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或る女の日記


 偶然、というべきか。それとも必然、というべきか。どちらとも取れてしまうような運命的な巡り合わせを経て、ある時私は、とある女性の日記を手にすることがあった。

 丁寧に使い古された、色褪せた焦げ茶色の革の手帳。何とも奇怪な一連の流れを経て、この手帳は私の元へと辿り着いた。

  どうしてこの手帳が私のところへ渡ってきたのか、詳しいところは分からない。

  分かるのは、書き手の女性がもう既に死んでいること。それに加え、彼女が恐らく、私の肉親と同じものを持っていたということだ。

  この手帳は私が巡り合うべき時に、然るべくして私の元へとやってきた。

 まるで最初から何もかも仕組まれていたかのように。

 ———昼より眩しい夜に、暗い過去について想ってみよう。


 この日記は、そんな一節から始まる。




 彼女はきっと、どこにでもいる普通の女の子に見えていただろう。

  仕事用のスーツを着て、髪も綺麗にカットされ、小綺麗な時計をつけて、いかにも仕事のできるキャリアウーマン、といった装いをしている。

  私生活も大して周りの人達とは変わらない。

  しかし、彼女はどこかに普通の人とは異なるものを持っていた。きっと、人の道を外れた人にしか分からない何かが。

  彼女が瞳の奥に宿していたものを感じ取ることが出来た人は、きっと、この世界にはいない。しかし、私は彼女のことを理解することが出来る。きっと、この世界中の誰よりも深く。

  そうと決まっているから。
  彼女は私であり、私は彼女であるのだから。





2012/3/6


 静岡へ引っ越してきて、初めて発作が起こった。胸の内から何かがすっぽりと抜け落ちてしまったような感覚が起きた後に、肺を握りつぶされたような鈍い痛みが私を襲った。呼吸の仕方が分からなくなって、地面に倒れこんだ。道端を歩いている人は全くいなくて、私は「このまま死ぬんだ」と思った。お腹の中には、子供がいるのに。せめて、この子だけでも助けてあげて欲しい。私みたいに、どうしようもない人間でも、せめて赤ちゃんだけは、助けてあげたい。私が酷い目に遭ったとしても、赤ちゃんは助けて欲しい。私はせめて、この子は守りたい。もし、この子を守ることが出来たら、そうしたら、もう私は死んでもいいのではないかとたまに思う。

  今まで、どれだけ苦しくても死ぬ勇気はなかった。私が死ぬことで、私を産んで育ててくれた両親に申し訳ないと思っていたから。でも、最後に大きな仕事をすれば、神様が「よく頑張ったね。じゃあ、もう終わってもいいよ」と言って私をこの世界から静かに退出させてくれるかもしれない。そう思う。いつになったら、この苦しい毎日は終わるんだろうって、ずっと思っている。

  ずっと助けて欲しいって思っているのに、意地悪な神様は、いつもギリギリのところで私をこの世界に留める。

 いつから私はおかしくなってしまったんだろう。周りに人はたくさんいるのに、どうしてこんなに寂しいの。どうしてこんなに苦しいの。

  私は何も悪いことをしていないのに。

 ねえ、どうして!
 誰か、私を助けて。



2012/4/7


 今日は少し調子がいい。あれほど家事をしなかった友哉が、「俺が全部やる」といって最近家事のほとんどをやってくれるようになった。パパになる実感が、ようやく湧いてきたのかもしれない。ちょっとした些細なところで、人って幸せを感じられるものね。

 不思議。

 どう頑張ったって死ぬ他には助かる余地はないと思えてしまうときもあるのに、どこまでも自分は幸せだと思えるときもある。自分の中に別のもう一人の私が住んでいるみたい。あと、三か月で赤ちゃんが生まれてくる。私は良いママになれるのだろうか。

 友哉は優しい人だから。私がいなくなっても、子供を見捨てたりはしないと思う。でも、私がまたいつか狂気を起こして、何か大切なものを傷つけたり、自分の体を壊したりしてしまうときが来るかもしれないと思うと、彼に申し訳なくて、私は死んでしまいたくなる。

  いっそ、生まれてきた子供を殺して、私まで一緒に死んでしまおうかとさえ、思っている。これから先の未来が怖い。

  自分が分からない。
  鏡の前に立っていつも思う。


   ———あなたは、誰なの?




2012/7/19


 予定日よりも二日遅れた出産。
 元気な男の子が生まれました。

 双子と間違われる程、私のお腹の中で大きくなったこの子。「これ以上遅れると帝王切開になるので、陣痛促進剤を入れて明日出産しましょう」というお医者さんの言葉に、どこか他人事みたいに「はい、分かりました」と頷いた。

 出産は鼻からスイカを出すぐらい痛い、と昔から聞いていて、私は『鼻からスイカ』だったら、そっちの方が痛いに決まってるじゃない、と思っていたんだけれど、経験して分かった。本当に出産は鼻からスイカを出すぐらい痛い。

 助産師さんもいたし、担当のお医者さんが友哉に似てたから、恥ずかしさも何もなく「どうにかしてください」と言ってこの子を出すのを手伝ってもらった。あれほど人に見せるのを恥ずかしいと思う部分をなんの恥じらいもなく人にさらけ出せてしまうくらいには、私はピンチだった。

 でも、生まれてきた子供を私の腕で抱いたときに、「私も、赤ちゃんを産めたんだ」という実感が湧いてきて、無性に嬉しくなった。どうして赤ちゃんを産めたことがあんなに嬉しかったのか、良く分からないけれど、それまでの人生の中で、一番嬉しかった瞬間と言えるかもしれない。本当はいけないけれど、その夜こっそり我が子を眺めに赤ちゃんが寝ている部屋に我が子を抱きしめに行き、お月様を見ながら「神様、この世にまた一つ、新しい命が生まれました」と涙を流しながら呟いた。

 命って不思議。
 この子は私みたいにはならずに、幸せになって欲しい。
 私の赤ちゃん。
 元気に育ってね。




 
  これは、彼女の日記のほんの一部に過ぎない。ページを捲れば、この他にも沢山、彼女の奥底から溢れてきた言葉がしたためられている。
 
  全てを公開したいところだが、諸々の都合上それは難しい。全てを読めば、彼女の人生を追体験すれば、『寂しい』という感情がいかにして人を飲み込んでいくのか、実感出来るはずだ。

  私は初めてこの日記を読んだとき、身震いした。これ程自身の中にあるものを鮮明に抉り出したものがあるのかと。

  私は妙に彼女に心開かれる心地がして、私もまた、彼女と同じものを持っているのだと、そう思った。良くここで私と出会ったものだと、私は神のイタズラに感謝した。

  私はこの手帳を読んで、物書きになると決めた。



 きっと、この女性は街に溢れている。

 あなたかもしれないし、あなたの家族かもしれない。あなたの友達かもしれないし、あなたの恋人かもしれない。

  誰もが自分の内側に、化け物を飼っている。意識できない心の空洞に、そいつは棲み込んでいる。

 いつか、あなたを襲う時が、やってくるかもしれない。そんなとき、あなたはペンを取らなければならない。

 そいつは一瞬のうちにあなたを乗っ取ってしまうだろう。そのときが来た時、あなたは速やかにそいつを自分の中から追い出さなくてはならない。

 ペンを取るんだ。
 言葉にするんだ。
 一から十まで。
 乱暴に、乱雑に、吐き出していく。
 全てを。

 その魔物は、言葉にすると、内側からさらさらと分解されて、消えて無くなってしまう。緊急避難先としての、言葉の魔法が必要だ。

 来るべき時のために。
 あなたにも、この手帳が必要かもしれない。

  あなたのためだけの、『或る女の日記』が。

 自分のために、生きていくために。
 しかし、それはきっと、どこか遠くの誰かを、いつか救うかもしれない。

 私はバトンを受け取った。
 次はあなたに引き渡そう。

 或る女の日記。






『或る女の日記』について

  この作品は、書き手である私(=東堂麟 - Lynn.)が太宰文学に出会った時の衝撃を元に作られたものになります。

  別に、この作品に登場する「或る女」は太宰治のことではありませんが、人間失格を初めて読んだ時の衝撃を元に、太宰の作品を思い浮かべながら書きました。

  実際、私は大学を休学して物書きを始めて、作品制作に注力し始めた時に、人間失格を読んで急に1万字の短編を書くことができ、それが一番初めに完成させた小説『道楽ー地獄ー』の原型になっています。


  こう言うとカッコつけているように聞こえてしまうかもしれませんが、私の作品のルーツには太宰文学があるような気がします。

  もちろん、太宰の作品全てを読んでいるわけではありませんが。

  文章を書くというものは、とても興味深い行為です。近いうちに、私なりの『書くことについて』をまとめた記事を出せればなと思っています。

  是非、フォローしてお待ちください。

  いつも読んでスキしてくださる方々、いつもありがとうございます。お陰様でこうして書き続けることが出来ています。

  これからも変わらず書き続けていきますので、これからもよろしくお願い致します。


東堂麟 - Lynn.

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