#5 言葉の世界に怠惰にならないために
ちょっとネガティブな話。
そもそも私が真面目な話をするときって
大抵の場合、苦手だなあとか
どうも好きになれないとか
負の感情が付いて回るから、
今更前置き要らないんじゃない?ってね。
そんなわけで、苦手なものの話。
と、言葉についての話。
厄介なスラング
今に始まったことじゃないけど、私の周りには、他人のことを「メンヘラ」と呼んだり「拗らせてる」と言ったりする人が結構多い。
「あのグループの子たち、みんなメンヘラだよね」と、それとなく同意を求められたことが、一体何度あったことか。
私自身も、Twitterでちょっと真面目な話をしただけなのに、「病んでる」「拗らせてる」と指摘されて、その話題を長いこと引きずられた経験がある。
こういうのが、私はちょっと苦手。
病んでるってのはまあ、そんなに理解に苦しまないけど、メンヘラとか拗らせてるとかっていうのは、正直未だに定義がよく分からない。
もちろん、分からないなりに歩み寄ろうと思って、ネットで意味を調べたこともある。で、出てきたのがこんな説明。
メンヘラとは、メンタルヘルスが語源となっており、精神的に不安定な状態の人や、心に病を抱えた人のことを指します。 中には自傷行為に走ってしまったり、鬱病になってしまう方もいます。
(https://dariame.jp/2018/06/23/post-42/ より引用)
拗らせ女子は、自分に自信がなく、自己評価の低い傾向にあるので、物事を卑屈にとらえ、どんどんネガティブな方向へと思考を巡らせてしまうめんどくさい人です。
(https://uranaru.jp/topic/1008774 より引用)
ピンときましたか?
うーん、分かったような、分からないような。後者に関しては、ネガティブと大差ない気もする……。そんなこんなで、個人的には周囲の人たちが使う「メンヘラ」「拗らせてる」とは違う気がして、思ったより理解は進みませんでした。
なるほどそうか!と思える定義を早く見つけたい。
その言葉の意味、説明して下さい
調べて分からないなら、
使ってる本人たちに聞けばいいか。
と思って、その後この言葉で他人を形容する人に、都度「それってどういう意味なの?」って聞いてみました。そしたら、
「メンヘラは、何かこう……メンタルがヘラってる感じだよ。何となく分かるでしょ?」
「拗らせてるってのは、物事を何でも拗らせる人のことだよ」
なんて答えが返って来た。
いやいや、全然答えになってないし。
何そのトートロジー。分かるでしょってなに。分からなくて聞いてるんだから分からないよ笑 ちゃんと説明しておくれ。
と、まあそんなことが大半。
だからどうってわけじゃないんだけど、その時の私は、意味もろくに説明できない言葉を、当然のように他人に向けて使っているという事実に、ただただぞっとしました。
「言葉を使う」ということは
ここで1つ例え話。
一口に「刃物」と言っても、紙とか小さいものを切るならはさみ、料理なら包丁、木を切るなら斧かチェーンソー、手術ならメス、という具合に、色んな種類がありますよね。
それなのに、紙を切るのにも手術にも包丁を持ち出してくる人がいたら、それはちょっと(いや、かなり)危ない人だと思いませんか。
私の感覚の中では、他人のことを「メンヘラ」とか「拗らせてる」とか、そういう言葉で軽率に表現する人って、そんな感じに映るんです。
一部には、「どういうところがメンヘラだ(拗らせてる)と思うの?」って聞くと、具体的な言動を挙げて、こういうところがだよって説明してくれる人もいた。話を聞いて、(ああ、そういう特徴を見てメンヘラ(拗らせてる)って呼んでるのか……)と思ったことも実際ある。
だけど少し考えれば、独占欲が強い、束縛が激しい、寂しがり屋で構ってほしいだけ、心配性、人よりちょっと考え込み過ぎる、他人に弱みを見せるのが下手、繊細で傷つきやすい…etc、その人の特徴を形容できそうな言葉は、他にいくらでも思い浮かんだ。
というかむしろ、それってメンヘラ(拗らせてる)じゃなくてこっちなんじゃない?と、おこがましくも思ってしまった。
……もしあの人たちが、他人のそういう性質を揶揄するために言葉を使っていたのなら、また話は別だけれど。
とはいえ、1つ便利なスラングが生まれてしまえば、他人を形容するために、いちいち細かい表現は使わないんだろうなあ、とも思う。
細かい特徴に気付かないフリをして(あるいは初めから気付くことすらなく)、1つの大きな言葉で括ってしまえば、とても楽だから。
表現者にとって些細な特徴は捨象され、
目に留まった特徴だけが取り上げられ、
肥大していく――
悲しい哉、言葉を使い、
言葉で定義するということは、
きっとそういうことなんだ。
言葉に対して怠惰にならないこと
言葉が悪い、と言いたいわけじゃない。
私はむしろ、言葉が好きだ。
言葉で表現することが好き。
他人の言葉や表現に触れるのも好き。
言葉のプロになりたいと願っている。
だからこそ、なの。
だからこそ、定義が曖昧な言葉を、曖昧なまま、軽率に使うことに対して、何とも言えない悲しさや嫌悪感を抱くことがある。
「言葉は世界を分節化するものだ」という話はあまりにも有名だけど、まさにそういうことでね。
今話してきた「メンヘラ」「拗らせてる」に限らず、どんな言葉であっても、“言葉”にした瞬間、その粗い網目から、ぼろぼろとこぼれ落ちてしまうものは一定量あるんだよ。
ただ、それ自体は、どうこうできる問題じゃない。
だから、仕方ないと割り切るしかない。
でも、言葉が孕むそういう暴力性――(人を傷つけるとかそういう俗的な意味ではなく)定義からはみ出した特徴を捨象したり、もの・ことの一側面を肥大させるという暴力性を理解しないままに、同じ言葉を異なる場面・事象に対して乱用してほしくない。そしてそういうことは、自分もしたくない。と思う。
でも自分、そんな言葉に長けてないし、
語彙力や表現力もないよ、ってね。
どうすればいいのさって話。
簡単だよ。
自分の語彙や表現を増やせばいい。
それだけ。
そのために本を読めばいい。
本が嫌なら本じゃなくてもいい。
ニュース、インタビュー記事、コラム、エッセイ、ブログ――とにかく誰かが書いた文章を読むなり、話を聞くなりして、他人の言葉や表現にコンスタントに触れること。それだけ。
自分の知らない言葉を知って、
自分にできない表現を知ること。
世の中にはこんな言葉があったんだ、
こんな表現ができたんだと感動すること。
言葉や表現に対してアンテナを張ること。
言葉の世界に怠惰にならないこと。
特別なことをする必要はない。
誰でもできそうなことを怠らないこと。
だってね、ほら、
今あなたの手の中にある文明の板。
それは、いつでもどこでも他者と繋がれて、
いつでもどこでも他者の言葉に触れることを
可能にしてくれたんだよ。
それを今使わないでどうするの?
――多分だけど、それで十分なんだと思う。
多分だけど、それだけで少しは、
人も、モノも、事柄も、
違って見えてくるんじゃないかな。
なんてね。
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