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友人のnoteを見て泣いた話

皆さんは他己紹介をご存知だろうか。
自己紹介は自分で自分を紹介するものだが、他己紹介は、他人から自分を紹介してもらうことを指す。大体いいことを言ってもらえるので、是非皆様にも体験してもらいたい。

このnoteを始めるにあたり、以前取得していたアカウントにログインし直してみた。このアカウントは所謂読む専門で(一昔前はROM専と言ったか)、特に投稿はしていなかった。登録したのはコロナ前であったから、およそ4、5年前だ。懐かしさが頭を掠め、同級生の投稿をなんとなく、読み返していた。
そこで、他己紹介を見つけたのである。彼女が私を紹介した、文章を。

正直言って、その記事のことは忘れていた。彼女の文章は大好きだったし、当時頻繁に更新していて、毎度楽しみにしていた。彼女は完全な夜型で、投稿されるのは夜も深くなったころ、もしくは早朝だった。朝型の私は、深夜に綴られた文字たちを、朝日を浴びながら読んでいた。書いた時間と読む時間が違っても、スッと物語に入っていける、彼女の文章はそんな魅力があった。

彼女は高校の同級生で、3年間の思い出のほんとんどが、彼女と共にある。登下校の電車、CDの貸し借りをした放課後、センター試験終わりに食べたパフェ。夕日に照らされた綺麗な栗色の髪。どこを切り取っても鮮明に思い出されるそれらは、私の青春そのものだ。

そんな彼女が、私を紹介してくれた記事を見て、不覚にも泣いた。

なんとなく生きて、社会に揉まれていると、他人の大切さはおろか、自分の大切さすら見失ってしまう。いくら会社でいい成績を出したって、褒めてもらえるのは自分の数字であって、自分自身ではない。社会に出ると、社会の自分は褒めてもらえど、本当の自分は日の目を浴びないのだ。もちろん、数字を出したのは自分の実力と言われればそれも納得できるし理解もできる。でも、そうではないのだ。そうではない。自己肯定感が低いと言われる者たちからすると、認めてほしいのは、本来の自分自身ーーー。

私は地元の学校に馴染めず、高校デビューしたクチだ。友達の作り方なんて忘れて入学した高校は、私に生きる希望をくれた。間違いなく、人生で一番楽しかった三年間と言える。卒業してから15年が経った今も、頻繁にみんなで集まったりもする。
彼らは私自身をありのまま受け止めてくれて、それでいて怒らず叱ってくれる。こんな素敵な関係、一生手放したくないな、と思う。

疲れたとき、助けてほしいとき、みなさんは誰に声を上げるだろうか。

私は、友人たちに救われてきた。
彼らが困っていたら、真っ先に駆けつけたいと思って、生きている。



03.


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