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【教育論】作文や読書感想文って好きでした?

――強制力は大事だけれど、それで今後ずっと嫌いなままでいることになるのなら、アプローチを変えるべきなのかなと思います。たとえば、漫画で感想文を書かせてみたらどうでしょう。


人生は物語。
どうも横山黎です。

今回は「作文や読書感想文って好きでした?」というテーマで話していこうと思います。


◆嫌われ者の感想文

普段は創作に関する記事を投稿しているんですが、実は僕は教育実習生で近々教育実習があるので、しばらく教育に関する記事を投稿しています。

今回は、学校の宿題の定番である、作文や読書感想文について取り上げます。結論は特に決まっていないので、書きながら探っていきますね。

今日、目上の方とお話しする機会があって、その人が「読書感想文、大嫌いでした」と言いました。よくよく考えてみると、読書感想文を好きで書いている人にあんまりであったことがなくって、そういえば読書感想文ってめっちゃ嫌われてるなあと再認識したんです。


僕は昔から文章を書くのが好きだったから、読書感想文ももちろん好きでした。国語の授業で行う作文ももちろん好きでした。でも、やっぱり「書く」ことに対して嫌悪感を持っている人は多かった気がします。

夏休みの宿題に出される読書感想文は最後まで残ってしまうことが多かったのではないでしょうか。かくいう僕がどうだったのか、記憶にありません(笑)気が向いたらやっていたのかも。

とにもかくにも、「書く」に対するモチベーションが低いのは何故なのでしょうか。


◆指定されるから気が進まない

そもそも僕が「書く」ことが好きで、それに対するモチベーションが低いことがそうそうないので、推し量ることが難しいのですが、頑張って考察していきます。

「モチベーションが低い」ということは、「主体的になれない」「興味を持てない」「好きじゃない」と置き換えられます。この言葉の並びは昨日の記事でも登場しました。教育が最も重きを置くべきは「学習者に好奇心を抱かせることだ」という内容の記事です。


読書感想文に対する好奇心が持てないから、子どもたちは前のめりになれないんですよね。子どもたちの主体性を削いでいるのは、「指定されること」ではないでしょうか。

たとえば量。学年にもよりますが、原稿用紙◯枚以上という指定があることがほとんでですよね。また、題材はあらかじめ決まっていることもあった気がします。課題図書の中からどれか1冊を選んで読んで感想文を書いてね、みたいな。

指定された本の感想を指定された分量で書かなきゃいけないわけですから、子どもたちのなかには気が進まない子も少なくないでしょう。強制力は大事だけれど、それで今後ずっと嫌いなままでいることになるのなら、アプローチを変えるべきなのかなと思います。

たとえば、漫画で感想文を書かせてみたらどうでしょう。課題図書に選ばれる本は良くも悪くもちゃんとした本で、子どもたちからしたらとっつきにくいはずです。その点、漫画ならどうでしょう。手に取りやすいのではないでしょうか。本は読まないけど、漫画なら読む人はたくさんいます。単なる娯楽として認識しがちですが、その感想文を書く活動を取り入れたら立派な学習活動に成り得るはずです。少なくとも、自分の好きな漫画の感想文ですからモチベーションは高いはず。まず初めに、読書感想文に対する嫌悪感や抵抗感を排除するべきだと考えます。


◆「書く」を好きに。

自分の言葉で表現することは、どれだけ時代が移ろえど大切になってくるスキルです。そつなくこなす学習者はそれでいいけれど、そうではない子に対するアプローチの仕方は考えるべきかなって思います。

書くことが好きな方が得することは多いはずだし、仕事や人間関係においても利用できます。LINEの文面ひとつにしても、「書く」ですからね。メールの書き方や報告書の作り方。あらゆる場面で有効活用していけば、きっと自分のプラスになるはずです。

幸い僕は書くことが好きだったので、小学生の頃から何かしら文章を綴っているわけですが、自分の考えや気持ちが届くことで幸せを感じる瞬間は多くありました。きっとこれを読んで下さっているみなさんもそうですよね?言葉には力がある。そう信じていますよね?好きな方が続くし、好きだからもっと文章を磨きたいと思える。

「書く」を好きに。

そんなことを胸に、実習がんばってきまーす。


最後まで読んでくださりありがとうございました。

20220828 横山黎


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