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この国で一番手っ取り早く救いを求める方法は「偉い人をぶっとばす(物理)」ことかもしれない、と言う悪い気づき

「お悩み相談枠」という見世物小屋

  もはや斜陽(と一部で公言されている)ツイキャスで、しばしばジャンルとして開かれているのが「お悩み相談枠」もしくは「なんでも相談枠」である。実際固定客のような人間が相談していることもあるし、飛び入りで相談している人もいる。客層は様々。正直主のそれまでの行いやそのチャンネルの辿ってきた歴史によるところが大きい。
 例えば若い子の多いコレコレ氏の配信などでは(ツイキャスではなくYouTubeライブだが)比較的真摯に向き合った内容が多い。もちろん電波な人やふざけた人、軽い人には軽く対応するが、それなりの相談にはそれなりの対応をする。ツイキャスを拠点にしていて若い子の相談に乗っているアカウントとしたらkimono氏やポケカメン氏だが、彼らも内容によってはそれなりに懇々と諭したり悪いことは悪いと説教をし、基本的に飛び入り相談は受け付けない。下調べをして、徹底して裏を取り、ギャグで流せるところは流し、罵詈雑言を浴びせるところは浴びせ、手助けが必要な時はリスナーを呼び込んで手助けを求める(特にkimono氏。コレコレ氏も助言を求めることがある)。彼らは比較的若年層の配信者である。ノリや記憶としてニコ生やいにしえの荒んだツイキャスの過去を知っているが、もう過激をそこまで実行はしていない。
 しかし、それ以外の「お悩み相談枠」になると一気に雰囲気は混沌となる。変な話だが、逆に若者の目がなくなったことで大人が暴走しているように見える。女はあけっぴろげな色恋沙汰に走り、男はやくざもの顔負けの暴言に走り、例え善意であっても障害者が上がれば「邪魔」「消えろ」「こいつ役に立たない」「やっぱ害だわ」の大合唱。あれは「お悩み相談枠」と銘打った「障害者プロレス枠」「見世物小屋枠」である。それも、壇上に上がるものに
「見世物になるかもだけど大丈夫?」
 などと言わない。外野に散々面白がらせ、自分はお茶爆(ポイントや金になる)で端金を稼ぎ、プロレスが始まると黙って様子を見る興行主。そしてアフターケアもそこそこにもう関わって来るなと言わんばかり。
 そうこの世には障害者の居場所はない。

生きてるだけで「ごめんなさい」

 発達障害者をやっていると結構な頻度で言われることだが
「存在が迷惑」
「生きてるだけで迷惑」
「消えろマジで」
「でも迷惑かけずに死ね」
 である。昨日の記事でも書いたが、じゃあどうしろと?と言う話になる。障害者の話を聞きいれる議員などそうそういない。票田にしているのは左派系統か、個人的につながっている議員か。
 それにしても翻って情けないのは、誰にも反発できない自分の身である。こんな忌まわしい脳みそに生まれ付いたせいで赤の他人に

 ここまでののしられ、職場などないと言われ、それでも見つけた職場では


 このような上司が横溢する始末。隠れてない?憎悪ですよ。私も人間なので憎悪くらいあります。鍵だからいいじゃないですか。ね?健常者の上司なんだから。どっしり構えないと。ね?
 女性の上司だとやたら「なんで?」「なんでできないかなあ?」「なんでぇ?」と「なんでなんでぇ?」をやる。これは理由を聞いているわけではない。「お前馬鹿だろ」「ふざけんじゃねえよ」「使えねえなクソ障害者」の言い換えである。それを真面目に受け取って理由をこまごま言い始めると「だからぁ、そう言うことじゃないのよォ!!」
 などとヒートアップし始める。そして
「あーもういいから!あんたの仕事ないから!!」
 と何の話し合いも、和解点もなく終わるのだ。
 よくカサンドラで病んでしまったお歴々が
「アスペルガーの方々は『何で?と聞いただけで委縮する。被害者面して云々』」
 と息巻いて私達を総叩きするが、この「モラハラ『なんでぇ?』連打」を食らうとあなたもどこまで耐えられるかな?と私は思う。その「何で?」に理由はない。敢えて言うなら「私の気のすむ形に出来ないのは何でぇ?」なのだから。それに耐えられるか?
 こうして発達障害、精神障害は追い詰められていく。喉元にせり上がるヒステリー球。
「メンヘラまんさんなんて迷惑なんて出てくんなよ」
「メンヘラは加害的だからちょっと……」
 というネットのやり取りが現実の全員の総意に重なって聞こえて来る。委縮して、丁寧に仕事しないと、でも失敗したら「何でぇ?」の嵐。ちゃんとやっても上司の匙加減によっては

 となる。無間地獄。トイレに逃げれば「サボり」病院に行けば給与は出ない。守られるのは上司の方で、やんわりと面談とやらで
「配慮も限界なんだよ、だから……ね?」
 と依願退職を勧められる(退職勧奨)。そこで飛び降りでも試みようとしようものなら何故か、あんなに敵対していたくせに飛びついてまで止めに来る。そして荷物まで捨てられて、追い出されて、何事もなく職場は
「次の仕事場でも頑張ってね!!」
 などとにこやかに追い出し、私だけが心を粉砕されてもう戻らない心の鏡を抱えて立ち去る。
 全部私がわるいの?全部わたしがわるいのか?
 私は何度も自問自答してきた。今までの職場でも、今までの趣味のサークルでも、今現在、明日の事でも。何なら、今朝の相談枠の事でも。

発達が「おそいひと」

 障害者が人を襲うスリラースプラッタ映画がある。それも、日本製の。

 この主人公は全身まひ?で車いす生活、即ち私達発達・精神障害者が好き勝手うろつけるのとは違い常時介助を要する。無論仕事も恐らくできまい(発話もできない)。重度心身障害者が降りているのではないか、と思う。まあ詳細に語ると当事者への偏見を助長しかねないので切り上げるが、圧倒的に自分たちとは違うタイプの障害者で、圧倒的に社会的に不利だが有利な面もある。それはともかく、作中の主人公は健常者に恋愛し、そのままならなさに苦しみ凶行に及ぶ。動かない体なりにかなり健闘する。
 だとしたら、もしこれが発達なら、精神なら、体は自由に動くだろう。むしろ衝動の方に支配されてブレーキがぶち壊れて体は突っ走るだろう。その結果が、例えば今まで過去から脈々と続いてきた小学校の襲撃であったり、猟奇事件であったり、通り魔であったり、交番の襲撃であったり、新幹線での通り魔だったりするのである。死ねれば最高、他人の未来を奪えれば最高、他人を不幸に落とせれば幸せ――そして何より、自分が死刑になれたならば。宅間守などがそのタイプだった。世間に出たくないというのもいる。小田急のナタ男がそうだった。
 そして、上記のように追い詰められた、「メンヘラ」「ガイジ」「ミドリさん」達は「おそいひと」の主人公のように新しい手段を手に入れてしまう。知ってしまう。教えられてしまう。
 昨年の夏だっただろうか。最悪のテロ事件で。そしてその模倣犯である、昨日の事件で。

「おそうひと」

 昨年の安倍総理の一件で、犯人は境遇も相まって一定の支持層がついた。あれは支持層と言っても差し支えないだろう。みんな枕詞のように
「テロ行為は許されないが……」
 とつけつつ、犯人を実質擁護していた学者、弁護士、その他有象無象がわんさかいた。私はそれを見ていた。「テロ行為を許さない」と言いながら
「アベは死んでも仕方ない」「教会との関係は云々」
 と嬉々として語る人々を。そして学んだ。
「あんな恐ろしく大々的なことをすれば、どんな問題を抱えて無力であっても話を聞いてもらえるのだ」
 
そして昨日のアレである。失敗こそすれど、やはり擁護する人間が一定数出て、動機を詮索する人間が一定数沸いている。
 一定数が、お世辞にも派手とは言えない地味な「彼」を見ている。
 
愛に出来ることはまだあるかい、ではないが、憎悪に出来ることはまだあるかい、「障害者の私に主張できることはまだあるかい」「障害者の私が主張できる方法はまだあるかい」と、明日を怯え世界を怯える私は泣き叫ぶ。この世を怯える。

 私が人を「おそうひと」になる前に、「私にできることはまだあるかい」。


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