見出し画像

きらきら星(反復とずれ・04)

 今回は、歌や広告のコピーを例にして、反復・連続・変奏(ずれ)の心地よさについて話します。


ひらがなで入っている音声


 前々回(「見えない反復、見える反復(反復とずれ・02)」)のまとめをします。

 幼い頃に歌い覚えていて、

うさぎおいしかのやま こぶなつりしかのかわ

というふうに、いわば平仮名で身体に染みこんでいて、口をついて出てくる音声の連なりというか流れが、

うさぎおいしかのやま
こぶなつりしかのかわ

という、文字にして初めて分かる、十音節(十文字)の反復であり、さらには、

うさぎおいし かのやま
こぶなつりし かのかわ

であって、つまり文字にして分ければ、六音節+四音節(六文字+四文字)の反復だと分かり、さらに表記を変え、漢字と仮名に分けて、漢字混じりの文にすると、

うさぎひしやま
小鮒こぶなりしかは

になるという話をしました。

     *

 こうした

反復は身体に染みこんだリズム(強弱・長短・上下・波)

であり、

表記(文字)は学習の成果としての知識である

ことにも少しだけ触れました。

 知識が体感されるとは限らないのです。

     *

 ようするに、リズムの反復も、表記の知識も、反復することによって、「ずれ」(差違)として身に付くものだと言えます。

 単純化した言い方をすれば、単なる音声の連なり(無意味)が、くり返されることで「ずれ・差違」(意味のある言葉)に転じていって、「ずれ」としてはじめて学習されるという意味です。

音として入っている音声


 幼い頃ではなく、もう少し大きくなった、おそらく小学校高学年から中学生の頃に、歌い覚えた歌があります。

Twinkle, twinkle, little star,
How I wonder what you are!
Up above the world so high,
Like a diamond in the sky.

 いまでも、よく口ずさむことがあります。語呂がいいですね。同音の反復があり、韻を踏んでいるからでしょうか。

 英語なのですが、口にしているときには、何語かなんてあまり考えません。ただ音が快いだけ。

 韻をはじめ、同じ音や似ている音の反復では、音たちがまたたき、目くばせしあっているのです。

 とはいえ、いまでは単語の意味を知っているので、もちろんその意味も浮かびます。

 high、diamond、sky ――音と意味とイメージにさそわれて、晴夜の星夜にきらきら輝くお星さまが目に浮かぶようです。その空から音が降ってくる気がしませんか。

     *

Ah ! Vous dirais-je Maman
Ce qui cause mon tourment?
Papa veut que je raisonne
Comme une grande personne
Moi je dis que les bonbons
Valent mieux que la raison.

 フランス語バージョン(こちらが先なのでしょうか)でも韻が見られます。

 一部異同の見られる以下のバージョンでも、韻を踏んでいるのがすごいです。韻に対する、執念のようなこだわりがすごいと思います。子ども向けだからでしょうか。

 この歌に興味のある方は、ウィキペディアの解説をご覧ください。とても詳しいです。いろいろなバージョン(替え歌)があるということは、それだけ愛されてきた曲なのですね。

 以下の解説ではドイツ語バージョンも出てくるのですが、そこでも韻が見られて驚きます。すごい。

 韻へのこだわりが、すごすぎます。ただ事ではないようです。日本語の掛詞へのこだわりというか執着に似たものを感じます。私が掛詞好きだからかもしれませんけど。

まばたく、twinkle


 ネットで検索すると、「きらきら星」の日本語バージョンもいろいろあり、同音や類似した音を反復したり、韻を踏んでいるものが見られます。

「twinkle twinkle」 を、「きらきら」とか「まばたきする」という日本語にしているだけで、私は十分だと思います。

     *

 にている、に、ふたつ、ふたたび、たびたび、ふたまた、またまた、また、またたく、まぶた、まばたく

 two、twig、twin、twice、(too)、twist、twinkle

 上の日本語と英語の文字列は、必ずしも語源を意識したものではありませんが、「似ている」ことを優先させてつくってあります。

 私には「似ている」がいちばん大切です。知識は「二(似)」の次なのです。

     *

 Twinkle, twinkle, little star
 
 きらきらお星さま
 きらきらとまたたくお星さま

「またたく」は「目叩く(またた)く」だなんて、広辞苑にはとても分かりやすい駄洒落のような語源の説明が載っています。

 ようするに、「またたく、まばたく、瞬く」ということですね。

「まばたく」は、wink(ウィンク)ですが、twinkle と似ています。twin(双生児)みたいに。

反復、連続、変奏の心地よさ


 バージョン・版、変奏・編曲・アレンジ、替え歌、翻訳、翻案――どれもが「似ている」わけです。「似ている」でつながっていると言えます。

 こうしたことを考えていると、「似ている」大好き人間の私はわくわくするどころか、気が遠くなりそうです。

 気持ちいいから楽しいから人は「似ている」に惹かれ、さらには「似ている」を自分でつないだり紡いでいくのではないでしょうか。

     *

 同じ音や似ている音がほどよく出てくると、聞いていても、唱えても、目にしても、読んでも気持よく感じることがあります。

 似ているものや同じものには人の気持ちをなごやかにする働きがあるようです。

 反復や連続や変奏の心地よさは、視覚的なものでも見られますね。模様やパターンなどの広義のデザインがそうでしょう。

語呂のよさ


 日本語で簡単な例を見てみましょう。

 セブン   (2)
 イレブン  (3)
 いいきぶん (4)

 口調がいいですね。ブン、ブン、ぶん。脚韻でしょうか。耳にすっと入りすっと馴染む。しかも母音の数が2、3、4と畳みかけるように増えて、まさに気分(きぶん)を盛り上げていきます。

 魔法のように、お客様がどんどんお店に入るわけです。イッツ・マジック。

     *

 スカッと  sukatto
 さわやか  sawayaka
 コカコーラ kokakora

 耳に快いですね。sという子音をつかった頭韻でしょうか。心を開く母音の a の連続が、じつに爽やか(sawayaka)です。

 コカコーラの三つの k の連続もいい感じに喉に掛かって(kakattte)きます。飲み物ですから喉に訴えなければならないわけですが、こういうのも一種の掛け詞(kakeことば)ではないかと私は思います。

     *

 体の内部から出てくる感のある母音とくらべると、そもそも子音は歯や唇や舌や喉という体の出口に近い――外に近い――部分で、母音につっかかってくるわけです。

 外に近いというのは異物を感じさせるという意味です。咳やくしゃみや鼻水や吐き気や嘔吐を思いだしてください。生理現象や発作は異物を体外に出そうとする行為なのです。

 子音は擦ったり(s・z)、絞めたり(m・n)、引っ掛かったり(k・g)、かすれたり(h)、叩いたり(t・d)、なでたり(r・l)、ぶつかったり(b)、はじけたり(p)します。なお、私には w と y は母音、つまり u と i に近い感じがします。

     *

 コーラの例では、「擦る・suru」と「掛かる・kakaru」の適度の異物感が人に「渇き・kawaki」を想起させ、「喉を潤したい」とか「飲みたい」というアクションへと誘うのではないでしょうか。

 まさに「爽やか(sawayaka)」です。

 さわやか
 あざやか
 あざとい

 魔法のように清涼飲料水が売れるわけです。イッツ・ア・ミラクル。

     *

 以上の例は両方とも、もとが外資系の会社のCMソングですね。さもありなん。コピーライティングに携わっている方々はきわめて繊細な言語感覚をそなえた詩人なのです。

 欧米の定型詩の韻はもっと複雑でややこしいみたいですけど、歌詞やキャッチフレーズやコピーなどでの韻は簡単に考えていいと思います。ようするに、似た発音(母音も子音もです)の言葉がいい具合に散らばっているのです。

 この「いい具合に」がポイントです。いい具合に散らばっていると快く耳に響くわけです。同じ形をした音を星のようにちりばめるとも言えそうです。

     *

 鮮度の悪い例を挙げて、ごめんなさい。

 私は重度の中途難聴者なので聞き取れないのですが、ダイソーの店内に流れているCMソングが韻を踏んでいると漏れ聞きました。

 プライスとパラダイスが掛詞になって連呼されているらしいのです。

     *

 ガラスと言えば、透明。
 カラスと言えば、黒。
 マリア・カラスと言えば、男性で苦労。
 カラスは英語でcrow。

 自作の戯言なのですが、韻の練習をしてみました。頭韻と脚韻です。

     *

 うさぎおいしかのやま(yama)
 こぶなつりしかのかわ(kawa)

 この歌の出だしにも同音というか韻を感じますね。口にするとうっとりします。

 山川草木、日本の原風景が重なります。

     *

 日本の原風景と言えば、「はな(hana)」です。

     *

 花は花が花。
 はなは花が華。
 誰が決めたのでしょう。

「決める」は「分ける」「分類」です。線引きして(決めつけて)、切り分ける、切る、伐る、斬る、kill。

「分ける」とか「決める」も、言葉における「ずれ」(差違)ではありますが、身体に染みこんだリズム(強弱・長短・上下・波)とは関係なく、むしろ知識です。

「い・イ・i 」


 山川草木、花は花が花、与作は木を伐ると言えば、日本の原風景。 

 日本の原風景と言えば、山口百恵さんの歌った「いい日旅立ち」(作詞・作曲・谷村新司・1978年リリース)を思いだします。

 歌詞を読んでみましょう。

 日本、母、少年、父、子供、雪、夕焼け、岬、魚、すすき――これだけ盛りだくさんなのに、歌は静かです。眉や顔をしかめることもなく、淡々とうたっているからではないでしょうか。

 いい日旅立ち――綺麗な響きのフレーズですね。

 いい日 3
 旅立ち 4

 タイトルだけで上向きます。

「ひたち」「にちりょ」というふうにスポンサーさまへの配慮もあります。私が勝手に言っているのではありません。この点についてはウィキペディアの解説をご覧ください。

     *

 iihi-tabidachi――「い・i」の連続がとても、きれいでここちよい。しかも「い・i」を要所でサポートする母音は、心を開く音の「あ・a」が二つあるだけです。

 この曲の歌詞を読むと、「い・i」や「い段」の音が目立ちます。特に「い」と「に」が驚くほど多い。これも、この曲を落ち着いた印象にしている理由の一つではないでしょうか。

 この「い・i」や「い段」の反復が、単なる音ではなく(たとえばスキャット)、意味のある音声(ずれ・差違のある音声)、つまり言葉として反復されているから、人を感動させるのだと思います。

 ま、こういうのは、そう思うとそう見えたりそう聞こえたりするものですけど。

 個人的な感想ですが、「い・i」や「い段」の音は軽いのです。軽くて薄いではなく、軽くて快い、つまり軽快なのです。母音の中ではいちばん軽い気がします。

 その「い」を山口百恵さんがきれいにうたっていたように思えてならないのです。大好きな歌詞と曲です。

     *

 そういえば、松田聖子さんのうたった「赤いスイートピー」(作詞・松本隆、作曲・呉田軽穂)の「赤いスイートピー・akai suiitopii」の i と ii が、すごく綺麗に響くと誰かが言っていて、納得したことがあったのを思いだしました。

 曲も歌詞も素晴らしいですね。懐かしい。


 私は難聴が進行してきたために(重度の中途難聴者なのです)、「赤いスイートピー・akai suiitopii」の部分はもちろん、「赤いスイートピー」という歌自体はよく聞き取れません。

 でも、音の記憶、記憶の音として、私のなかに響きが残っています。この不思議には感謝しかありません。

音の記憶、記憶の音


 音の美しさは何にも勝ります。音が模様や風景を呼ぶことがありますね。私は古井由吉の文章にそれを感じます。

 話し言葉は音と意味からなりますが、人にとっては意味よりも音が先だと最近よく思います。音は意味を呼びますが、意味は音を呼んでくれないからです。意味は後付けだという気がします。

 話し言葉では意味やイメージ、つまり思いが音を主導すると考えられがちですが、逆に音が意味やイメージを先導するのではないでしょうか。

 音が意味やイメージを喚起する力は強いです。言葉を持ってしまった人間にとって、意味が後付けされた音が記憶と重なって付きまとうのかもしれません。

     *

 人は目をつむって寝ます。目を閉じて亡くなります。

 寝際や死に際にあるのは音の記憶と記憶の音が呼び覚ます風景ではないでしょうか。際にあっては、音の記憶も記憶の音も、もはや意味ではないのだろうと想像しています。

 たぶん風景だけがあるのです。

 そんなとき、目蓋の裏では音がまたたいている気がします。人を離れて自立した音たちが目くばせしあっているのかもしれません。

 人はその光景を眺めているだけ。夢と同じです。夢と同じで参加できないのです。夢は参観というよりもむしろ傍観――。参加できたら、それはもはや夢ではなく、うつつ(現)です。

     *

 連想でつないでいく癖があるために、だんだん話がそれて(ずれて)きましたが、無理に「反復と「ずれ」」というテーマにこじつけないでおきます。

(つづく)


#思い出の曲 #連想 #意味 #詩 #定型詩 #日本語 #英語 #フランス語 #韻 #広告 #コピー #発音 #歌詞 #山口百恵 #谷村新司 #松田聖子 #松本隆 #呉田軽穂 #松任谷由実


この記事が参加している募集