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#1960年代
「渋谷系」とは何だったのか? 〜都市論と現代POPS史から読み解く〜 part.3
4「アングラ文化」を中心とした若者たちの集いの場 ~1960年代新宿~
ここまで吉見(1987)の盛り場論を元に戦前における盛り場の変遷と、東京においての音楽文化の誕生について述べてきたが、この節では1960年代の新宿に焦点をあて盛り場と音楽文化を同時並行的に論じていく。
新宿は元禄11年に甲州街道の宿駅が設けられて以降、江戸4宿の一つとして江戸時代から発展をしてきた。戦後になると、新宿駅前付
「渋谷系」とは何だったのか? 〜都市論と現代POPS史から読み解く〜 part.2
3. 東京における戦後の音楽ルーツとエルビスプレスリーによる「毒」が与えた影響
前節では戦前の東京における盛り場に焦点を当てて論じたが、本節では東京における音楽文化のルーツについて述べていきたい。
まずポピュラー音楽の定義を2010年増淵 敏之「欲望の音楽「趣味」の産業化プロセス」のなかで著者はこう述べている。
「①大規模な、社会文化的に同質的な場合が多い聴衆集団に大量に分配されるものとして表
「渋谷系」とは何だったのか? 〜都市論と現代POPS史から読み解く〜 part.1
2. 東京における盛り場から紐解く 〜戦前における盛り場の形成〜ここから数回については長すぎる渋谷系への布石となる。音楽とは懸け離れた文章になるので興味のない方は飛ばしていただければと思う。
渋谷という場所の先行研究として、吉見俊哉著書『都市のドラマトゥルギー』(1987)を参考にしていく。本書は東京の「盛り場」についての変遷とそこでの人々のダイナミズムを写している。
盛り場の「盛」という言葉
「渋谷系」とは何だったのか? 〜都市論と現代POPS史から読み解く〜 part.0
初めましてゆうすけと言います。
簡単に自己紹介すると1995年東京生まれ、高校あたりから手当たり次第バンドを聴くようになり、音楽について深い造詣を持ちたいなと思うようになりました。
リアルタイムでよく聞いていたのはいわゆる「10年代シティポップ」と呼ばれるものであり、この音楽は周囲の人間も挙って好んでいました。
それともう一つ興味があったのが今回話す「渋谷系」です。
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