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喪失を超えて


 先日、私は初めて身内を亡くしました。

 病気をしたり、何か事故や怪我があってのものではなく、自然に眠るように亡くなったので、安心する一方で、大事な身内が亡くなったことにただただ放心してしまいました。

 誰かが亡くなるということは、とても寂しいものですね。

 私は幸運なことに、これまで近しい人を亡くすという経験をしたことがありませんでした。ですので、人はいずれこの世を去るのだということを、初めて実感を持って理解しました。

 老いと死からは逃げられない。
 自分にも必ず、いずれ最期の瞬間が来るのだと、改めて実感しました。

 とても、寂しい。
 今にもどこかからひょいっと現れて話しかけてきそうな気がして、未だに亡くなったのだという実感が湧きません。


 通夜が終わった後、私は葬儀が始まる翌日まで、家族と一緒に故人の棺がある大きな部屋に泊まりました。

 線香の煙はあの世への道しるべだと言われており、通夜の後は線香の火を絶やしてはならないとされています。ですので、夜通し線香の火を灯しておく必要があり、それを家族で泊まり込みでやろうとのことでした。

 しかし、部屋には長時間灯しておく専用のらせん状の線香が準備されており、夜通し交代で起きておく必要は無くなりました。

ですので、ある程度家族で話をしたあと、それぞれ翌日の葬儀に向けて寝ることにしました。

 しかし、家族が寝ても私はどうしても寝られず、翌日の葬儀で読む故人に向けた手紙を清書するために、一人で起きていました。


 ……するとしばらくして、一人で手紙を書いていると家族が寝ている部屋の扉を静かに開閉する音や、人がすり足で移動する音が聞こえてきました。


  家族の誰かが起きてきたのだと思ったのですが、誰も起きて来ていませんでした。最初は「聞き間違いかな?」と思ったのですが、ニ,三度同じことが起きたので、私の家族が起きてきたのではないことが分かりました。

 まだ、近くにいるかもしれない。

 亡くなった方は四十九日に送るまでまだこの世に留まっているといいます。ですから、あのときまだ直ぐ近くにいたのかもしれません。

 そう思うと、自然と胸の中から溢れてくるものがありました。

 そのときに、私は故人に向けて書いていた手紙の清書を完了させ、その場で新しく自分の中から溢れてくる言葉を便箋に丁寧に書き記していきました。

 (その手紙は葬儀で親族を代表して読んだのですが、このとき既に読まれていたかもしれませんね、、、)

 故人への手紙と共にそのときに書いたものは、もう故人には披露しました。私の直ぐ近くにずっといたと思うので、新しくお線香をたいて、家族も寝ていたので小さな声で読みました。



——それを、今回このnoteで公開しようと思います。

 夜中にふと思い立って書いたものなので読みにくいかもしれませんが、あえて何も手を加えずにそのままにしています。

 故人が近くにいるかもしれないと思ったときに、感極まって書いたものなので、変なことを書いていたら申し訳ありません、、泣

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