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短編小説『あなたにこのリボンバレッタを』

 あっ、とでも心の中で声を上げたのが分かるくらいの表情を浮かべて、幸田さんはカウンターの奥から私の方へと小走りに駆け寄ってきた。

 腰ほどの高さまである戸を手で押しながら出てきた幸田さんは、返却口の前にいるわたしに向かって微笑んだ。

「こんにちは、真子ちゃん」

 先日、この市立図書館で行われた職場体験で見せてくれた笑顔と同じだ。

「こんにちは」

 幸田さんの自然な挨拶とは打って変わって、私の声は上ずっていた。

「よかった。また会えないかと思ってたんだ」

 そう言いながら、幸田さんは出入口の方へと目を向けた。

「ちょっと話したいから、一緒に来てもらってもいいかな」

 目で指し示すのは、ロビーにある自動販売機の前だ。私も話したいことがあったのだけれど、まさか幸田さんの方から提案してくれるとは思っていなかったので、驚きながらも頷く。

 ロビーへと向かいながら、私は職場体験の最後に幸田さんへと投げかけた質問を思い出し、頬が熱くなっていた。

 知り合ったその日にする質問ではなかった、と家に帰ってから私は反省し、今度市立図書館に行くときに謝ろうと決めていた。

 十一月に入り、北風がますます冷たく感じられるなか、身体をまるめるようにして図書館へと入った私は、緊張しながらロビーを抜けて閲覧室へと足を踏み入れた。

 だけど、幸田さんと目が合った瞬間、日の光に包まれたような心地がした。

 いけないいけない、と心の中で呟き、私は今日謝ろうとここに来たのだ、と自分に言い聞かせる。

 決心が鈍らない内に、と口を開こうとしたが、「真子ちゃんココアでいいかな」と幸田さんが言う方が早かった。

 え、いや、そんな、とまごついているうちに幸田さんはさっさとボタンを押した。

「今日も寒いね」

 幸田さんがココアの缶を差し出したので、お礼を言って受け取る。

 幸田さんは自分用にもココアを買い、すぐにタブを開けて一口飲んだ。私もそれにならう。

 全身に広がるあたたかさと甘み。

「こないだの質問のことなんだけど」

 ほっ、としてからすぐに現実へと引き戻される。思いもよらなかった言葉にとっさに何もでてこなかった。

「あのあと色々考えたんだ。真子ちゃんがどういう思いであの質問をしたんだろうって。あ、ごめんね。勝手に真子ちゃんの気持ちを想像しちゃって」

 慌てたように言う幸田さんに、「あの」と私は声を上げた。

「私、そのことで謝ろうと思ってここに来たんです」

 幸田さんが、小さく「えっ」ともらす。

「困らせる質問しちゃったな、って思って。あんなに親切に色々教えてくれたのに申し訳なかった、って」

 幸田さんは、さらに慌てたように「そんなことないよ!」と言ってから、ぎゅっと缶を両手で握りしめた。

「ごめん。中学生にそんな気をつかわせてしまって」

「え? いや! 全然、そんなことないです!」

 幸田さんが頭を下げたので、私の方こそ慌ててしまった。

「あ、こんなことしたらますます気つかわせるね。ごめんごめん」

 顔を上げて、幸田さんが照れくさそうに笑う。

職場体験のときはてきぱきと私達を案内してくれたので、ずいぶん大人に見えたけれど、そういえば大学をでて三年ほどだと言っていたことを思い出す。

「もう一度、真子ちゃんの質問に答えさせてもらってもいい?」

 そう言って、幸田さんは先日の質問に再び答えてくれた。

 

 その答えは、まだまだ私には実感できないものだったけれど、真摯に考えてくれたその気持ちがとても嬉しかったのをよく覚えている。

 こんな風に幸田さんのことを思い出したのは、私が今図書室にいるからだろうか、と周囲を見回す。

そういえば、この高校の図書室は配置や雰囲気が市立図書館と似ている気がする。

 あのやり取りをしたのは中二の十一月だから、一年半ほど前のことだ。

 この高校に入学してから、早いものでもう二か月だ、と改めて思う。

 その一方で、今現在ここで過ごす時間の経ち方は遅かった。

 放課後の図書委員の当番活動でカウンターにいるのはいいが、図書室の利用は少なく、私以外には誰もいない。

 宿題はもう終わってしまったし、司書の先生からも今日は特に頼むものはないと言われてしまった。

 何かやって気を紛らわせたいのに。

 窓をうつ雨を見つめながら、誰もいないのをいいことにおおきくため息をついた。

 入学当時、クラスに知り合いは誰もいなかったが、今では楽しくおしゃべりできる友達もできた。

 クラスには、あからさまに場を乱そうとする人もいないし、担任の先生もおだやかな性格だ。

 だけど、と今日のことを思い出して再度ため息をつきそうになる。

 平穏に見える日々にも、ふとしたときに暗い影は落ちるのだ。

「駅前にできたクレープ屋さんあるじゃん。今度みんなで行かない?」

 前を行く美鈴がくるりと振り返りながらそう言ったのは、今日の五限目の授業があった生物室に行く途中のことだった。

 高く括ったポニーテールが、元気よく横に揺れたのをよく覚えている。

「いいね! 気になってたんだ」

「いこいこ!」

「雨降らないといいね」

 美鈴の隣にいた双葉と、後ろにいた私と梨花が口々に言った。

 私はこの四人グループのバランスをとても気に入っていた。

 このとき行く場所を提案したのは美鈴であったが、すぐに双葉がスマホでお店の定休日を確認し、梨花は梅雨空を心配して天気予報を調べ、それから私がよさそうな日を提案し、みんなの予定をまとめた。

 その結果、今度の日曜日の二時頃に行くことが決まり、どんよりとした梅雨の曇り空とは裏腹に私達は週末への楽しみに心をうきうきさせていた。

 そのとき、曲がり角の向こうから二人組の女子が姿を見せた。

 その片方には見覚えがあった。

 二人組とすれちがってしばらくしてから、また美鈴が振り向いた。

 その口元の笑みに私は嫌な予感を覚えていた。

「あれはちょっとないよね」

 そんな曖昧な言葉で、なんのことを言っているのかが分かってしまった。

 私が見覚えのあった方。図書委員で一緒になった、野原さんのことだ.。

「あー」と言って、双葉が苦笑しながら頷き、梨花も「うん、まあ」と続いた。

 美鈴はもう一度笑ってから、何事もなかったかのように前を向いた。双葉とおしゃべりを再開し、梨花も私にむかって先ほどまでしていた話の続きをはじめた。

 だけど、私は上の空だった。

 振り返ったときに見せた美鈴の表情と、中学生のときに向けられた女子からのそれが重なった。

 日の光が差していた私の心は、窓の向こう側の暗い空と同じになっていた。

 それはもうすぐ下校時刻になるこの時間帯になっても変わっていない。

 そのとき、出入口を開ける音がしてハッと顔を上げる。

 それから、なんでこのタイミングで、と思う。

「お疲れ様。ごめんね、こんなぎりぎりの時間に」

 そう言いながらカウンターに本を置いたのは野原さんだった。

「いやいや、暇していたとこだったからよかったよ」

 返却手続きをしてから顔を上げると、野原さんと目が合った。

 自然と、視線は彼女の耳の上あたりにいった。

「その髪飾り……」

「あっ、これね」

 思わず口に出してしまったが、野原さんはさして気にもせずに髪飾りを外した。

「おばあちゃんが作ってくれたんだけど、私には似合わないよね。でも、制服のスカーフの色に合わせたの、なんて言われたからには一度くらい学校につけていかないと、って思ってさ」

 口を挟む間もないほど早口でそう言ってから、野原さんは髪飾りを両手で包むように持ち、照れたように笑った。

 そんなことないよ、似合うよ、と言うべきなのだろうかと迷ったが、残念ながら私は嘘をつけない性格だった。

 白と赤でつくられた梅のようなコロンとしたかわいらしい花。その中央にはきらきらとしたビーズがついていて、下側には葉っぱをモチーフにしたような飾りが伸びていた。単品だけで見ると、とてもかわいい髪飾りだ。

 だけど、野原さんにはさして似合わなかった。というか、成人式で着るような振袖に映えそうなその髪飾りは、紺色のいたって普通の制服姿にはどうしたってちぐはぐだ。

「素敵な髪飾りだと思うよ」

 これは素直な気持ちだ。

「ありがとう。まあ、学校につけてくのは今日くらいで、あとは成人式とか特別な日につけようかと思ってる」

 そう言いながら、野原さんは髪飾りを元の場所につけてから、あっ、というような表情を見せてすぐに外した。

「帰り道は外しておいたほうがいいか」

「そうだね。濡れちゃうから」

 野原さんにつられて窓を見る。それから視線を感じて顔の向きを元に戻すと、野原さんが真っ直ぐと私を見つめていた。

「あの、素敵な髪飾りって言ってくれてありがとうね。おばあちゃん、すごく喜ぶと思う」

 野原さんとは、委員会では事務的なことを話しただけだ。

 真面目に作業をしていたから、こんなに豊かな表情をすることなんて知らなかった。

 生まれたばかりの雛でも包むようにおばあちゃんからのプレゼントを持ち微笑む野原さん。

 そのつぼみがほころんだような笑顔は、しっかりとセットすれば、この髪飾りも似合うのではないかと思うほど魅力的だった。


 制服から部屋着に着替え、えいっとばかりにベッドへとダイブする。相変わらず雨が降り続いているので、部屋の中は薄暗い。でも、今はこのくらいがちょうどいい。

 私の頭の中を、様々な場面がぐるぐると回っていた。

『あれはちょっとないよね』

 そう言った美鈴と、ある女子から向けられた私への言葉が重なり合い、私の胸の真ん中あたりの柔らかな部分に一点の黒い染みを落とした。

 それは半紙に落ちた墨汁のように、じわじわと全体へと広がる。

 やだな。この感じ。

 そう思うのなら思い出さなければいいのに、どうしても引っ張られてしまう。

 中学生の頃。あの幸田さんに会った職場体験より少し前の出来事。

『あれ似合うと思ってんのかな』

 一人で歩いていた私に向かって放たれた言葉。

 言ったのは、話したこともない別のクラスの女子だった。

 その子達と私以外に誰もいなかったので、私に向けて放った言葉だとはっきりと分かった。

 それに、自覚もあった。

 その日、私はリボンのバレッタをつけていた。友達から誕生日プレゼントでもらったものだった。

 その当時大好きだった漫画の主人公がつけていたものとそっくりなそのバレッタは、既製品に、当時一番仲のよかったクラスメートの玲奈が手を加えたものだった。

 私には可愛すぎるかな、とは思ったけれど、とても嬉しかった。

 でも、あんな言葉を投げつけられても気にせずにつけていられるほど、私は強くなかった。

 足早にその場から去り、誰もいないところでバレッタを外して手の中に隠すように持った。

 玲奈には、「大切にしたいから、汚れないように家に置いておくね」と言って、家に帰ってから部屋の机の引き出しの中へと入れた。 

 ベッドから起き上がり、パチン、と部屋の電気をつける。

引き出しを開けて、バレッタを取り出す。

 淡いピンクを基調としたリボンに、白いレースとベロア調のローズピンクが重なり、真ん中には飾りボタンがつけられ、その周りをパールのビーズが囲っている。

 鏡台の前に立って、そっと髪にあててみる。

 分かっていたけれど、部屋着姿に似合うはずがない。

 だけど、と思う。

 中学校の、クラスごとで開かれた謝恩会の場ではどうだっただろうか。

 お母さんに「玲奈ちゃんにもらったあのリボン、つけていけば?」と言われたとき。私は反射的に「やめとく」と言ってしまった。

 でも、玲奈と一緒に撮った写真を見て後悔した。

 笑顔の玲奈の隣で同じく笑う私の頭には、なんの飾りもついていないグレーのカチューシャがあった。

 この場面には、玲奈の愛情のこもったバレッタが一番ふさわしかったと思った。

 バレッタをそのまま鏡台に置き、ベッドへと腰掛ける。

 あの女子は何を思って私にあんなことを言ったのだろう。

 それに。

 あのときショックだったことは二つある。

 一つ目は、言葉そのものだ。あんなにもはっきりとした悪意を直接ぶつけられたのは初めてだった。

 それまでに、悪口や文句を言われてこなかったわけではない。嫌な気分になる言葉を言われたことはあった。

 でも、それは一方的ではなかった。どちらが発端だったか分からないような喧嘩の中で言われた言葉だ。私にだって悪いところはあった。

 でも、あれはそうではなかった。私から攻撃をしたわけではない。ましてや話したこともなかった相手だ。

 二つ目は、その子の隣に一年生のときに仲の良かった子がいたことだ。

 二年生になってクラス替えがあってからは話す機会も減ったが、それでも廊下で会ったときにおしゃべりをするくらいはしていた。

 驚いた私がそちらに目を向けたとき、言葉を発した女子は小声で「あ、やばっ」と言っていたし、私に聞こえていたのは分かったはずだ。

 でも、その子は何も言ってくれなかったし、その顔にはうっすらと笑みが張り付いていた。

 その子に嫌われたのかと思い、悲しかった。

 だけど、その子は三年生のときに、わざわざ私のクラスまで、「卒業アルバムに寄せ書きを書いてほしい」とお願いにやって来た。

 それまで、私はその子達のグループを見かけたら陰に隠れてやり過ごし、すれちがいにならないように気を付けていた。

 こちらはそんな逃げるように避けていたのに。

 なんの屈託のない笑顔でそんなお願いをしてきたその子の気持ちが分からなかった。

 話したこともない子に、傷つくのが分かるような言葉を投げつける人の気持ちも。

 たしなめることもできたはずなのに、それをやらずに、友達面をできる人の気持ちも。

 まったく分からなかった。

 だけど、今の私はどうだ。

 美鈴は相手に聞こえるように言わなかっただけ、あの女子よりはマシかもしれない。でも、やっていたことはあの女子と同じだ。

 ため息をついて両手で頭を抱える。

 そして、私はあの子と同じだ。

 立場や状況がちがっただけで、みんな同じなのではないか。

 蛍光灯の光が眩しく思えて、のろのろと立ち上がり電気を消す。

 暗くなった部屋でベッドに横になり目を閉じる。

 うっとおしいと思っていた外の雨音が、今の私にはちょうどよかった。


「じゃあねー」

「また学校で!」

「というかグループラインで」

「あはは。だよねー」

 クレープ屋を出て、駅前でみんなとは別れた。梨花は徒歩、双葉は自転車、そして私と美鈴は電車だ。

 美鈴と駅の階段を一緒に登る。反対路線なので、改札口の前で別れようとしたが、「ちょっと待って」と呼び止められた。

「真子はなんか用事とかある?」

「え? 特にないけど」

「じゃあちょっと駅ビルで雑貨とか見ようよ。新しいシュシュほしいんだよね」

 美鈴は私が返事をする前に腕をとった。美鈴はスキンシップの多い子で、最初は驚いたけれど、気持ちを素直に行動にうつすところが好きだった。

 でも、今の私の胸の中は複雑だ。

 駅ビルの扉を開け、「お先にどうぞ」と美鈴が私を通す。それから、しばらくドアを開けたままにしていた。どうしたんだろう、と後ろを見ると、子どもを抱いた若いお母さんが、お礼を言いながら入ってきた。

 お母さんの腕の中で眠っている子どもを見て、美鈴は優しく微笑んでいた。


「真子はさ、ヘアアレンジとかしないの?」

 雑貨屋さんで、ヘアアクセサリーのコーナーにあったシュシュを何個か手に取りながら美鈴が言う。

「前髪が邪魔なときはピンでとめるけど……アレンジってほどのことはしないよ」

 入学式では肩につかないくらいのボブだった髪は、今ではちょうど肩にあたる中途半端な長さに伸びていた。

「今の長さだったらハーフアップとかいいよね。編み込みとかしてさ」

 美鈴は持っていたシュシュを置いて、その隣のコーナーに手を伸ばした。

 手に取ったのは、淡いピンク色をしたリボンバレッタだった。

「それでさ、こういうのをサイドや後ろにつけたら絶対かわいいって」

 美鈴がバレッタを私の顔の横に持ってくる。

 真っ直ぐな眩しい笑顔で。

 悪意なんて抱いたことのないような、きれいな笑顔で。

 悪意。

 いや、そうじゃない、と唐突に思う。

 きっと、そうじゃないんだ。

 あのときの美鈴は、自分の行為に悪意があると思ってやったわけではない。

 私をバカにしたあの子もそうじゃないのか。

 ただ目の前にちょうどよく自分が上に立てそうな人がいて。

 反射のごとく、口をついてでたのではないか。

 悪意だなんて大層なものだと、思ってもいなかったのではないか。

 さっき美鈴が子どもを抱えたお母さんに親切をしたように、あの子も別の状況ではやさしい行動をする子だったのかもしれない。

 そうだとしたら。

 困っている人を見て、パッと行動にうつすことができるのと同じくらい、目の前にちょうどよくバカにできそうな人を見つけたらパッとそれを口にしてしまうのが、人間なのだろうか。

 分からない。

 分からないけれど。

 もし、学校に野原さんがあの髪飾りをつけてこなくなったところで、「あれ。今日はあの花つけてないんだ」と美鈴が今度こそ聞こえるような声で言ってしまって。

 言った本人さえも無自覚な、そこに含まれた毒を野原さんが気にしてしまって。

  成人式の晴れの日に髪飾りをつけることを躊躇してしまって。

  あとで写真を見て野原さんが後悔するようなことになったら。

  私は嫌だ。

  野原さんに対してだけじゃない。

 美鈴に対して。自分に対して。いや、もっと全体を包むおおきなものに対して、私は罪悪感を抱えてしまうことになる予感がした。

「あのさ、美鈴」

「ん?」

 美鈴が手をおろして私を見る。

「あの梅の花みたいな髪飾りしてた子いたでしょ。一昨日、生物室に行く途中ですれちがった」

 虚を突かれたような顔をしてから、美鈴は「あー、うん。いたね」と言う。美鈴が思い出したのを確認してから、私は続ける。

「あの髪飾りね、おばあちゃんからもらったものなんだって」

 人をバカにしたようなことを言ってはだめだよ、とは言えなかった。正直、あのときに似合わないと思ったのは私も一緒だ。

 でも、それを言葉という形にする前に、その先を考える必要はある、と思う。

 野原さんがあの髪飾りを手に入れた経緯。あの髪飾りはこれからどう使われるのか。

 もし自分の言葉が聞こえたことで、相手から何かを奪ってしまう危険性はないのか。

 そんな想像力を働かせること。

 このままドアを開けていたら、子どもを抱えたあのお母さんは助かるだろうな、と思えるのなら、きっとできるはずだ。

 困っている人を見て、パッと行動にうつすことができるのと同じくらい、これを言ったら相手がどう思うのかとパッと想像ができるようになるのも、また同じ人間だと思うから。

 気まずい沈黙がしばらく続いた。

 いや、もしかしたら数秒だったかもしれないけれど、とにかく私にとっては長い時間がたってから、美鈴の方が先に「あーうん、あれね」と沈黙を破った。

「真子、あのとき無反応だったよね。てか、双葉も梨花も微妙な反応だったし」

 声からは感情が読めず、だからといって美鈴の表情を見ることもできずに、私は目の前に並ぶヘアアクセサリー達を見つめた。

「嫌なこと言ってたよね、私」

 顔を上げる。ばちっ、と目が合った美鈴は真面目な表情だった。

 ああ、大丈夫だ。

 これ以上は言わなくても、美鈴は分かってくれる。

 そう、思った。

「野原さんも、制服には似合わないよねって言ってた。今度は成人式のときにつけるって」

 なんでもないように続けると、美鈴は小さく「そっか」と言った。

 美鈴は自分で気が付いていた。

 私やみんなの反応から、気が付いてくれていた。

 だったらちがう、と思う。

 私を嘲った女子と、近くにいた友達だと思っていた子は、気が付いていなかった。

「そのバレッタさ。似てるけど、それよりもう少し豪華なの持ってるんだ」

 手のひらを上に向けて美鈴に伸ばす。その上に美鈴はバレッタを乗せてくれた。

 私はそのままバレッタを髪に近づける。

「もしよかったら、ヘアアレンジしてもらえないかな」

 美鈴が笑う。

「うん。もちろん」

 しばらく話をして美鈴と別れてから、一人で電車に乗り込む。

 ガタンゴトン、と電車に揺られ、うっかりすると眠ってしまいそうな心地よさに包まれる。

 夢うつつな頭の中に、幸田さんへの質問が頭に浮かんできた。

『学生の頃と、社会人になった今で悩んでいることはちがいますか』

 私は知りたかった。

 学校を出れば、この息苦しい閉塞感はなくなるのかと。

 だけど、社会人だって限られた場所の中で生活をしている。

 いつどこで向けられるのか分からない悪意に怯え続ける日々が続くのかと思うと、私はいてもたってもいられなかった。

 幸田さんの一回目の答えはこうだった。

『そうですね。学生の頃も社会人になってからも、やっぱり悩みはあるし、うーん。ま、ちがう種類の悩みって感じかな』

 それは、軽くなったのか。それとも重くなったのか。

 私はそこを知りたかった。

 でも、そんなことも聞けずに私はその質問をしたこと自体を後悔した。

 だけど、幸田さんはあの後も私の質問への答えを考えて、二回目の答えをくれた。

『悩みは絶えないけどね。でも、これは確実に言える。まだまだ分からないことだらけだけど、分かることもちょっとずつ増えてきたって』

 うん、そうだね。

 とろんとしたまどろみの中で私は心の中で呟いた。

 幸田さん。私も今日、分かったことがあったよ。

 窓にもたれかかって外を見る。

 梅雨の晴れ間の夕焼けは、ほの明るいオレンジ色だった。


【おわり】

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