんて限定的なので、本当にパフォーマンス的にごく一部だったろうとは思います。

 でもそれらの何が私らを刺激したかって「可能な職場の人にはこういうことしてもらっている。でも、君達にはこの対策事業のために引き続き現場出勤をお願いしたい。(=悪いが、どうかやってくれ頼む)」っていう説明を組織がしてくれなかったことなんですよね。

 こんなにとてつもない業務を担ってるのに。激励どころか声掛けすらないとか。そんなに我々には労働者としての配慮がいらないってことですか。
 罹患するかもしれない人間とは見てもらえない、ただの駒扱いを再び痛感。

 繰り返しの恨み節になりますが、こちとら得体のしれない疫病蔓延の都市部に出勤、そして過労状態なんですよ。
 仕事行かずにのほほんと(?)家で資料読んでるだけ(?)で給料もらえるとか。
 そんな現場出なくても回るような仕事しかしてない奴ら、特例業務の要領の一つでも家で読んでからこっち手伝え!封筒開けるだけでも書類整理だけでもいいから!と逆恨みしましたね。
 実情がどうだったかは、説明もないから知らんけど。
 通勤しなくていい同格職員が現実にいるのに自腹引っ越しまでわざわざしてる私、なんて惨めだろう、って心底思いました。

 通勤のこと一つ取ってもメリット・デメリットやリスクだとか、本質のようなものがコロナによって浮き彫りになったと私は思います。
 そして「働く」ことの手法枠が今までのイメージから確実に変化していく、変容対応力が求められる時代の流れのようなものを肌で感じました。

 実際に<役所>がリモワするにはセキュリティ以前に、受付の仕組みから設定し直さないと進めようがありません。
 ここに対応出来るか否か。
 これから確実に頻発する大災害時においても確立しておくべき事だと思います。でも、旧態依然な行政の限界を実感する日々。

 これまで通りの前例主義・場当たり対処療法しかできない行政組織。
 なんなら労働分野を取り扱う組織でありながら、直下の労働者の心の動かし方もわかっていない。

 変化するには巨大で老齢でどうにかなるレベルじゃない。
 こんな泥船みたいなとこにいつまでも献身してる筋合いないな。並み以上の仕事ばかりさせられたおかげで、それなりの経験はすでに積んだし。
 辞めた今、偉そうに言語化するなら、私はそんな風に自分の組織を冷めた目でジャッジしていたのかもしれません。

【旅行に行けなくなった代わりの趣味うるおい

 ぶちぶち文句ばっかり言ってますが、有給取得しやすい職場なので私はおかげで趣味の旅行もいっぱいしてきました。
 けれどコロナで外出自粛。

 趣味:旅行が一切出来なくなりました。年に4~6回以上は国内外あちこち自由に出回っていたというのに。
 なんなら新幹線も空港もすぐ近くの超好立地な繁華街に越してきたというのに。店も閉まってばっかだし。

 もうひとつの最大の趣味:書籍やマンガの読み漁りも、実家(←※父だけでも4万冊所有してるちょっとおかしいヲタ家)じゃないし図書館も近くにないしで一気にペースダウン。

 転勤3カ月は前代未聞の怒涛の忙しさに目を回していましたが、もうぼちぼち趣味じゆうじかんがないと生きる楽しみがなくてやってられない。

 ずっと頭が冴えた状態が続くし、安眠してないし、起きると身体がガチガチで痛いし。
 帰宅後でもこんなに気を張りすぎて緊張を解くことが出来てないとか、非常にマズイ兆候。
 愛しい飼い猫を撫でながらボーっと過ごすことも出来ない今。趣味に没頭して、仕事のことを忘れないと壊れてしまう。

 数年前、いわゆる推しCPにドハマリしてたときはめちゃ充実してた。あの楽しさ充足感よ、再び私にうるおいを!
 そう願いながら気になるマンガを電子購入したら、好きキャラと無事に出会えました。
 そして原作を読んで2次創作に浸って早1カ月。土日に時間がある今、自分でも書いてみようかなと思い始め。

 というのも私、学生時代は小説家になりたくてずっと1次創作をしてました。社会人2年目頃には小さな賞をもらって記念の自費出版はしてみたけれど、何か発展・継続することは当然なく。
 仕事や旅行に時間を割くことが増えて、そのままフェードアウトしてしまっていた状態。

 初の2次創作、久し振りに創る文章。過去のオリジナル公募とは違う、ネット投稿。
 反応が目に見えるとこんなに嬉しいのかと気持ちが潤いました。
 SNSでの繋がりも広まって、仕事で時間取られるのがかえって嫌になりましたけどwww

【あと、占い始めた】

 急に「占い」って何事?!ってなるかもですが。
 テレビ不要の一人暮らし、占い動画とかをPCで流すことが多くなり。そうなるとオススメによく上がる。
 色々と疲れてたのでなんか藁にも縋るかのように、定期で見るようになりました。

 聞いてもすぐほとんどを忘れる性分ですが、元来が不思議大好きな私(怪談含む)。何度か対面で占ってもらったことがあります。

「勘がすごく強いでしょ?次に相手がなにを言うかわかってたり」とドンピシャ指摘の信頼できた占い師さん、ざっくり要約すると「上位の人は読まれにくいから、占ってもらってもピンとこないことが出てくる。あなたは占う側向きでもあるから、夢日記とかつけて訓練したらいい」的なことを言ってて。

 日記つけるほど夢を覚えていられない残念な私ですが、なんとなくその言葉は残ってました。
 初詣では狙って大吉を引いてたし(『神社での不思議体験』参照)
気に入る絵柄のカードが見付かったら試してみる?と思い立ち、本屋に二度ほど通いました。
 それからは細々とルノルマンカードで遊ぶようになり、こちらも私の新しい趣味になってくれました。(そして引きの強さを発揮中)

【辞意、芽生え】

 2次創作で書き手になったことで、フォロワ―さんとの交流が活発になりました。コロナで引き籠ったはずが、かえって日本の北から南までの様々な人達と繋がり盛り上がれるなんて。
 通話アプリやWebイベントなど新しいコミュニケーションを体感し、プライベートの閑散とした淋しさが埋まりました。

 自分の世界が開けていくようでした。
『大英博物館マンガ展の思い出』(参照)でも記したように父が界隈ではちょっと知られた古本コレクターで、弟とは管理・活用をしなきゃねと何年も前からずっと話していたわけだし。

 旧態依然な組織からは長年ヒドイ扱いを受けてヒドイ仕事のオンパレード。もうくたびれてしまった。
 そこに新しい世界の片鱗があることを知り、実家にある”文化遺産”を思えば、必然的に「辞職」は私の中で確定事項となりました。

辞める辞めないの道すじ 

【自分に言い聞かせたこと】

 福利厚生がしっかりした公僕。勿論、辞めて失うものの大きさに不安がなかったわけではありません。

 でもこんな風に一部の働きアリだけに丸投げして、現場ミリ知らで数値ばっかり気にする組織。
 明らかに、頑張ってしまったら大損する仕組み。

 だって前まで二人いた現場で働く私とか、つまり二人相当の仕事量こなしてやっとこの安月給ってことでしょ?
 高卒枠でスタートから低く見積もられてるから尚のこと、仕事できねぇ大卒枠どもに比べてとっても安価。
 冒頭で『公僕とは、何故か政治家の人件費削減のかっこうの生贄えじき』と書きましたが。3.11が起きた時、私達の給料ってなんと遡って減額されたんです。事後法が通るし、働いてたのに減給されるような危険な立場。
 同じ安月給なら再就職してそこそこの仕事してた方が、単価でもう元取れるよね・・・と考えてしまいます。

 くっだらない愚策「業績評価(人事考課)」はただAとBを繰り返し順番に付けてるだけで中身ないのに、無駄に時間取られるし。査定期間にずっと休んでる職員だって同じに昇進していくとか、何が同じなん?!
 休むやつを課長係長にして仕事が回るか!他の人が仕方なく穴埋めするから回ってるのにBですか、そうですか。カバー頑張ったせいで病んだ職員がいても原因解決しませんか、そうですか。
(私は断然、公僕の普通解雇推奨派)

 やりがいがあるから頑張れてたことも、ここ数年は、目に余るほど場当たりでビジョンのない政策が続く。
 行政業務のよりよい組織運営ではなく、組織維持のためだけの組織運営。
 マンパワー頼りのくせに、そこに胡坐かいて平然としやがって。
 予算も人員も、効果的とは到底思えない。

 目に見える手当支給や耳に聞こえる激励すらなぁーんもしてくれない組織だけど、これでも私は私なりに背伸びして頑張ってきた。
 いよいよ味わうのは虚無感のみ。
 これ以上、気持ちを搾取されてたまるか。

 コロナ特例に関わっている間は、この戦友たちと乗り切ることに全力を傾ける。でも次に異動したら、次の人生の準備にあてる。
 繰り返し自分に言い聞かせて、過酷な業務量をこなしていきました。

【最後の大仕事と転勤】

 この部署で2度目の年末。会計検査受検が決まり、業務量倍増が確定。
 コロナで前年度やれてないことから、今までの手法も大きく変わってまたもや前代未聞発動。(このネタだけでも一本長文が書けるし、ちょっとした裏側を見た気分)
 同じ名称のくせに毎年全然違うルールになる複雑制度。これを数年分担当しろとか、事業所担当者を立ち合わせろとか、大当たり年もいいとこ。
 体よく実験台にされながらも、皆の協力でどうにかこうにか。
 でもそこで気が抜けたのか、私は数年ぶりに風邪を引きましたwww(コロナはちゃっかり陰性)

 2年も戦友たちと一緒にいて、仕事も慣れて、これから本腰入れて溜まりに溜まった持ち仕事の軌道修正がやれるタイミング。
 まぁやはり辞令が下ります。

 どうせブン回されるならいいとこ住んでやる!と好立地に越してましたから、それなりに覚悟はしていましたが・・・県下で一番駅から遠く客層がちょーっと悪い支所行き。
 ただ一応、いわゆる花形業務の担当。
 これ、ささやかなご褒美人事?でも、未だかつてその支所希望とか出したことないし、通勤経路考えたら特段嬉しくもない。
 第一こっちの仕事が楽しくなってきたところだから、せめてあと半年待って欲しかったのが正直な気持ち。

 3/31は、この部署に対する思い入れが強すぎて、挨拶で大泣き。
 しかも部下や同僚・上司がいろんなお餞別用意してくれてるんだもん、持って帰るのに腕がもげそうなほどにいっぱい!
 私が来てから殺伐としてた雰囲気が明るくなった、ヒマワリみたいでした、ってすごく嬉しい言葉も頂戴して。
 夜には1年目の時の上司がわざわざ「お疲れ様だったね」と労いの電話してくれるし、プレゼントの山を前に、部屋で嗚咽しながらの大号泣。

 翌日すぐに新しい支所出勤。なのにうっかりIDカード忘れる始末。(新しく発行してもらえたし、私だけじゃなかったのが救いwww)
 数日後、例の占いカードで「忘れ物注意」がドンピシャ出てたことに気付いて爆笑www遅いーwww

【再会と無意味だった相談】

 この新しい支所では、思わぬ再会がありました。
 好景気で激務だった時に病休多用でほとんど顔合わせなかった二人が、それぞれ係長だとか課長になってました。

 ま、昇進したところで特に変化なし。いつも通りまともに出勤しねぇ!
(二人とも、出勤してきたら業務知識しっかりあるのに勿体無い)
 自主降格やれるのに・・・どこまでも面の皮が厚いんだ、こういうタイプって。組織もパワハラ訴えにビビってんのか、単にこういう人たちが可愛くてしょうがないのか降格推奨しないし。
(可愛いわけあるか!と即否定する役職面々が浮かぶ。でも、だからそれをヤルのが責任者でしょ)

 ベットタウンを管轄する支所なので、例の嫌われ業務の件数がえげつない。
 花形業務にいる私達世代などはそこの応援に半日駆り出され、組織運用の尻拭い。育成下手が如実に現れてますね。
 2ヶ月弱、自席にほとんどいなかった。別にいいけど。
 でも内容として、ここまで甘やかす応援体制見たことない。私ら世代、こんなにしてもらったことないがー。(裏方と若手、内線電話すら平気で無視とかどういう教育方針?)

 これらトータルの実経験から、間もなくの辞意を固めている旨はヒアリングで所長に名言し希望調書にも明記。
 退路を断って、独立へと自分を動かすように。人事配置で急に困らせないように。

 最後に2年くらい、初めての花形業務を勉強して去る腹積もり。
 新しい事業がどさっと私に回ってきたので、マニュアル的なの作ったり(かのマイナンバー関係含みます。あれ、政府の思惑と弱小省庁のせめぎあいが透けて見えて鼻で笑った)なるべく跡を濁さないように用意しました。

 その用意が良すぎたのか、顔が広いのが仇になったのか・・・。
 内部配置の異動発表日、気を抜いてた私はまたもや所長室への呼び出しを受けました・・・。

 唖然。
 ま、また、たったの1年で基礎ならした仕事取り上げられるの?!
 もう3年以上いる人とか経験豊富な人とか他にいますけど?

 同じフロアだけど、またまたとある給付金を扱う部署行き。
 辞めたいのに、また初めての制度新しく叩き込まなきゃいけないの?私。しかも人間関係円滑にしてさらなる業務改善をよろしくと期待されてしまいました。
(ここで初めて(そう初めて)所長の配置意図をきちんと説明してもらって、ちゃんと言ってくれることに感動したかったけどショックでかすぎて入ってこないのよ)

 わざわざ独身女性が公僕を辞めて無職を選ぶわけない、と頑なに信じてもらえなかったのでしょうね。
 優しい所長でした。最後に「本当に辞めたくなったらすぐにいつでも相談してね」と声を掛けて下さり・・・。
 もう相談していたつもりの私は笑って聞き流し、定年退職をお見送りしましたとさ。

【荒れ狂う暗澹たる日々】

 ろくに花形業務してないし、来たばっかりの私だからこそ新規事業一通り引き受けて色々下準備もしたのに。
 新しく担当する給付金、なんと昨年夏にむちゃくちゃな制度改正でぐちゃみそ状態になってた。
 地獄。

 わからん・・・。専門用語がまるで日本語を成していない・・・。
 辞める気満々でまともに入ってこないせい、が一番の要因かもしれないけど。
 事実、支所業務の中では特に難しいと誰もが口を揃えて言います。
 複数部署の取り扱い内容を網羅したうえに成り立つ仕組みなので、まぁ高度に複雑。しかも建前を大事にしすぎて、事務処理がとことんアナログ不合理。リアル手作業が多過ぎ。
 要領読んだところで窓口見学したところで決裁したところで、いつまでたっても点と点が線にならずにどっちかってゆーと点がぼやっとしてて消失しそうになる。

 初めてでした。説明してもらっても、かえって全体像の謎が深まって呑み込めないって。
 高度に複雑でアナログなために、窓口の待ち時間もひどい。(因みに、とある申込件数では日本一を記録。忙しさをお察しください)
 でも高度に複雑でアナログなので、気軽に応援が望めない。

 いろんな感情ないまぜで、3月下旬から5月まではめいいっぱい怒り荒れ狂っていました。
「もー私、辞めるから!」を宣言しまくり「なんなんこの制度、利用するだけ無駄でしょ」だの暴言を吐き、部署内の不安を煽ってしまい。
 新しい所長から個別に呼び出しをくらいました。 

退職、半年早まる

【やっと信じてもらえた】

 大きな声で言い過ぎな旨、お叱りを受け。確かに周囲からしたら不安になるのも当然だと承服。(そのくらい余裕を失ってた)
 でもやっとこの新しい所長が、私の話に耳を傾けてくれました。(これぞ傾聴)
 今までの納得のいかなさを存分に喋らせてくれたんです。もう号泣。(病みかけとる。この日から何回か、部屋で突然こみあげてきて何回かぐしゃぐしゃに泣いてましたwww無理してたんだねぇ、私)

「辞める予定の相談があったなんて前任から聞いてない。でも確かに、あなたはちゃんと希望調書にも書いてたね」と言ってもらいました。
 だからこそこの異動が不満で、沈黙してられなかったわけで。
「9月末3月末の人事異動期だととても助かるけど、ここまで頑張ったあなたが無理に合わせなくていい。仕事のことは残る私達が考えることであって、好きなタイミングで決めていい」と促されもしました。

 サバサバした所長に背中を押され、異動内示からずっと日々暗澹としていた私は拍子抜けしたくらいwww
 逆に、早めに辞めたら今私に色々教えてくれてるメンバーにすごく申し訳ない・・・って心配になる。

 さぁどうしようか。忙しすぎてなんの準備も出来てないというのに。 

【年間占いと退職届け添え状】

 周年勤め上げてキリよく3月に辞めようか・・・無職になるんだもん、冬賞与までもらって12月で辞めるか・・・いやいやでもこの過酷業務あと半年以上も気力体力もつ?・・・最短は、半期の9月だけど・・・皆に迷惑じゃなくて自分も丁度いい時期っていつ?!

 気を張ってたとこに急にハシゴ外されたようなもので。そりゃあぐるぐると悩む、悩むwww
 親にも言わなきゃだし。

 ここで、趣味になった占い登場。
 困った時は藁にも縋れ。
 というか、私の自前年間リーディングのサイクルが、新所長にGOもらった翌月からとドンピシャだったんです。運命?
 遊びだけど、今回は割とガチめに人生かかってる。強運な自分の引きが、どこでどう左右するかコワイ。

 カードをシャッフルして12枚引く。
 9月「鎌」10月「船」12月「こども」3月「キツネ」

 なんと、現実的に最短でキリがいいと思ってた9月のテーマが「断ち切る・収穫・区切り」。しかも続く10月のテーマは「船出・前進・報酬」!
 12月の「始める・新しさ」も悪くないけど明らかに弱い。9月に辞めてるからこそ始められると読んだほうがいい。
 3月「狡猾・計略」はなんか、ズルズル続けてたら今まで通り辞め時失うって感じ。

 地元の商工会議所とかに相談したうえで時期見定めて回答するけども、これはとにかく9月に焦点をあてるべし。冬賞与に固執するよなみみっちさじゃ、自分の新たな活路を堂々と掴めるものか!

 って、あと3ヶ月て思うととたんに短いな?!
 そんなこんなで準備に取り掛かった内の一つが、退職届の添え状。

【3時間ぶっ通し5000字】

 冒頭の通り「黙って一身上の都合です、で去れるほど生温なまぬるい転勤&業務させられてねぇからな」の気持ちで、とりあえずひととおり書いてみるかぁと週末の夜にPCに向かいました。

 局長は毎年本省人事の腰掛け(←失礼)だし、人事課の人だって異動で入れ替わるし現メンバーの責任ではないけれど。この人達宛にするしかないし、八つ当たりになってごめんねー。
 でも、組織として返答なんて望めないし。どうせスルーしておしまいだろうから、八つ当たり上等。
 私だってしょっちゅうどこかの誰かの穴埋め人事で翻弄されてきたんだ。災いってそんなもんでしょ。
 言っても汲んでもらえなかったこれまでの想い。
 言わないままじゃ尚更、届かない。

 いいんだ。自分の気持ちの整理にはなるし、エッセイの下書きにもなる。
 ・・・そんな気分で何気なく書き始め、コロナ対策のあたりは思い入れ強すぎて皆の顔を思い出して号泣、鼻かみながらひたすら書き続け。

 気が付いたら冷たい夜風の吹き込む部屋で、3時間。
 5000字越えの長文エッセイ爆誕。
(その後の校正で最後は6300までいく)
 大好き二次創作しててもこんなに筆がノることない。

 翌日の土曜は、ストレス発散&ご褒美という名のいつものグルメ三昧で、狙ってた紫陽花かき氷~☆
 いやぁ体、冷えました。梅雨時期で職場にエアコン入って寒くなってきてるし。昨夜は集中のあまり、だいぶ夜風に当たったし。

 なんと。あのMAX期でさえかからなかったというのに、今頃今更、コロナ陽性になるというオチが待っていました・・・。

こんな収穫、夢にも思わなかった

【辞めます正式宣言の反響】

 何度も添え状を読み直し書き直し、その間に起業系セミナー受けたりの7月。
 継続している一週間占いでは、ぼちぼち退職届を出そうと思っていたタイミングでちょうど「書くべき運命」の組み合わせカード引いて笑いました。
 でも迫る月末。とんでもなく仕事が忙しすぎて残業も長引き、狙いの翌日に後回しになりつつも、無事提出。

 明けて31日の業務終了後。新旧の部署メンバー総勢45名ほどに、こんなで退職しますとメール一斉送信。帰宅後には同期のライングループにもお知らせ。
 隠す理由もないし、これまでずっと現場メンバーに良くしてきてもらったおかげなので。そんな大事な人たちに、内示一覧の書面で知らせるのが嫌だった。
 そう、人間関係は友好すぎるほど友好なんです。
 だいたいそれが悪くて辞めるのがよくある事例でしょうけど、私の場合は本当に本当に<人>じゃなくて<組織の在り方>が我慢ならなかった。

 しれっと翌日は有給休暇取ってたんですが、聞いたところによると、やはり朝イチにメール見るから相当ザワつかせたようで。

 同じような疑問を感じていたメンバーは当然いて。だから私の気持ちに呼応させ、数名泣かせてしまったようです。
 個別にお手紙やメール返信とかもしてもらい。「寂しくなる、これから誰を頼ったらいいのか、ロスになっちゃう、残業とか気にしてくれて嬉しかった」に始まり「ここまで大変だったなんて、潔さに拍手します、決断力がすごい、読みながら熱くて涙がこみあげてきました」等とすごく共感してもらえました。
 同じ正規職員だともう一言目がまず「羨ましい!」ですよ。

(メールを読んで「本が好きな人の文章だなって思いました」という感想までもらい、とても嬉しかったwwwこんなの字書き冥利に尽きます)

 驚かれど、ここまで「共感・羨望・応援」の嵐になるとは。
 つまり、そーゆーコトだぞ組織!!
 生活や家族があるから大きな声を出さないだけで、誰もこんな運営望んでない。仕事しない人に手厚い組織、って皆が白い目でみてるからな。

【退職日の姫待遇】

 一緒に組んでる後輩君は「有給あと何日あります?この辺で主要窓口メンバーの夏季休暇が明けるし、こっからなら通しで14日消費できますよ。このまま勤務表入力しますね」って協力までしてくれて。

 まさか本当にきっかり有給休暇残0日達成できるとはwww(定年退職とかだったら結局、役職上休めず達成できない)
 せっかく私が異動してきた時にアタリだと喜んで歓迎してくれてたのに、ごめんねありがとうねぇ本当に。色々と頼りにさせてもらいました。
 非常勤職員さん達にも、最初から最後までカバーしてもらってばかりで。

 徐々に最後出勤日が近づくにつれ「居ないとかさびしい、ずっと普通に仕事してそうなのに、いつでも遊びに来てくださいね」とか声掛けてもらったり、個別にお餞別頂戴したりして恐縮しきり。

 最後の最後まで自分の仕事を投げ出すつもりはなかったので(新規お客さん対応は控えたけど)〆切ものの業務やら引継書再チェックやら。
 時間外に正規職員のみで簡単な式をするねと言われてた、その前に「ちょっとこっちに」と裏への呼び出しがありました。

 え、まさか?!と思ったら有志の皆さんからご挨拶とお餞別が!!
 新旧の所属部署だけでなく別フロアも含め、とにかくあちこちのメンバーから大量のプレゼント攻め!!
「大きいの用意しちゃったから今日は車、出しますから」って。大袈裟でなく確かに両腕に持つのも大変だし、へたにおまとめしたら紙袋の底が抜けそうな品数と重量www
 今まで自分も見送る側をしてきたけど、ちょっとコレはそこから想像・期待できる範囲を超えてたwww(とりまとめてくれた方も「ここまで有志が集まったこと無いですよ」らしい)

 私、大号泣。
 嬉し泣きしすぎて、マスクぐっしょぐしょ。絶対乾かないから取り替えたし、トイレで何回も鼻かんだよね。

 もーそっから涙腺よわよわに崩壊してたから、時間外のお式でも最初からグスグス。
 進行の管理職さんは、実は、私が入省してほんとに一番最初の上司でコロナ対策も一緒だったとにかくご縁のある大好きな大先輩。「明るい子が入ってきてくれて良かったって、覚えてる」「見送る順番、逆じゃない?!」って言われて嗚咽もらすとこだった・・・。

 会場から戻ると業務終了からもう30分以上経っているにも関わらず、最後に話したかったと非常勤職員さんが待ってくれてたのも嬉しくて。

 待たせたり車出してもらったり、ここまでされたら私の今までとか用意した餞別品だけじゃ何も足りなくないか?!でも「今日はお姫さまだからいいんですよ」って、もぉすっかりいい年したBBAなんですが。
 もう、とにかく皆さんの優しさや気遣いにやられっぱなし。

【収穫と名付けの感謝】

 頂いた品々は翌日ゆっくり広げながら記念撮影もして、色紙の一人一人からのメッセージを拝読して、やっぱりぐしゃぐしゃに号泣。(セレクトセンスだけでなく、ラッピング技術から何からプロ級でした)

 最後出勤週の週間占いで引いたテーマが悪めの「鞭」で、なにかトラブルや罰的なのあったら嫌だ~と思っていたけど・・・。
 これは9月の「鎌」と合わせて<過剰なほどの収穫>ですね。
 だいたい最終日は「鸛」でもろに<旅立ち>、改めて開封の日は「花束」なのでまんま<贈り物・幸せ>だったし。

 送別会はあちこちのグループから企画してもらって。実は9月初日からずーっと花が部屋に絶えないし、10月までの二カ月間ほぼ毎週なにかしらあるしwwwなんなら忘年会も誘ってもらってる。
 なんてありがたいことでしょう。

 人事は本当に最悪でした。
 でも絶対、どこででも人に恵まれてた。
 こんなに盛大に温かく見送ってもらえて、まるで浄化されるほどに報われる行政人生を終えれるなんて。
 恐縮すると誰もが「今まで頑張ってしてきて下さったことがここで返ってきてるんですよ」と言ってくれて。 

 ここまでくると、こんな風にしてもらえるような人間に育ててくれた両親にも感謝だし。なんなら人に恵まれるのがまるで当然な名付けをしてくれた祖父にも感謝。(これは学生の頃からずっと感謝してる)

 世の中の仕組みの一部、社会人としてのあれこれ、仕事や対人スキル、人との繋がり、とてつもなく大きな人生経験を積ませてもらいました。

だからこそ、これからに向けて

 正直、ここまで自分の処遇(転勤回数や範囲)の悪さを散々愚痴ってきましたが。
 同世代の正規職員中心に、もっとヒドイめに遭ってます。私以上に担当業務がダブり続けていたり、パワハラ受けた人もいれば月45時間以上残業してる人も。
 もっと面倒くさい病休多用者や仕事デキないにも程がある勢は山のようにいて、その穴埋めをどれだけごく一部の人が無償で担っていることか。
 そしてその迷惑は下の非常勤職員さんたちにも降りかかっています。

 私にはやってみたいことがあって、それにチャレンジできそうな環境だったから潔く思い切れただけ。
 嫌味長文の添え状叩きつけて私が辞めたところで組織は痛くも痒くもなく、相変わらず事なかれ主義が続くだけ。

 でも。この事なかれ主義がよろしくない労働条件と政策を生み出していて、それは巡り巡って国民=我々には悪影響でしかない。
 具体的な手立てや影響力は私に何もありませんが、こんな制度じゃこんな穴があると気付けば指摘したいし、今までみてきたものも例に綴れたらなと思っています。
 中にいたらいいのかと思ってたけど、中の末端の人間こそ、外にむけての発言権も発言力も無いから。
 なにかしら文章は死ぬまで書き続けたい。

 そしてよく「ものすごく説明がわかりやすかった」「初めて喋った人とは思えないくらい話しやすかった」と褒めてもらえた私の長所を生かせる事業を計画したいし、我が家の”文化遺産”の管理活用もしたい。

 1年で高難易度な業務に異動させられたせいで、準備皆無・ほぼ見切り発車な勢いだけで辞めちゃったのでwww
 情けない程、まだ具体性がない・・・。父のコレクションの把握からして全然足りないし。

 初めての失業だけど、こんだけ働いてきたし。
 数ヶ月はのんびりしながら、ゆっくり世の中を眺めつつ次のステップに踏み出したいと思います。応援してもらえる自分を信じて、いつも感謝を忘れずに。
 そしてタダでは転んでやんねぇ!

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