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ポジネガな状態

「心配」「不安」「怒り」等々、字面だけみればネガティブに思える感情が必要な時ってあるよな、と思う。
 
 例えば、「あの子がんばりすぎてないかな。大丈夫かな」という心配は、「ちょっと話を聞いてみよう」という思いやりにつながる。
「このままの実力でいいのだろうか」という不安は、「これは必要になりそうだから身に着けよう」という健全な努力へとつながる。
「ちょっとそれは理不尽すぎやしないか」という怒りが、誰かを助けるエネルギーにつながることだってある。

 心配、不安、怒り、それぞれどの場合でもいえることだが、その感情をもっても仕方がないときってある。そんな場合は、根本的な原因を考えてさっさとその感情から脱出してしまったほうがいい。

 だけど、健全なエネルギーへとつながる「心配」「不安」「怒り」というのもあると思う。

 以前は、楽しい時は「楽しい」だけでしかなかったが、最近は「楽しい」中にも「ちょっと心配な気持ち」が混ざっている。
 それは、主観だけの「楽しい」に引っ張られすぎて、周りに気を配れなかった経験があるからだと思う。
「わたしは楽しいけど、誰か嫌な気持ちになってしまっている人はいないか」と楽しいなかでも、常にどこかで心配をしている。
 これは好きな相手にもいえることで、こちらも相手も好きな状態にいる中にあっても、「今は好いてくれているけど、これが続くわけではない」という不安な気持ちをどこかにもっている。

 この状態が一生続くのはどうなんだろうと悩んだときもあったが、そもそもポジティブとネガティブがいい具合に混じっている状態が一番いいのではないか、と最近は思うようになった。
 それは冒頭に示したとおり、不安も心配もそのままの状態でいるわけではないと気が付いたからだ。
 不安や心配は、相手への思いやりや気遣いにもつながり、自分の傲慢を防ぐことにもなる。

 もちろん、「不安なままの不安」「心配なだけの心配」「怒りなだけの怒り」といった、もっていると精神的に参ってしまうような負の感情は解消したほうがいい。
 でも、全部が全部そうではないし、一見「負の感情」に見えるからと言って、手放してもいいものではないとも思う。

 

 

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