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鬱になって気づいたこと。ー僕の鬱病療養日記-15-

※このnoteは、小中高大と全てで不登校を経験。その後、教育系のNPOで活動するなどしていたが、2019年3月末頃より、鬱病を再発した僕の療養生活を記録しているものです。
 とりとめもない療養生活の日常の記録とともに、この期間を利用して読んでいる本や、見た映画など、芸術と思われるものについての紹介をしています。
 僕と同じように鬱や引きこもりで悩んでいる方、またその身近にいる方々、もしくはそこまでではなくとも、心が疲れているなという方々に読んでいただければ幸いです。


日常

2019年12月7日(土)朝8:30頃

スマホのアラームが、机の上で静かに鳴っている。眠たい目をこすりながら、上半身だけを起こして、手をのばす。一度目は空振り、二度目でキャッチ。ボタンを押して黙らせる。起きなくちゃ。そんなふうに思いつつ、休日ぐらいはもう少し寝ていてもいいかという気持ちが僕の中に広がる。この暮らしになってから、平日も休日も変わらないのに。

布団が僕を抱きしめて離さない。人肌が恋しくなる季節。
ずーっと温めていてほしいけれど、せっかく早寝早起きが習慣化されつつあるのだから、休日なんてお構いなしに、布団を蹴り飛ばし、その勢いのまま、身体を起こす。寒い。

鬱になってから、何度目の朝だろう。変わらない景色。いつもの朝。今日も1日が始まる。

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鬱になり始めた当初は、朝の時間が一番嫌いだった。起きた瞬間に現実に向き合わなければいけないことが辛かった。今日もまた、しんどい1日を過ごさなければいけないのかと思うと、それだけでため息が出る。そしてそんな自分自身を自己嫌悪。そんなに自分からネガティブな気持ちを増幅させてしまうような行動を取ったところで、何も変わりやしない。それが分かってるのに止められなかったから、また自分が嫌になる。

だから、8月頃、朝の時間がだんだんと楽に過ごせるようになってきた時に、少しだけ自分の状態が回復してきているのだなと実感することが出来た。ただ、そのときにはまだまだ調子の波が激しく、また何度も何度も鬱々とした気持ちに襲われて、沈み込んでいた。

11月に入り、毎朝この日記を更新するようになった。最初は書くことにも相当なエネルギーを使っていた。書いている間は時間を忘れて没頭することが出来るため、自分の治療としても良いと思っていたけれど、やっぱり心が少しざわつくので、書くことをやめようかと思うときもあった。それもここ数日はあまりない。身体が慣れてきた。

毎日書いていると自分の変化にも気付く。明らかに1回目2回目の更新に比べると気持ちが前向きになってきている。でも、その一方で、元気になりつつあるのに比例するように、変にメッセージ性が強くなってきている気がして、嫌な気持ちもある。

この日記は自分自身の記録、整理を第一の目的としつつも、冒頭文に書いているように、同じように鬱や不登校、引きこもりで悩んでいる誰かのためにもなったら嬉しいなという気持ちでいる。しかし、それもまたものすごく傲慢な気もしているし、「そんなことよりまずはお前自身がちゃんと回復しろよ」という自分の声も無いわけではない。

ただ、これはもう僕の生き方みたいなものだから。誰にどう思われても、続けたいと思う。どちらか片方だけじゃなくていい、自分自身のことを大切にしながら、その過程が誰かのためになるのであれば、それは嬉しいことだ。

自分が鬱の状態になってから強く思うようになったことがある。それは、世の中にある「支援」と名の付くものの、「なんて傲慢で薄っぺらなことか」ということだ。

先に断っておくと、僕は別に支援やサポートをしている人たちを批判したいわけではない。むしろそれはとても大切なことだと思っている。けれど、やっぱり当事者とそれ以外の人達の間にはとてつもなく大きな隔たりがあると感じている。

というのも、去年までは僕も福祉を専門に学び、NPOで活動するなど、いわゆるソーシャルセクターと呼ばれる領域で活動してきていた。そして、僕は「不登校経験者」として、何か出来ることはないかと、SNSでの発信などもしてきていた。でも今また精神のバランスを崩して、当事者になっている。そうして、過去の自分の発言や態度を振り返った時に思うのだ。「なんて傲慢で薄っぺらな言葉を放っていたのか」と。

これは自戒の意味が強い。どんなに過去にしんどい経験をしていたとしても、わかった気になっていたとしても、やっぱり、鬱の暗い闇の底にいるときの、あの孤独感や、どうしようもなさは、その本人にしかわからないものだと思う。夜中に涙を流しながら、一人で包丁を胸元に当てる虚しさ。高いマンションの最上階から見つめる地上の景色。生きることを諦めたくなる瞬間。永遠に続くんじゃないかと思う恐怖。

鬱になってよかった。とは決して言えないけれど、このことに気付くことが出来た。思い出すことが出来た。それだけでもきっとこの時間に意味はあったんだろうなと思う。
自分自身が、今もなお苦しい状態であることには変わりないけれど、この社会の中でしんどさを抱える人が少しでも楽に生きられるようになればいいという思いは変わらない。だから僕はいずれにしても、またどこかのタイミングで、ソーシャルセクターの仕事に携わるような気がしている。少なくとも個人として活動を続けているだろう。

そのとき、「社会を変える、よりよい社会を目指す」と掲げるのはいいけれど、そうしたビジョンばかりを目指して、陶酔はしたくない。かつての自分がそうだったと思うから。

小さな頃から不登校を繰り返し、もう大丈夫だと思ったのに、またもや鬱に。そんな自分を責め続け、生きてる意味なんてないと、卑下してきた。それでも「たしかにしんどい経験をずっとしてきているけれど、僕は可愛そうではない。惨めでもない。誰よりも苦しさを経験してきているからこそ、見えているものもあるはずだ。」と、こんな生き方しかできないけれど、そんな自分の生き方に誇りを持てるようになりたいと、今はそんなふうに思います。

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