ラム子

とにかく一生文章を書き続けたい。 自分が書きたいものが相手に届くには。そんな感覚を身に…

ラム子

とにかく一生文章を書き続けたい。 自分が書きたいものが相手に届くには。そんな感覚を身に着けていきたいです

最近の記事

短編小説『ショートケーキと二人の約束』

「吉村さんは、死にたいと思ったことはありますか?」  シマリスを想起させるどんぐり眼を前に向けたまま、隣にいる高峰百合亜はそう口にした。  それは通常であったら、ただ委員会が同じというだけの間柄である私達の間で交わされる話題ではなかった。だけどまあ、このタイミングだったらまだ分かる。 「ないよ」 「私もありません」  高峰さんが私の方を見る。大きくてまるい瞳とばっちりと目が合った。  十一月に入り、秋よりも冬の色が濃くなってきた。先週辺りまでは太陽に照らされ、きら

    • 自分のことが大事

      『自分のことが大事』  そう思うことがとても大切なのでは、とこの頃思う。  これは、「自分勝手にふるまっていい」とか「自分の考えこそが正しいと思う」とか、そういうことではない。  むしろ、心の底から「自分のことが大事」と思っていたほうが、例えば「よかれと思ってやっていたことが、実はそうではなかった」とか、「自分とはちがう相手の意見にも一理あると思える」とか、そういう自分だけの視点に気が付けるのではないか、と思う。 『大事』ではなく、『好き、嫌い』でみると、どうしても「いいこ

      • 「分かってもらえる」という幻想と希望

        「分かってもらいたい」と思うこと自体は悪くないだろうけど、ただ、「本当の本当に分かってくれる人」というのはごく少数だな、と思う。  表面的に分かってもらえたとしても、それは例えば「そのとき偶々同じ人に迷惑をかけられていたから」というように、その場限りの状況だってある。 「この人になら」と思っていた人に、分かってもらいたいことが伝わらずに落ち込むことがある。  だから、ベースとしては「本当に分かってもらえることって少ない」と思っていた方が、切り替えはすぐできる。  だけど、ふ

        • 「疑い」の根本に「信頼」がある。

           今の自分のやり方や、価値観、考え、意見等々は、知識や経験、他者からの指摘等で、どんどん刷新されていくものだと思っている。  そのため、「常に自分を疑っていよう」と思っていたのだが、今日ふと、「これって、未来の自分を信じているってことだよな」と思った。    今の自分がもっているものから、今現在の問題は解決していかなければならない。だけど、今は最適解と思っているものでも、まだまだ余地はあるとも思う。  大切なのは、「疑い」の先に(というか根本に)「信頼」があるということ。 「

        短編小説『ショートケーキと二人の約束』

          「やさしくいよう」でやさしくできなくなるときがある。

          「やさしい人でいよう」と意識することは立派だけれど、これは行き過ぎると、自分の怖かったり冷たかったりする一面を受け入れられないという弊害につながるのでは、と思う。    前々から、「やさしくすると調子に乗ってつけあがる人ってなんなんだろう」と定期的に頭を抱えていたが、はたと、「『つけあがるな』と思う時点で別にわたしってやさしくはないな」、と気が付き、ついでに「やさしい人でいなければ」という気持ちがどこかにあることにも気が付いた。  よくよく考えてみたら、「やさしい人でいたい

          「やさしくいよう」でやさしくできなくなるときがある。

          ポジネガな状態

          「心配」「不安」「怒り」等々、字面だけみればネガティブに思える感情が必要な時ってあるよな、と思う。    例えば、「あの子がんばりすぎてないかな。大丈夫かな」という心配は、「ちょっと話を聞いてみよう」という思いやりにつながる。 「このままの実力でいいのだろうか」という不安は、「これは必要になりそうだから身に着けよう」という健全な努力へとつながる。 「ちょっとそれは理不尽すぎやしないか」という怒りが、誰かを助けるエネルギーにつながることだってある。  心配、不安、怒り、それぞ

          ポジネガな状態

          ネガティブな感情を受け入れるって

           分かるようで分からないような、と思っていたのだけれど、今は、なんとなく「こういうことかな」と思うことがある。    例えば、誰かに怒りを覚えたとする。だけど、「ネガティブな感情=悪」という図式が頭にあると、そんな自分を否定したくなる。  でも、自分を否定はしたくないので、怒りを覚えさせた相手がどれだけひどいことをしたかに焦点を当てて、自分の怒りを正当化させ、相手を攻撃してしまう。  となると、負のループに陥ってしまう。  もしくは、自己否定に向かってしまうと、それはそれでつ

          ネガティブな感情を受け入れるって

          苦手な人は苦手なままでいい

          「苦手な人は苦手なままでいいのでは……っ⁉」と唐突に気が付いた。  特に自分と関わりのない人ならば、思う存分「こういう人、苦手だわー」と思えばいいのだろうけど、自分の所属している(しなければいけない)場だと、本来は苦手であろうタイプと、がんばってうまくやろうとしてしまう。  うまくやろうとすること自体は別に悪いことではないのだけど、価値観や考え方、感覚がちがう人って、どうしたってうまくいかない。    よく考えてみたら、「この人苦手だな」と思ってしまうこと自体は悪くない。そ

          苦手な人は苦手なままでいい

          「気を遣わなくていい人」?

          「気を遣わなくていい人」というのは、なんだろう? と思う。    偶に、「そんな言い方する⁉」という相手に出くわすのだけれど、その相手が機嫌がいいときは優しいので、多分嫌われているのではなく、「気を遣わなくていい人」認定されているんだろうな、と思う。  相手が疲れていたり何かイライラする出来事があったり、または、少しでも意に沿わないことがあると、こちらを気遣わない言い方をされてしまう。といっても、その人も全員にそうするのではなく、相手を限定している。  遠慮なく言っていい人、

          「気を遣わなくていい人」?

          排除したがる、という言葉に「!」とした

           本を読んでいると、偶に「!!」という言葉に遭遇するのだけれど、昨日もそんな言葉を見つけた。 『自分と合わない子はほうっておけばいいのに、全力で排除したがる子』  ちなみに、湊かなえさんの『絶唱』からだ。  まあ、この語り手の本題は、『だからこそバイキング形式で自分のペースで生きていける大学生のときに、取り返しのつかないことをしてしまった』ということなのだが、それはさておき。    小学生の高学年辺りから、そういう子はいたな、と思う。  中学がピークで、高校大学とほとんどなく

          排除したがる、という言葉に「!」とした

          体重を通して気づいたこと

           お盆期間で、久しぶりに休みが続いている。  そんななか、今日体重計に乗ってみて驚いた。  けっ、結構増えている……。あれ? 休み中とはいえ、いつも通り身体は動かしてるし、別に食べる量もお酒の量も増やしていない。  なっ、なぜ……?  と思ったところで、「仕事してるとき、結構体力気力つかってカロリー消費してるんだな」ということに気が付いた。  といっても、今の仕事は内容的に楽しいし、仕事仲間ともそこそこ良好な関係を築いている(と思う)。  それでも、無意識に使っているものが

          体重を通して気づいたこと

          「ラクになるために」を念頭に

          「努力をすること」については、好きとか嫌いとかではなく、「必要なこと」だと思っています。  今現在、自分を必要としてくれている人達がいてくれて、仕事もプライベートも充実しているとしても、それは努力なしには保てないと思います。  ただ、努力をしているなかで「苦しい」と感じたときは、ふと立ち止まるようにしています。  あれ、自分は今なんのために努力をしているのだろう。努力することでむしろつらくなってはいないか? と。  昨日も仕事中に「あれもこれもやらないと。もっと努力しないと」

          「ラクになるために」を念頭に

          何が負担になるか、ということ

           友人が提案したことが、自分にとっては割と負担になることだったので、ちょっと不機嫌に言い返したところ、「ごめん。思いつきで言っただけだから」と謝られたことがあります。  その言葉にハッ、としました。  別に友人に悪気があったわけではないし、友人の中では、こちらにとってそれほど負担になるとは思わなかったのだと思います。  自分も、「それはこういう理由で、わたしはちょっとやりたくないな」と、もっと冷静に言えばよかった、と反省しました。    人によって、何が負担になるかはちがって

          何が負担になるか、ということ

          「相手のことを傷つけない」「周りに迷惑をかけない」

           先日、わたし自身は気にならないけど、相手にとっては気になる、ということを指摘されました。それは、こちら側の自由が制限される面も含んでいたので、言われたときはムッとしたし、少しの間相手とは気まずくなりました。  だけど、よく考えたら、そこまでこだわりがある部分でもなかったので、こちらが折れて修正するようにしました。 「相手のことを傷つけない」「周りに迷惑をかけない」  これは社会で生活する上で心掛けることだと思うし、相手の立場や状況を想像して言葉を選ぶことは大事だと思います。

          「相手のことを傷つけない」「周りに迷惑をかけない」

          提供する側と受け取る側とのすり合わせ

           知り合いが、SNSで発信していた内容に「おお!」となりました。  それは、自分がやっている仕事のコンセプトを改めて提示したもので、「こういうリクエストをされましたが、それはお手頃価格でシンプルなもの、をコンセプトにしている自分には難しかったです。本格的なものを望んでいる方は、別のお店でお願いします。うちでは、~ということをご理解いただける方、お待ちしています」という旨を丁寧に書いていました。  こういう、提供する側と受け取る側とのすり合わせってとても大事だな、と思います。

          提供する側と受け取る側とのすり合わせ

          前向きすぎない目標をもっておくこと

           先日、お店の人とのやり取りでモヤモヤしてしまったことがあります。  何度か行ったことのあるお店なんですが、少し嫌な気持ちになるような対応をされてしまい、自分もそれなりの態度をとってしまいました。  その後は一日中モヤモヤしてしまったのですが、自分はなぜこんな気持ちになっているのか振り返ってみることにしました。  この「モヤモヤ」は相手に対する怒りなのか? そうでもない気がします。最終的には、それでも仕事はちゃんとやってくれたからです。  それなら、自分に対する怒りなのか? 

          前向きすぎない目標をもっておくこと