人間の価値とは
人間の価値は、いつ決まるんだろう。
冷たく強い風の中、背中を丸めて帰る道で思ったこと。
今年は父親が亡くなって3回目のお正月だった。
余命半年の末期ガンが見つかってから、
3年と少しだったと思う。
父親はカメラが趣味だった。
大学生の頃に初めてカメラと出逢い、最後までカメラと写真の虜だった。
数々の賞も受賞し、
コンテストの評価員もしていたと聞いた。
家の中は父が撮影した写真が飾られ、
私と妹の写真は他の風景写真よりも大きく現像され
額に入れられていた。
長期休暇で実家に帰ると、父の書斎を片付けている。
年末も少し片付けた。
部屋を埋め尽くすそのほとんどが、カメラと写真にまつわるもの。
時間をかけて愛した物へのリスペクトが伝わる部屋だ。
ガンが見つかっても、写真を撮りに出かけたい気持ちが
時に驚く回復を見せたことがあったそうだ。
春には桜が咲いた、電車と一緒に撮らなければいけない、という風に。
愛とリスペクトが詰まった部屋を片付けながら、
人は死ぬ時は何も持っていけないのだ、
と、誰かが言ったであろう言葉が繰り返される。
肩書きや地位や名誉やお金にばかり目が向いてしまうこの世の中で、
結局は何も持っていけないのだと思うと、
人の価値とは何で決まるのか、という問いがまた頭をかすめる
正解はない。
人それぞれで良い。
その人が思う大切にしたいことが、自分で大切にできていれば、
きっとそれで良い。
帰宅して手を洗い、うがいをし、
エアコンの暖房を入れる。
健康な身体、働かせてくれる場所、
住む家、食事を食べることができ、あたたかい布団で眠ることができる。
いま、人生を詰んで、本当に死にそうになっているのは確か。
でも、すでに持っているものを数えたら
とても恵まれているのだ。
忘れずにいたい。
みさと
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