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短編小説『ショートケーキと二人の約束』

「吉村さんは、死にたいと思ったことはありますか?」

 シマリスを想起させるどんぐり眼を前に向けたまま、隣にいる高峰百合亜はそう口にした。

 それは通常であったら、ただ委員会が同じというだけの間柄である私達の間で交わされる話題ではなかった。だけどまあ、このタイミングだったらまだ分かる。

「ないよ」

「私もありません」

 高峰さんが私の方を見る。大きくてまるい瞳とばっちりと目が合った。

 十一月に入り、秋よりも冬の色が濃くなってきた。先週辺りまでは太陽に照らされ、きらきらと輝いているように見えていた紅葉も、段々と落葉していく。

 マフラーを巻いてきたほうがよかった。

 そう思うくらいには寒い。

「でも、これから会う子にはあるんですよね」

 今まさに待ち合わせの最中で、これから私達と話をする一つ下の高校一年生の女子。

「なんで、そんな風に思ったのでしょうか」

 そう言った高峰さんの頬は、寒さのためか赤くなっていた。

「先に中入ってる?」

 待ち合わせの時刻には少し早かったので、時間までは外で待っていようと二人で話していたのだが、相手もこの喫茶店の場所は分かっているようなので、中で待っていても構わないだろう。

「そうしましょうか」

 高峰さんはそう言ったところで、「あっ」と声を上げた。彼女の目線を追って振り返ると、待ち人が走ってくるのが見えた。

「すみません。お待たせしちゃって!」

 その子は、ゆるくつくったシニョンにクリーム色のレースを巻き付け、かわいらしいバレッタをつけていた。まつげは綺麗に上を向き、黒々としたマスカラで艶めいている。私達の通っている高校では、化粧についてそれほどうるさくは言われない。というか、そもそもうるさく言うほどの化粧をする生徒が少ないというべきだろうか。

 アイラインで黒く縁取られた彼女の目は、私ではなく高峰さんをとらえていた。

「こんにちは。牧田さん」

 微笑みながら言う高峰さんに、その子は「こんにちは!」と元気よく返事をする。

 高峰さんが、ちらりと私を見る。その眼差しにどう答えていいか分からずに、軽く頷いてみせた。


 高峰さんが私に声をかけてきたのは、一昨日の放課後のことだった。

「吉村さん」

 彼女のそうおおきくもない声に、私はびくりと肩を震わせてしまった。正面から目が合ったとき、高峰さんは申し訳なさそうにその大きな目を細くした。

「ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったのですが」

「あ、いや、ごめん。こっちこそ大げさに驚いて」

 私はそのとき図書委員の当番でカウンターにいた。カウンター内では静かにしているならば読書をしても勉強をしても構わないのだが、それでも人が来たらすぐに対応できるよう、本を読みながらも気は張っていたはずだ。

 それなのに、正面に来ていた高峰さんのことには気が付かなかった。

「当番中にすみません。ちょっと見てほしいものがありまして」

 そう言って高峰さんはカウンターの中に入り、私の横に腰を落とした。その動きは俊敏かつ無駄がなく音もなかった。外見とは裏腹なその動作にちょっと目を見張った。

 高峰さんは、ふんわりとした豊かな長髪をもち、色白で手足は長く、月並みな表現だがお人形さんのような子だ。

 ただ、私は初対面のとき、外見よりもその言葉遣いのほうが気になった。同じクラスで仲の良さそうな子にも敬語をつかうのだ。

 高峰さんとは、二年生の二学期が始まる夏休み明けの八月後半から図書委員で活動を共にしている。知り合ってからまだ二か月弱といったところだ。まあ、共にしているというほど会話をしたわけでもなかったが。

 だから、このときも図書委員のことで、偶々見かけた私に何かしら意見を聞きたいことがあったから話しかけてきた、くらいにしか思わなかった。

「これ、生物室で見つけた忘れ物のノートです」

「え?」

 予想外の言葉と差し出された物に、思わず声を上げたが、高峰さんはそんな私を気にも留めずに話を続けた。

「私の所属する天文学部の部室が生物室なんです。机の下で見つけました。表紙にも裏にも名前が書いてなかったので、最初と最後のページだけ見させてもらったんです」

 困惑する私をよそに、高峰さんはノートの最後のページを開く。

 そこに書かれていた言葉を見て、私は声を失った。

『死にたい』

 高峰さんは少し間をおいてからノートを閉じた。

「私、この子に話を聞いてみたいと思っています」

 元々小さな声で話していた高峰さんがさらに声を落として、囁くように言った。

「吉村さんも一緒に聞いてもらえませんか」

 

 高峰さんの行動は早かった。ノートの内容を見て一年生の範囲だと分かってからは、その日の六時間目の授業があったクラスを生物の先生に聞き、次の日のお昼休みのショートホームルームが終わってからダッシュでそのクラスへと行き、クラスに生徒が残るなか、担任の先生に、「これ、こちらのクラスの誰かの忘れ物かと思います。生物室にありました」と手渡した。

 すぐに、「私のです!」と名乗り出た女子生徒がいたという。最後のページにメールアドレスとメモを書いた付箋を貼っておいたらしく、その日の夜に彼女からメールが届き、今日の放課後に喫茶店で話をすることになった。

 それで、私は今ここにいるのである。

 いるのだが……。

「思いもかけず、藤堂くんといい感じで二人きりになったんです。それで、私思わず告白しちゃったんです! 美里が藤堂くんのこと好きなのは知ってたのに……でも、自分の気持ちに嘘はつけなくて……」

 高峰さんが選んだ喫茶店は、各テーブルの間に仕切りのあるつくりで、知られたくない話をするにはちょうどいい場所であった。

 ただ、牧田さんは声が大きいうえに名前も口にしていたので、その配慮もあまり意味はなくなっていたけれど。。

 話している内に感情が高ぶったのか、牧田さんの頬には涙が流れていた。黙ってティッシュを差し出すと、牧田さんは「ありがとうございます」と言いながら、上品に目元の涙をぬぐった。ティッシュの白が、黒に滲む。

「そしたら、藤堂くんからオッケーもらっちゃって! 美里に話さないにはいかないじゃないですか。そしたら、『ひどい』って泣かれちゃって……。その場にいたもう一人の友達にも言われたんです。『一緒に応援しようって言ったじゃん。嘘つき』って。それから、二人には口をきいてもらえなくなりました。入学してからずっと、三人で仲よかったのに。私、友達からはぶられるとか初めてでどうしたらいいか分からなくって……それで……」

 言葉が続かずに、牧田さんは両手で顔をおおう。背中をさすろうにも、私は彼女から見てテーブルを挟んで正面にすわっているうえ壁際なので、隣にいる高峰さんをどかさないと彼女の隣にはまわれない。

 しばらくしてから、牧田さんはつぶやくようにこう言った。

「美里も亜理紗も友達だから分かってくれると思ってたのに……」

 そんな牧田さんに、なんて言葉をかけたらいいのか分からずに、私はコーヒーを飲んだ。今月は好きな作家の新刊が立て続けにでて懐が寒いので、私の注文は飲み物だけだ。ケーキセットを頼んだ高峰さんは、牧田さんの話に相槌をうっていたためにショートケーキを食べ進めるスピードも遅い。と思いきや、フォークをもって三分の二ほど残っているショートケーキを食べ始めた。

 えっ、と思う。

 もぐもぐと幸せそうにショートケーキを頬張る高峰さんに、「なにか言ってあげなよ」という意味を込めて視線を送ると、高峰さんはハッとした表情をした。それから申し訳なさそうに小声で言う。

「すみません吉村さん。一口差し上げられればよいのですが、私甘い物には目が無くて。これは独り占めしたいのです」

 言葉の意味を理解するのに少し時間がかかった。怒ればいいのか呆れればいいのか判断がつかず、とりあえず「いや、そうじゃなくて」と否定する。

「高峰さん、牧田さんに何か言ってあげなよ」

 さらに小声で言う私に、高峰さんはやっとフォークを置いた。

「牧田さん。そのことを彼には言ったのですか?」

 その質問に、牧田さんは気まずそうに視線を逸らした。

「いえ。彼に心配させたくないんで」

「そうですよね。お友達を裏切って先に告白したことを話す必要がでてきますからね」

 間髪入れずに返した高峰さんの言葉にぎょっ、とする。

 おだやかといっていいほどの微笑みをたたえて、彼女は続ける。

「それで……」

「牧田さんは、どうしたいと思ってるの?」

 何か続けようとする高峰さんの言葉をかき消すように、私はかぶせた。

 高峰さんの言葉にぽかんとした表情を見せていた牧田さんは、今まで向こうともしなかった私の方を見て、その口を開いた。


「吉村さんにご同行していただき正解でした」

 喫茶店を出て、牧田さんと別れた私達は、二人で駅方面に向かって歩いていた。

 あの後、牧田さんはほぼ私に向けて話をした。

 おそらく、牧田さんのなかでは、高峰さんに話を聞いてもらい慰めてもらう予定だったのだろう。だから、私は途中までは口を挟まないでいた。

 高峰さんの外見は華やかだ。それを自分でも分かっていて高峰さんはわざわざ牧田さんのクラスに赴いたのだろう。狙い通り、牧田さんは連絡をくれた。

「牧田さんは高峰さんと話がしたかったんだよね」

 途中から話し相手が私になってしまったことへの非難も込めて言ったつもりが、高峰さんは「私、知りたかったんです」とどこ吹く風だ。

「『死にたい』なんて書くほど、思い詰めてしまった理由がなんなのか」

 それは。

「その子が、本当に死んでしまわないか心配だったから?」

 どちらかといえばゆっくりだった高峰さんの歩調がさらにゆるやかになる。

 立ち止まりそうなほどの速度ながら、それでも前には進んでいく。

「それは……」

 長い沈黙が続く。

 時刻は五時をまわっていた。ここから日が落ちるスピードは加速度的になっていく。

 とうとう高峰さんは立ち止まってしまった。

 下を向き、その手はスカートをぎゅっと掴んでいた。

「牧田さんの言葉に、一つだけ共感することがありました」

 それ以外は全く共感できなかった、という意味とそれは同義だ。

「彼女言ってましたよね。『自分の気持ちに嘘はつけない』と」 

「言ってたね」

「そうですね。自分の気持ちに嘘はつけない。いえ、つきたくない、のが正しいかもしれません」

 高峰さんが顔を上げる。

「私、心配なんてしていませんでした。先ほどの言葉が全てです。知りたかったんです。あのノートに書かれた言葉を見た瞬間から。どうしてこの子は死にたいなんて言葉をノートに書いたのか。どれほどのことがあれば、人はそう思ってしまうのか。ただ、知りたかったんです」

 日が落ちていく。彼女に影を落としながら。

「どうして私を連れて行ったの?」

 私の言葉に高峰さんは微笑む。分かっているでしょ、とでも言うように。

「今日、吉村さんがいなければどうなっていたでしょうか」

「それは……」

 まあ、あのまま高峰さんが話していたら、間違いなく彼女は。

「牧田さんは傷ついただろうね」

「そうですね。思ったことを口にしてしまうのは私の悪い癖です」

「分かってたのか」

「はい。分かっていて、なお私は彼女に話を聞きたい欲を抑えられませんでした」

 要するに私はストッパーか。

 でも、それだけの理由じゃまだ足りない。

「誰かを連れて行く必要があるのは分かった。でも、どうして私だったの?」

 それなら、仲のいい友人でもいいはずだ。

 と思ったところで気が付いた。

「別に私になら知られてもいいと思ったからか」

 なるほど。それなら頷ける。

 きっと彼女は自分の……彼女の言葉を借りるなら、悪癖を自覚していた。

 それを仲のいい友人に知られているとはかぎらない。もし伝えていないのであれば、知られたくはないだろう。

「ちがいます」

 あれ。

「そうなの?」

「はい」

 高峰さんが俯く。地面を見たまま、呟くように言う。

「私、ここまで話す予定はありませんでしたから」

 それからぱっ、と顔を上げ、にこりと笑う。

「吉村さんを選んだのは、あなたの図書委員の仕事が丁寧だからです」

「へ?」

 予想もしなかった返答に間抜けな声を上げると、高峰さんは少し笑った。

「はい。本のバーコード貼りも、本棚への返却も、どこまで作業をしたかの次の当番への報告も……吉村さんは他者への配慮にあふれています。だから、私はあなたを選びました」

 いつの間にか、辺りがほの明るくなっているのに気が付いた。

 月が雲から顔をのぞかせていた。今夜は満月だ。

「改めまして、今日はお付き合いいただきありがとうございました」

 高峰さんが頭を下げる。ゆっくりと、礼儀正しく。

「また委員会のときにはよろしくお願いします」


 その夜、私のスマートフォンの通知は鳴り止まなかった。

 思わず独り言ちる。

「牧田さん……容赦ねえ……」

 今日の帰り際、牧田さんに連絡先を聞かれ、どうしようかと思いつつ教えたがやはりやめておくべきだった。

 今日会ってみて、彼女が本気で『死にたい』だなんて思っていないのは分かったし、これ以上付き合う義理はないのに。

 それなのに、言われるまま連絡先を交換してしまった。彼女からメッセージが大量に届くだろうことは予測できていたのに、だ。

 ふと、高峰さんのことを思う。

 彼女は、自分が思ったことを口にしてしまのを知りながら、相手について知りたがる気持ちを、自分の悪癖だと言っていた。

 だったらこれは、私の悪癖なのかもしれない。

『吉村さんは他者への配慮にあふれています』

 高峰さんはああ言ってくれたけれど、それは思い違いだ。


「はい、これよっしーのだよね」

 そう言いながら私に楽譜を渡す咲に、「そうそう! ありがとう!」とお礼を言いながら受け取る。

「よかった。あのまま置きっぱなしだったら、先生に『さっさと台紙に貼っておきなさい』って怒られるところだった。咲、ナイス」

「ふふ。よかった。回収しておいて」

 スマートフォンに、同じ合唱部に所属する咲から画像つきでメッセージが届いていたのに気が付いたのは、一限目が終わったときだった。部活動で使う楽譜が、音楽室に置きっぱなしになっているのに気付き、楽譜に書き込まれた文字から『これはよっしーのものだな』と思い連絡してくれたのだ。

「ごめんね。ご飯食べてる途中に」

 私が咲のクラスである二年A組に顔を出したとき、咲は談笑しながらお弁当を食べている最中だった。

「ううん。大丈夫だよ」

「ありがとね。じゃあまた明日」

 今日は部活動がお休みの日なので、会うのは明日の朝練習だ。

「あ、待って」

 咲はそう言って、去ろうとした私の袖をちょいちょいと引っ張る。

 教室を出てすぐの廊下で話していた私達は、移動して、教室からは少し距離のある水道の前まで来た。

 お昼休みに入ってすぐのこの時間帯に、歯磨きに来ている生徒はまだいなかった。

 何か部活のことで相談でもあるのだろうか、と咲を見る。

「高峰さんと友達なの?」

「へ?」

 と思いきや、咲の口から出たのは、二週間前にちょっとしたやり取りをした子の名前だった。

 咲を探そうと二年A組をのぞいたとき、すぐに目が合ったのは高峰さんだった。寄って来てくれた彼女に、咲を呼んでくれるよう頼んだのだ。そのときの私達の様子から、顔見知りだと判断したのだろう。

「親し気に話していたから、その、気になって」

 咲は、なんとも歯切れの悪い言い方をした。

「咲は高峰さんと仲いいの?」

 質問を質問で返すという不親切なことをしたが、咲は嫌な顔をしなかった。

「よくはないよ。まあ、悪くもないけど。というか、そんなに関わりないし」

 そう言いながら、咲は一歩前へと踏み出し、周りに人がいないにも関わらず、耳をすまさないと聞き取れないほどの小さな声で言った。

「私、彼女とは中学が一緒なの。それで、友達が言ってたんだけどね。高峰さん、人の悩みを聞くだけ聞いて、なんの手も差し伸べてくれなかったんだって。多分、人の不幸を聞いて喜ぶタイプなんだよ」

 そう言って、咲は周囲を見回す。それから私に目線を戻した。

「よっしーはいい子だからさ。あんまり人のこと悪く思えないだろうけど、そういう子もいるの。だから、気を付けてね」

 咲のことは好きだ。練習熱心だし、気配りもできるし、後輩の面倒見もいい。

 ただ、お節介だなと思うときも偶にある。

「そっか。分かった」

「うん。じゃあ、また」

 水道前で別れて、自分の教室へと戻る。

『よっしーはいい子だからさ。あんまり人のこと悪く思えないだろうけど』

 今さっき言われたばかりの言葉が頭の中を反芻する.。

 昨日、特別棟へ向かう途中で牧田さんとすれちがった。

 二週間前に、私に大量のメッセージを飛ばし続けていた彼女は、私と目が合った途端に眉根をひそめ、はっきりと視線を逸らした。隣にいたのは背の高い男子で、ぴったりと寄り添うように歩いていた。

 牧田さんが、友情よりも恋愛を選んだことについて、私は特にどうとも思わない。

 友達を裏切るなんて、と快く思わない人もいるだろうし、恋愛をとるときだってあるよ、と共感する人だっているだろう。

 牧田さんによると、お友達である美里さんは、強引に自分の恋路の応援をするよう言ってきたらしい。だから自分も彼のことが好きだとなかなか言い出せないまま、チャンスがきてしまった、と。それを信じるほど、私は彼女のことを知らなかったし、そもそも経緯はどうでもよかった。

 大事なのは、行動の選択と結果に対して、自分自身がどう決着をつけるかだろう。

 そこに私の承認なんて必要ないだろうに。

 自分の正当性を主張し続けた牧田さんは、『あなたが正しいよ』という言葉を私から引き出せないと分かってからは、すっぱりと私への連絡をやめた。

 彼女の中には失望が生まれただろう。

 だったら、と思う。

 牧田さんに連絡先を教えるという中途半端なことをやるべきではなかったのだ。

 高峰さんに代わり、私が話し相手となってから、牧田さんは高峰さんに期待していた望みを私に託したのだろう。

『美里も亜理紗も友達なのだから、許してくれたっていいのに』

 そんな自分の願望に、『そうだね。そのお友達はひどいね』と言ってくれる相手の存在を。

 中学までの私だったら。

 多分、言っていた。

 相手が欲している態度や言葉を、思ってもいないのに提供してしまうこと。

 それは相手を助長させ、自分の正しさを補強するために使われてしまう。

『私だけじゃない。よっしーだって言ってた』と、対立相手に伝えられることも、二人の喧嘩に当事者ではない私がいつの間にか巻き込まれてしまうことも。

 私はもう知っている。

 喫茶店を出てから、高峰さんは私に言った。

『今日、吉村さんがいなければどうなっていたでしょうか』と。

 私は答えた。

『牧田さんは傷ついただろうね』と。

 中学までの自分よりかは、自分のことを分かっていると思う。だけど、まだまだ私は中途半端だ。

 分かっていながら、彼女と連絡先を交換し、ずるずると話を聞き続けた。

 その結果、私は牧田さんを傷つけた。

『どうして私の味方をしてくれないんですか』と。

 それに、胸を痛める資格なんて私にはないのに。

「吉村さん」

 呼びかけられた声に足を止める。振り返るとそこにいたのは。

 息を切らせた高峰さんだった。

「あの、私……」

 そう言いながらも、高峰さんは困ったように口を閉じた。道に迷った子どものように、不安げに視線を泳がせる。

「来月になったらさ。あの喫茶店もう一度二人で行かない?」

 彼女の言葉の続きを待たずに私は言う。

 私の言葉に、高峰さんはただでさえ大きな瞳をさらに見開いた。

「こないだ行ったときはお小遣いピンチだったからケーキ頼めなかったの。あまりにも高峰さんがおいしそうに食べてたから、気になっちゃって」

 高峰さんはきょろきょろと周りを見回してから、そっと私に近づいた。

「でも、いいんですか? 多分、先ほど私について警告を受けたのではないですか?」

 よく分かったな、と驚きつつ、それを予測できるほどには自分がどう見られているのかが分かっているんだろうな、とも思う。

「まあ、咲のことは好きだけどさ。でも、私の交友関係は私が決めるよ」

 それでもし咲にとがめられたら、自分の気持ちを正直に言えばいい。

 分かってもらえる、とは思っていない。分からないことがあってもいい、と思う。

 自分の気持ちに蓋をしてしまえば、結局誰かを傷つける結果になることを私はもう知っている。

 たしかに、私は図書委員の当番の仕事を丁寧にやっている。だけど、それはできるからやっているだけだ。他者への配慮とか、そんな大層なものではない。

 喫茶店では、牧田さんの話に耳を傾けて、彼女がすっきりするまで話に付き合った。でもそれは、彼女に同情したからではない。あの場を終えるには、それが必要だと判断したからだ。

 やさしいね、だとか、思いやりがあるね、だとか言われると、いつも私の心の奥底がきゅうっと締め付けられる。

 そうじゃない。

 私は、そんないい子じゃないと。

 そんな話を、なぜか高峰さんには話したくなった。

 それは多分、彼女が私に本音をもらしたから。

『私、ここまで話す予定はありませんでしたから』

 そう呟くように言った高峰さんの表情は、俯いていたせいでよく分からなかったけど、でもそれは安堵のような感情ではなかっただろうか、と思う。

「私、高峰さんともっと話がしてみたい」

 がらりと私の教室の扉が開く。早々にお昼を食べ終わった男子達だ。多分体育館かグラウンドに出てスポーツでもするのだろう。この寒空の下、元気がいいなと思う。

 男子達が通りすぎてからも、高峰さんはなかなか返事をしてくれなかった。

「あの、別に無理にとは……」

「いえ!」

 その声の大きさに、通りすぎた男子達が驚いたように振り返る。

「ぜひ! お願いします!」

 それから、パッと花のように笑顔を咲かせた。

「私、吉村さんとお話したかったんです! でも、先日は結局あなたに負担をかけさせてしまったし、それを思うと言い出せなくて……」

 どうやら、私に負担をかけたことには気づいてたらしい。まあ、直後に『牧田さんは高峰さんと話がしたかったんだよね』と水を向けたときには感じていなかっただろうけど。

 でも、後から振り返ってみて、『あれはまずかったな』と反省することなんて多々あることだ。

 きっと高峰さんは高峰さんなりに、自分の振る舞いについて思うこともあるのだろう。

 私は、それを知りたい。

 別にその是非を問うわけではない。

 彼女の心の揺れ動きに興味があるのだ。

「じゃあ、連絡先交換しておこう」

「そうですね! あ、私スマフォを持ってきていません。持ってきます!」

「ああ、いいよ。またいつでも」

「いえ! 善は急げ、です!」

 言うが早く、高峰さんはくるりと振り返り全力疾走していった。

「あれ、A組の高峰さんだよな?」

 通りすぎていった男子達の一人、クラスメートの倉島くんが、私に近寄ってきてそう聞いてきた。

「うん。そうだよ」

「なんかこう……思ってたより元気いいんだな」

 そう。彼女はお嬢様然とした見た目とは裏腹に、好奇心旺盛で行動力もある。

 だけど、繊細な面だってあるのだろう。

 まあ、きっとそれは誰にだっていえるのだろうけど。

 倉島くん達が去り、私は一人で高峰さんを待つ。廊下の寒々しさに今頃気が付き、日の光が入る窓際へと移動する。日が当たると、案外暖かった。

 ふと窓の外に目を向けると、そこから見える桜の木の枝に雀がとまっていた。その雀がパッと飛び立つ。

 枝に残る二枚の茶色い葉っぱが揺れ、それでも落ちることなくその場に留まった。

 十一月も半ばを過ぎ、季節はもうほぼ冬だ。

 ただ、クリスマスに向かう街中は、華やいだ明かりが灯り始めるだろう。

【おわり】

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