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「気を遣わなくていい人」?

「気を遣わなくていい人」というのは、なんだろう? と思う。
 
 偶に、「そんな言い方する⁉」という相手に出くわすのだけれど、その相手が機嫌がいいときは優しいので、多分嫌われているのではなく、「気を遣わなくていい人」認定されているんだろうな、と思う。
 相手が疲れていたり何かイライラする出来事があったり、または、少しでも意に沿わないことがあると、こちらを気遣わない言い方をされてしまう。といっても、その人も全員にそうするのではなく、相手を限定している。
 遠慮なく言っていい人、とされてしまっているのだろう。
 
 というか、そういう人(「気を遣わなくていい人」をつくっている人)ほど「気を遣わなければいけない人」としている相手に、過剰に気を遣いすぎている気がする。
 そのしわ寄せが「気を遣わなくていい人」に向けられているのでは。
 
 そこに関係が構築されているのであれば、気を遣わなくていい、なんてことは、ないのになあ、と思う。
 人に優しくするのが無理なときもあるとは思うけれど、その場をそっと離れる、という気はつかえるし。
 
 といっても、自分自身も昔は、やさしい人や身近な人に甘えてしまい、気を遣わない状態になってしまったことはある。
 だけど、それでは人間関係は継続しない、ということを身をもって知ったから気を付けるようになった、と思う。
 
 そもそもは、相手を気遣う余裕もないほど自分自身が疲労困憊に陥らないようにするのがいい。
 誰か特定の相手に、過剰に気を遣いすぎてはいないか。それは本当に自分がやるべきことなのか。そんな環境に身を置いていいのか。身近な人に気を回せなくなるほど、大事にしなければいけないものなのか。
 
 そうなると、最終的には自分への思いやりなんだろうな、と思う。

 


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