鮭と斬り合い
那珂川の河口近くで
とった鮭は
水戸街道、東海道を経由して
京都御所まで運ばれた
菊池七郎兵衛氏(常陽工業株式会社・代表取締役社長(当時)=茨城県水戸市赤塚1-20-83)は明治40年(1907)生まれで、私がその七郎兵衛氏に会ったのは氏が95歳のときであった。
七郎兵衛氏は戦時中、満州で四つの亜麻の繊維工場で取締役支配人として働いており、危なくシベリアに抑留されそうになったが、幸運にも昭和21年6月に博多へ帰ることができた。
翌22年10月初旬、七郎兵衛氏は水戸・那珂川の青柳(水戸市青柳)でとれた3kg前後の初鮭(白鮭)を笹で包み、竹籠に入れて縄で縛り、それを風呂敷に包んだ。
そして、上野行きの汽車に乗った。
天皇に初鮭を献上することが25代・七郎兵衛の義務だと考えていたからである。
上野から路面電車に乗って皇居・坂下門を訪れ、守衛に誰何された七郎兵衛氏は「水戸の菊池です。鮭を届けに参りました」とこたえた。
守衛は「鮭」を「酒」と聞き間違えて「酒など持っておらんではないか」といった。
「が、鮭だとわかるとすぐ陛下の炊事をやっていた司厨長というのか、名前は忘れてしまいましたが、責任者が出て来て、なかへ入りなさいというので、入ったところ調理場へ招き入れて案内をしてくれました」と七郎兵衛氏は回顧した。
その初鮭はどんな風に料理して食べられたんでしょうね、とたずねると「さあ、それはわかりませんが、初鮭は白焼きにしてショウガ醤油でたべるのが一番うまいんですが」ということだった。
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