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僕の恩師の話。
――恩師とのエピソードをいくつか紹介したいと思います。どうして僕が恩師と呼ぶようになったのか、僕とその教師との物語です。
人生は物語。
どうも横山黎です。
今回は「僕の恩師の話」というテーマで話していこうと思います。
毎月最終日にはニーズとか全部無視して、僕の過去のことを記事にしています。すっごく個人的な話になりますので、興味のある方だけ読んでいってください。
◆僕の恩師の話
普段は創作に関する記事を投稿しているんですが、最近は教育に関する記事を投稿していました。というのも、実は僕は教育学部に在籍していて、教育実習が控えているからです。ちなみに、明日から本格的に実習が始まります。最近は教育に関する本やサイトを読んでいるので、noteの記事も教育について語っていました。このタイミングで過去の話をする最終日を迎えたので、じゃあ、今月は教育に関する過去の話を綴ろうと思い、恩師の話をしようと思い至ったわけです。
何でか知りませんが僕は人の出逢いに恵まれていて、これまでにも良い先生にばかり出逢ってきました。ですから、恩師と呼べる先生はたくさんいますが、その中でも一人、僕の中高時代を支えてくれた恩師を紹介したいと思います。
僕は東京の中高一貫校に通っていたので、中学校と高校で周りのメンツがあまり変わりませんでした。それは教師陣もそうで、今回紹介する恩師の先生は中学2年から高校1年まで僕のクラスの担任でした。
担任を務めるのは僕らの学校、学年が初めてだった若い教師でした。教科は数学、部活ではバスケットボール部の顧問をしていました。
それでは、その恩師とのエピソードをいくつか紹介したいと思います。どうして僕が恩師と呼ぶようになったのか、僕とその教師との物語です。
◆涙の卒業式
恩師との思い出を遡っていくと、中1のときに叱られた記憶に行き着きます。その頃は僕のクラスの担任ではなかったので、あまり関わることはありませんでした。数学の授業くらいかな。夏頃だった気がするんですが、確か僕らは教室で文化祭の準備をしていました。
僕はそのときあんまり関わっていませんでしたが、ちょっとした演劇をやろうということで教室で練習していたんだと思います。ですから、机と椅子は後ろに寄せていて教室の前半分にスペースができていました。
で、休憩のときに僕は友達と消しゴムでサッカーをやっていたんだと思います。
#何それ
#あの頃はそれだけで楽しかった
で、なんだかんだ楽しくなっちゃって、二人して騒いでいました。そしたら、まもなくして恩師がやってきて、「うるせえ」となったんですね。当時の僕のクラスのちょうど下が職員室だったのでそれで気付いたんだと思います。
そんな風にしてあんまり気持ちのよくない始まり方をしましたが、僕と恩師の物語は翌年の中学2年生を機に徐々に動き出します。
恩師が、僕のクラスの担任になったのです。
そりゃあ、毎日のように同じ教室の中で過ごしていれば関わることは多くなります。他の先生に比べて僕らと年が近く話しやすいこともあり、気が付けば仲良くなっていました。僕が学級委員を務めていたことも大きかったと思います。恩師もきっと僕のことを信頼してくれていました。
3年生になっても、僕は恩師のクラスでした。ちゃんと喜んだことを覚えています。あの頃は部活も充実していたし、プライベートも充実していました。学校に行くことが楽しみでした。
中高一貫校で周りのメンツはほぼ変わりませんが、それでも一応卒業式はあります。体育館で一人一人卒業証書をもらうのでなかなか退屈だったんですが、卒業式の終わりにとても感動的な出来事がありました。
式が終わって、僕らは恩師と共にクラスに戻ります。そして、最後のホームルームが始まりました。恩師は黒板にプロジェクターシートを貼り、スマホを取り出し、何かを準備している様子。
そうして映し出されたのは、僕らの1年間の軌跡でした。
恩師が、映像や写真を繋ぎ合わせ、音楽を乗せて、思い出の動画をつくってくれたのです。体育祭、文化祭、合唱コンクールなどのイベント、そしてそれ以外の何でもない日々を彩った笑顔が流れていきました。
気が付けば、僕は涙していました。
このクラスで良かった。
この先生で良かった。
心からそう思えたのです。恩師にとっても特別なクラスだったんだと思います。何せ、初めて卒業させるクラスでしたから。
動画の最後には一人一人の名前がエンドロールのように流れていきましたここに僕の名前があったこと、今でも大きな誇りです。
◆青春の光と影
感動的な卒業式を迎えたとはいえ、何度も言うようですが、高校生になっても周りの顔ぶれは変わりません。高校から入学してくる制度があったので、だいたい60人くらい新しい顔がありましたが、新しい日々が始まったという感覚はあんまり持てませんでした。担任が変わらなかったというのも、その原因かもしれません。
そうなんです。
なんと高校1年のときの担任も恩師だったのです。まさかの3年連続でしたが、飽きも嫌もありません。めちゃくちゃ嬉しかったです。
さて、僕と恩師とのエピソードの中で最も印象に残っているのは、ホームルーム合宿です。入学したての4月の終わりに、1泊2日の合宿イベントがありました。中入生と高入生の関係を深めることが大きな目的だったはずです。
そのホームルーム合宿である不祥事が起きました。といっても、しょうもない話です。ある男子生徒が女子部屋のある階に行って先生に見つかったというだけのこと。それ以上でもそれ以下でもありません。
注意するだけならともかく、それなりに規律の厳しい学校でしたから、反省文を書かせる事態に発展したのです。
もう少し具体的に話しますね。
ある男子部屋でじゃんけんが行われました。負けた人が女子部屋の階に行くという、まあ、高校生らしい悪ノリです。7,8人くらいいたかな。みんなでじゃんけんして、負けた一人が罰ゲームを受けたというわけです。結局それがばれて、翌朝、朝食後に部屋に呼び出されて説教をくらって、反省文を書かせるという始末でした。
実は、僕もこの出来事に関係していました。僕はそのじゃんけんメンバーの一人だったのです。とはいえ、じゃんけんに参加しただけで、そもそもその目的を知らなかった。後で聞かされたのです。
説教されている間、僕は納得いっていなかったけど、後から事情は知ったんだから罰ゲームを受けた彼を止めることができたわけで、その非は僕にもあるなあと結論付けたので特別反論しませんでした。
「何か言いたいことあるか?」
学年主任の先生にそう聞かされて、他のみんなは「ないです」と答えるなか、僕だけは「大丈夫です」と答えました。言葉を足すなら、「僕はじゃんけんの目的を知らずに参加したんですが、彼を止めなかった落ち度はあるので無関係とは言えません。大丈夫です」って感じ。
遣る瀬無い思いを抱えながら、僕は人生初の反省文を書いていました。反省文なんて書いたことないからどんなふうに書けばいいのか分からない。普段小説を書いていたし人より筆は速いはずですが、反省文を最後に書き終わったのは僕でした。
その後、移動中のバスの中で、僕は思案の沼にはまりました。自分の人生を振り返り、自分とは何か、根源的な問いについて考えていました。僕は学級委員だったから、やっぱり反省文を書いたことは汚点だし、それまで築き上げてきた信頼を失くすような出来事が起きてしまったから悩んだんです。もう学級委員はやめよう、そんなことも思いました。
気が付けば、僕は泣いていました。
バスで移動した先で、確か観光スポット的なところを訪ねたと思います。そのときも僕は虚ろでした。誰ともしゃべらずに、眺める景色のどこかに救いを求めていたんだと思います。
昼食は、開放的な芝生の上で食べました。僕はどこかのグループに加わって弁当を食べていたけれど、一言もしゃべらなかった気がします。食べ終わった頃、後ろから声をかけられました。振り向くと、恩師がいました。
「ちょっといいか?」
僕は恩師の後についていきました。友達から少し離れたところに行き、話し始めました。恩師の一言目は、「大丈夫か?」でした。
僕は頑張って笑って、「大丈夫ですよ」と答えました。大丈夫じゃない人ほど、大丈夫っていうものですよね(笑)それを察知したのか、恩師はこう続けます。
「あのとき、おまえだけ、『大丈夫です』って言ったから、何かあるんじゃないかなって思ってさ」
そのとき僕は驚愕し、感動しました。
実は、じゃんけんの件で説教された部屋には、学年主任だけでなく他の教師たちもいましたそう、恩師もいたのです。
あのときの僕の「大丈夫です」を聞いて、その言葉の裏を読んでくれたのです。
もしかしたらバスで流した涙に気付いていたからかもしれません。僕の席の前の席に、恩師が座っていたので、僕の嗚咽は聴こえていたはずですし。あるいは、2年以上かけて築き上げてきた信頼が、恩師に疑念を持たせたのかもしれません。いずれにせよ、僕は本当に感動しました。求めていた救いは、こんなにも近くにあったのです。
僕は正直に事情を話しました。
別にそれで何か事態が好転したわけではないけれど、翌年から学級委員になることはやめたけれど、今となってはあの事件が起きて良かったなと思いました。僕の恩師への信頼と尊敬はさらに深いものになりましたし、これからの自分の立ち振る舞いについて考えるきっかけにもなりましたし。
◆大学生になって久しぶりに再会
高2、3の担任は別の教師だったけれど、恩師と関わる機会はあったし、僕の恩師に対するリスペクトが消えることもありませんでした。卒業式のときにはちゃんと挨拶もしました。
ついこの間のことですが、高校1年のときのクラスメイトたちとBBQをする機会がありました。10人くらい集まって、東京スカイツリーの麓で、太陽と戦いながら肉を焼いていました(笑)
始まって2時間くらい経った頃、なんと恩師が来てくれたのです。仕事の合間を縫って、訪ねてきてくれたのです。久しぶりの再会に僕は興奮しました。それは僕だけじゃありませんでした。恩師は、みんなから歓迎されたのです。
今度はサシで呑んでみたいなと思いました。思い出話に浸りながら、改めてちゃんと感謝を伝えたいです。
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最後になりますが、高校1年のとき、ホームルーム合宿の出来事を小説にしました。実話を基にしてつくった物語です。
タイトルは「僕が初めて、明日学校に行きたくないと思った日」です。文字通り、「明日学校行きたくないなあ」と思った日の出来事を綴りました。どうしてそう思ったのか、そのカギを握るのは「ホームルーム合宿での出来事」です。
小学生の頃から学校が大好きだった僕が初めて、明日学校に行きたくないと思った経緯を知りたい方は、是非、覗いてみてください。
#誰得
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
20220831 横山黎
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