ヒデチャの歴史屋本舗

ヒデチャ・泉秀樹(いずみひでき) 作家・写真家 昭和18年(1943)静岡県生まれ。 …

ヒデチャの歴史屋本舗

ヒデチャ・泉秀樹(いずみひでき) 作家・写真家 昭和18年(1943)静岡県生まれ。 昭和40年(1965)慶應義塾大学卒業。 新聞や雑誌の記者・編集者などを経て作家として独立。 日本文芸家協会会員。 J:COMの番組「泉秀樹の歴史を歩く」の原作・MCを担当。最高視聴率を誇る。

記事一覧

鮭と斬り合い

那珂川の河口近くで とった鮭は 水戸街道、東海道を経由して 京都御所まで運ばれた  菊池七郎兵衛氏(常陽工業株式会社・代表取締役社長(当時)=茨城県水戸市赤塚1-2…

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「戦国武将五十傑」その1 明智光秀の生き方  (17505文字) File005

光秀はなぜ? その日の夜明け 信長を襲撃したのか? 本能寺の変の 隠された真実に迫る  明智光秀は享禄元年(1528)3月10日に明智城下(岐阜県可児市明智)に生ま…

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桶狭間の合戦 (下) File004 (7913文字)

永禄三年(1560)5月、今川義元は駿河・遠州。三河の大軍を率いて東海道を西に向かった。  義元に従属してこの軍事行動の先鋒をつとめていた松平元康(家康)は…

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桶狭間の合戦 (上) File003 (3657文字)

戦国時代。 群雄が割拠して混迷の真っ只中にあった日本の歴史を、まったく異なった色に塗りかえた「桶狭間の合戦」について語るためには、今川家や松平元康(のちの家康)や…

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信長の結婚と父の死 File002 (4083文字)

信長と帰蝶・政略結婚の周辺 織田信長の父・信秀は、自国である尾張と隣接する三河と美濃の両国と長い間敵対しているのは、いかにも不利である、と考えた。  そこで案出さ…

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上洛と信長暗殺計画 File001 (4986文字)

 京都における信長暗殺未遂事件は、誰が仕掛けたのか。  その事件の全貌と、若き日の信長は襲いかかる幾重にも重なる困難をどう乗り越えたのか。  『名将言行録』には…

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「ヒデチャの歴史屋本舗」 のコンセプトはこれだ!

俺たちは

なぜ
ここにいるのか?

俺たちの生き方は
これでいいのか?

偏屈男ヒデチャはいう
そういう謎は
歴史が解いてくれると

今と昔の間を
自由に飛び回るヒデチャから
歴史を学び
俺たちの明日を考える

『ヒデチャの歴史屋本舗』
ここにはじまる

鮭と斬り合い

那珂川の河口近くで

とった鮭は

水戸街道、東海道を経由して

京都御所まで運ばれた

 菊池七郎兵衛氏(常陽工業株式会社・代表取締役社長(当時)=茨城県水戸市赤塚1-20-83)は明治40年(1907)生まれで、私がその七郎兵衛氏に会ったのは氏が95歳のときであった。

 七郎兵衛氏は戦時中、満州で四つの亜麻の繊維工場で取締役支配人として働いており、危なくシベリアに抑留されそうになったが、幸運

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「戦国武将五十傑」その1 明智光秀の生き方  (17505文字) File005

光秀はなぜ?
その日の夜明け
信長を襲撃したのか?
本能寺の変の
隠された真実に迫る

 明智光秀は享禄元年(1528)3月10日に明智城下(岐阜県可児市明智)に生まれた。天文9年(1540)に生まれたという説もある。正確なところはまだはっきりしない。

 光秀の父は明智光綱で、その姉・小見の方は斎藤道三の正室であった。
そのため、弘治2年(1556)に勃発した「長良川の合戦」で道三が息子の義龍に

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桶狭間の合戦 (下) File004 (7913文字)

永禄三年(1560)5月、今川義元は駿河・遠州。三河の大軍を率いて東海道を西に向かった。

 義元に従属してこの軍事行動の先鋒をつとめていた松平元康(家康)は、5月18日、義元から鵜殿長照が入っている大高城(愛知県名古屋市緑区大高町)に兵糧を運びこめと命じられた。

 四方に二重の堀をめぐらした標高20メートルの丘の上にあるこの大高城は、信長軍の警戒区域に入っていたが、家康は鷲津・丸根砦を

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桶狭間の合戦 (上) File003 (3657文字)

戦国時代。
群雄が割拠して混迷の真っ只中にあった日本の歴史を、まったく異なった色に塗りかえた「桶狭間の合戦」について語るためには、今川家や松平元康(のちの家康)や蜂須賀小六や木下藤吉郎などのことから順次語りおこしてゆかなくてはならない。

 まず、今川家だが、清和源氏の流れをくむ足利から出た名家で、国氏を祖としている。

 室町幕府の典型的な守護大名として駿河(静岡)で力をたくわえ、応仁の乱後も戦

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信長の結婚と父の死 File002 (4083文字)

信長と帰蝶・政略結婚の周辺 織田信長の父・信秀は、自国である尾張と隣接する三河と美濃の両国と長い間敵対しているのは、いかにも不利である、と考えた。

 そこで案出されたのが、美濃の斎藤道三との和睦・同盟である。
道三にとっても、信秀と和解することには、大きな意味があつた。
これまで何度も何度も戦ってきた稲葉山城(岐阜城)の麓で、いったんは攻め込んできた信秀軍を撃退できたが、なんといっても守護家の土

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上洛と信長暗殺計画   File001 (4986文字)

上洛と信長暗殺計画 File001 (4986文字)

 京都における信長暗殺未遂事件は、誰が仕掛けたのか。

 その事件の全貌と、若き日の信長は襲いかかる幾重にも重なる困難をどう乗り越えたのか。

 『名将言行録』には、信長が刺客と偶然鉢合わせになった様子が生々しく描かれている。襲撃を未然に防いだのは信長本人であることや、刺客が立ち向かうことをためらった様子、そのときの信長がいかにも若き武将らしい、勇気あふれる凜々しい立ち居振る舞いであったことなどな

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俺たちは

なぜ
ここにいるのか?

俺たちの生き方は
これでいいのか?

偏屈男ヒデチャはいう
そういう謎は
歴史が解いてくれると

今と昔の間を
自由に飛び回るヒデチャから
歴史を学び
俺たちの明日を考える

『ヒデチャの歴史屋本舗』
ここにはじまる