画家の言葉とポスターと
サヴィニャックの絵には説明が不要だと、昨日僕は書きましたが、
サヴィニャックご自身は、言葉が巧みで、いろんな文章を残しています。
まるで、作家が書いたようなその文章は、ポスター同様、個性的かつ魅力的です。
なので、今日はそんな文章を、僕が持っているポスターと共に、ご紹介したいと思います。
私は四十一歳の時、モンサヴォン石鹸の、牝牛のおっぱいから生まれた。このほとんど神話的ともいうべき誕生によって、ずっと長い間探し求めていた、表現の明晰さという、目もくらむばかりの光の中に、そして自主独立という過酷な道に、投げ出されたのであった。私はようやくにして、ユロドナールの古いポスターにあるように、松葉杖を投げ捨て、支えなしに歩けるようになったのである。自分ひとりで。この牛乳まみれの誕生は、通りやメトロを飾るポスターによって、仰々しく触れ回られたのだったが、一夜にしてなされたというわけではない。この誕生に至るまでの、人知れぬ道のりは、気が遠くなるほど長かったし、糞面白くもないうえに、不安に満ちていたのだった。この道のりの思い出の多くは、今も記憶に残っている。この過去の(前世の、と思わず言いそうになってしまった)スライド写真のような映像は、私にとって懐かしいものであり続けている。だから時折、追想の幻灯機を、自分だけのために、灯すことにしているのだ。
ちなみに、この文章は、『レイモン・サヴィニャック自伝』の第一章の最初のページに書かれている文章ですが、書き出しからして何か、フランス文学の香りがして、僕を虜にさせるのです。
しかも、この文章の前には、ピエール・マッコルランの、☟こんな言葉が添えられています。
もう一度見せておくれ、あの細やかな雪片とサンヴィックの屋根をきらめかせていたあの雨を
こんな洒落た書き出しをするサヴィニャックに、僕はますます、惹かれてしまうわけでして。
そう言えば、サヴィニャックは生前、ポスターに関して、☟こんな言葉も書き残しています。
ポスターは繊細過ぎてはいけない。素朴でなければならない。誰にでもわかりやすい言葉で語りかけるべきなのだ。
まさにサヴィニャックは、素朴でわかりやすい言葉を使って語りかけた、語り部のようなポスター画家じゃないのかと。
サヴィニャックの絵に言葉が不要なのは、ポスターを通してサヴィニャックが、優しく語りかけているからに違いなく。
そしてなおかつ、その言葉は、パリの人々のみならず、世界中のファンの心を、今もなお、ワクワクさせているわけで。
そんなことを思っていたら、サヴィニャックのポスターが、ますます魅力的に見えて来て、耳をすませる僕なのでした。
素朴なる言葉で語る広告(ポスター)と画家の言葉に魅せられてをり 星川孝
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