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心理カウンセラーになれるくらい鋭い人が会話中に何を考えてるか追体験できる本 ~高石宏輔「声をかける」レビュー~


すごい本に出合った。新しい読書体験だった。たくさん本を読んできたけど、こういうのはなかなかない。

コミュニケーションに関する、ものすごくおすすめの本です。


■特に読むのをおすすめする人!

・(自称)コミュ障
・初対面の人と何話してよいか分からない人
・とりあえず社交辞令的な会話を回す器用さはもっているけど(だから他人からコミュ障とは思われてない)、浅い定型的な会話ばかりうまくなってしまい「こんな会話しても別に仲良くなったっぽくなるだけで、本当に仲良くなれるわけじゃないよな~」と虚しさを感じている人(私はこういう人を「隠れコミュ障」と呼んでる)
・話をちゃんと聞いてるつもりなのに「話、聞いてない!」と言われる人
・寂しい人
・寂しいけど寂しさの正体がよく分からなくて、適当に人に会ったり何処かに行ったりして埋めてる人


■作者の高石宏輔さんがいかにすごい人か

この峰なゆか氏の「女くどき飯」を読めば一瞬で分かると思う。
(漫画だから脚色も多少あるだろうが、あの峰さんが図星を突かれタジタジになっている。)

http://r.gnavi.co.jp/g-interview/entry/1655



■「聖書」入りした本

私は普段クソ真面目なので、本は1ページ目から1行ずつ読む。
しかしそうではない読み方をしている本が2冊だけある。
それは高石さんの前著「あなたはなぜつながれないのか: ラポールと身体知」と草薙龍瞬さんの「反応しない練習」

心がざわざわした時に適当なページを開いて、文章を味わい、落ち着く……という使い方をしている(こういう読み方を「聖書読み」と呼んでいる)。

この本も聖書入りすると思う。

前述の2冊も、今回の「声をかける」も、初読時はもちろん1ページ目から1行ずつ読んだ。
前述の2冊はコミュニケーション本に関するハウツー(?)本であるから、聖書読み出来るのは道理なのだが、「声をかける」は小説である。

でも、本質がストーリーに無いから、何ページ目から読んでも大丈夫なのだ。

じゃあ「声をかける」の本質はどこにあるのか、というと、「作者の繊細さ」だ。

この本は、「めちゃめちゃ繊細な人の解像度で、会話を味わえる本」だ。


■心理カウンセラーになれるくらい鋭い人が、会話中に何を考えているかが体験できる本

それはたとえるなら、名探偵の推理の妙を味わうのと似てる。

例えば、「緋色の研究」では、ワトソンに初めて会ったシャーロック・ホームズが、彼がアフガニスタン帰りであることを瞬時に見抜いた名シーンがあるそうだが、
それは、ワトソンを一目みたホームズが「医者風かつ軍人ぽいから軍医だろう」「顔は真っ黒だが、手首が白いから、地黒なのではなく、顔を日焼けしたんだな」「ケガもしている」という観察と、当時の英国の社会情勢から、「激戦のアフガニスタンから帰って来たばかりなんだな」という推理を導き出したそうだ。

こういう、「この人の観察力マジ凄いな!」というエピソードが、延々読める。しかしこの本は推理小説ではないので、主軸は事件解決ではなく、「コミュニケーション」だ。


■ナンパは自分探しであり、修行であり、宗教的体験だ

一応ストーリーもあるので説明すると、主人公≒作者はナンパ師だ。(作者である高石さんもナンパブログを書いていたし、以前高石さんがどこかでエッセイ的に書いていた文章と似たエピソードも出てくるので、作者の実体験が色濃く反映された私小説だと思われる)。

六本木や渋谷で女の子に声をかけ、お茶したりデートしたりセックスしたり、分かったり分からなかったりすれ違ったり通い合ったりして、やがてリリースする。それを繰り返す。

彼の目的はセックスではないし、「100人斬り」などの名声でもない。
ただ、「寂しいから」「自分の寂しさを見つめたいから」「道行く知らない人と分かり合う瞬間を重ねれば自分はもっと先に行けるのではないか」みたいな問題意識の元に、ナンパを続けているようだ。

自分のことを分かろうとするために、他人を分かろうとしているんだと思う。

当たり前だけど、ナンパってめちゃめちゃ難しい。知らない人に話しかけるのは怖い。他人の身体は神聖で、見知らぬそれに体当たりで臨むセックスだって、本当は怖い。

でも、「分かりたい」「分かられたい」という切実な欲求の元に、彼はその行為に打ち込む。
もはや彼にとってはナンパやセックスが、他人という聖域に飛び込むための修行とか宗教的体験になっているとすら思える。

そんな彼のナンパは、一般的なナンパ師のそれとは一線を画す。「飲みません?」「可愛いっすね」みたいな分かりやすい定型句やおべっかというエサを投げて釣りあげる魚釣りのルーティーンとは異なる。

(そういえば私は土曜の終電間際の五反田駅のホームで、酔ったサラリーマン風の男性に「お仕事帰りー?」と声をかけられてすごく不愉快だった記憶を思い出した。私は思い切り遊びに行く感じの服を着ていたため、「仕事帰りなわけねーだろ何も見てねえなコイツ」と思って心のシャッターが瞬速で閉まった)

彼の観察力はすさまじく、口調、服装、視線、手指の動き、立ち方などを観察し、女の子の性格や気持ちが感じ取り、それに沿う言葉を投げていく。オーダーメイドだし、セッションだ。

例えば、声をかけるシーン。

やはりナンパはセッションなんだろう、ライヴ前に集中状態に入るミュージシャンによく似てる。

そして、声をかけた後の描写。

声をかけた後にも他人をこんなにていねいに観察できることに驚く。普通、話す内容とか言葉尻に気が行ってしまう。

言葉と言えば、彼はナンパする時に決まり文句を使わない。声をかける前に、上記の通り何も考えず、自分の身体感覚に集中して、ここぞという瞬間に、相手に飛び込んでく。その時頭の中は真っ白で、身体から勝手に言葉が発される、という感じみたい。

声をかけた後も、「相手を観察」し、「自分を観察」し、「発話」、そしてその言葉に反応した「相手を観察」し、「自分を観察」し、「発話」……の繰り返し。

嘘、社交辞令、茶番、おべっか、うわべの会話はしない。定型句再生マシーンにはならない。

(いや厳密には嘘ついたり社交辞令言ったりもするのだが、その後彼は退屈したり自己嫌悪したりする。自分が嘘言ったことにすごく自覚的である)

この小説を読むと、そんな彼の対人関係における繊細さが徐々に自分にインストールされていくのが分かる。
この繊細さは、自分をていねいに扱うこと、そして他人をていねいに扱うことにつながっていく。

こんな繊細に自他を感じ取れる彼だったら、声をかけられた女性が無視できないのも分かる。
この本を読んだ人の中には「こんなにナンパがホイホイうまくいくわけないだろ! 小説にしても都合が良すぎる!」と思う人もいるかもしれないけど、私はありえると思う。

というか、私は彼のボディワークの講座に行ったことがあったんだった。

■高石さんのボディワークを受けた時の話 ~~感情の棚卸し作業だった~~

高石さんのボディワークの感想は、「今までの人生で、会話中、会話相手に言わずに受け流していた感情を、全部棚卸しされたみたいだった」。

みなさんも、今までの人生の会話中で、こんな経験はないだろうか。

例えば、相手がちょっと困った感じで「最近忙しくてさ~」とか「あいつめんどくさくてさ…」とか言い出したけど、私に悩みを打ち明けようか引っ込めようか迷っている時。

私は、「あ、この人、私に悩みを打ち明けようか引っ込めようか迷っているな」とうすうす気づきつつも、「話して」とも「話さないで」ともメッセージを出さず、なあなあにして、そしたら相手もなあなあになり、「あ、ところで……」と別な話題を始めちゃう……という瞬間が何度もあった。

逆に、私がどうにもこうにも説明しがたい感情を抱えていて、対面相手にうまく説明したいんだけど、言葉が見つからず、でも「ちょっとゆっくり言葉を選びたいから待って」というメッセージも発せず、もじもじしてたら、相手が関係ない話をはじめて、「あー......また、分かってもらえなかった。ま、人ってこんなもんだよな」と軽い絶望を感じつつ、なあなあに流してしまった……ということ。

「人の心が開きそうな瞬間をみすみす逃す」
あるいは
「自分の心が開けそうな瞬間をみすみす逃す」
ということ。

こんなことが、私の人生には、実は数えきれないほどあった(が、あまり意識にのぼらせずにいた)。

高石さんの前では、この「なあなあ」が一切起こらない。

というか、「なあなあ」が起こらな過ぎて、偽りのスムーズさが一切ない、ものすごくたどたどしく会話をしてしまう。

なぜか分からないけれど、高石さんを前にすると「この人は、ゆっくりさ、たどたどしさを許してくれそうだから、ちゃんと話そう」と思ってしまうし、たとえ私がついいつもの癖でなあなあに話しそうになっても、「それって、どういう感じですか」「今、~~っていう言葉にちょっとひっかかりがあったみたいだけど、もう少し詳しく言うとどんな感じですか」と聞かれるので、結局ちゃんと話すことになる。

あまりのたどたどしさに、「自分、こんなに会話下手だったっけ?」と驚くけど、「あ、違う、今までの私は会話風のこと、つまり、なあなあに流してそれっぽく会話を回す大人なやり方を身に着けてただけで、本当の会話はなかなか出来てなかったんだな。本当の会話って、こんなにスローモーで、繊細なんだな」と気付かされる。

高石さんと話すのは、ものすごく高解像度の虫メガネを持った人に自分の心の中に注意深く分け入ってもらい、自分の知らない自分の感情も含めて洗い出してもらえる感じ。

そして、そうしてもらった経験があると、だんだんと自分自身の虫メガネも育ち、他人の気持ちも分かるようになるんだと思う。

そんな感じのワークショップだった。(興味がある人はぜひ行ってみてほしい。あるいは高石さんの前著「あなたはなぜつながれないのか」
を読んでみるのがおすすめ)


■鈍感な方が生きやすい、けど。

しかし、今の世は、雑で鈍感な方が生きやすい。刺激が多すぎるし激しすぎるからだ。それに合わせるように、大げさなリアクションや誇張した話術が得意な人が、ズケズケと世渡りしている。

せっかくワークショップに行って繊細な感覚のヒントを得ても、普段の生活に戻ると、油断すればすぐ、身体は鈍感な鎧をまとってしまう。でも、そのほうがやっぱり生きやすいんだとおもう。繊細過ぎると、アテられるからだ。

それでも、やっぱり繊細になりたいなと思った。


私は、今まで、自分のことを鈍感だと思いがちだった。

一時期、


「私はなんて鈍感なんだろう。目の前で一生懸命話してる人がいるのに全然話に共感できない。目の前で一生懸命ライヴしてる人がいるのに全然感動できない。このまま一生感動できなかったら、どうしよう?! 私、心死んでるんじゃないか」


というほどに、自分の鈍感さにすさまじい危機感をもったこともある。

でも、分かった。
そういう時って、心にフタをしてるのだ。
刺激の多すぎる世の中に合わせて、あるいは恐れのために(プライドを傷つけられたり、変化を迫られるのは怖い)、雑で鈍感で図太く抜け目なく生きるために、どんどん心にフタをしているのだ。

この本を読むと心のフタは開く。この本を読めばいつでも心のフタを開けることができる。
いつでも、ちゃんと、感動することができる。
それは私にとって、ものすごく救いだ。

何回かに分けて3日ほどで読み切ったが、その間ずっと、作者の繊細さが私の中にも流れ込んでいるような、不思議な読書体験だった。会話相手の視線の向く先、声の高さや大きさ、手指の動き、顔の表情に、いつもよりずっと注意が向いた。
なんだかいつもより目が良くなったような、世界が遅くなったような、変な感じだった。

そして、なんとなく自分が本来もっている繊細さのことも、あれこれ思い出した。


この本の感想文であるこの記事も、この本にふさわしい繊細な文体で書きたかった。でも全然、追いつかない。何度か加筆しているんだが、やっぱり全然かなわなくて、歯がゆい。

でも、私はもっと繊細になれる。いつでももっと繊細になれる。


もっと繊細になりたい、と思った。



■おまけ

・とりあえず初対面の出身地と年齢と最寄り駅聞いてまわず上っ面の会話に疲れてる人へ ~感情こそが、一次情報で、尊い
https://note.mu/rayshibusawa/n/n4fa7b67428b8?creator_urlname=rayshibusawa
(私が高石さんの前著を別角度から紹介してる記事です)

・君がすぐ男と寝てしまうのは性欲が強いからでも性的承認欲求のためでもなく単にコミュ障だからだ
http://blog.rayshibusawa.her.jp/?eid=264
(同じく私が高石さんの前著を別角度から紹介してる記事です)

・著者の高石宏輔さんのワークショップ
http://takaishi-hirosuke.com/?page_id=13
私はかなりの文字派人間なので、「声をかける」を読むという体験がかなり良かったけれど、直接会ってワークショップ受ける方が良い体験になる人もかなり多いと思います。ぜひ行ってみたください。おすすめ。わたしもまた行きたい。



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