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『コンビニ人間』と落語とジェンダーと文化


久しぶりに小説を読了した。

遅ればせながらの、『コンビニ人間』である。

(村田沙耶香著。2017年7月27日刊行)


「読むと意気込んで読んでもらうよりは、うっかり読んでほしい」と著者の村田氏がおっしゃっていたように、本当にひょんなきっかけで読んでしまった。


ひとことで感想を述べると「読みやすくてわかりやすかった」である。


(そう、読みやすくてわかりやすことが大事。わたしのnoteのようにカオスはイケナイ。前回のnoteでもそう反省したところ)


わたし自身が年齢を重ねたせいなのか、この小説が非常によく書き込まれているせいなのか、それはわからないのだが、『胸に残るもの』『脳裏を過ぎるもの』『それらから派生する思いや考え』というものがたくさんあったので、珍しくS N Sに書き記しておきたいと思う。




《あらすじ》
コンビニバイト歴18年目の古倉恵子。36歳未婚、恋愛経験なし。そんな彼女はコンビニの「店員」でいるときのみ世界の歯車になれる_____

ある日、新入り「店員」の白羽という男性がやってきて、そんなコンビニ的生き方は恥ずかしい、と突きつけられるが・・・







以下に、本書を読了して思ったこと感じたことをつらつらと書き連ねてゆきます。


★『コンビニ人間』は与太郎。

 主人公の恵子は、落語でいうところの〝与太郎〟である。〝バカでマヌケな与太郎〟でおなじみの彼だ。「バカでマヌケ」という表現は現代では色々な物議を醸すだろうから、「周囲との調和を図りにくい」「社会的観念を理解しにくい」「空気を読めずに生きづらい」と言葉を改めてみるとしよう。幼少期の恵子は、公園で死んでいる小鳥をみて「かわいそうだから埋めてあげよう」ではなく「焼き鳥の好きなお父さんに食べさせてあげよう」と思ってしまうタイプの子。まさに与太郎らしさそのもので、これが落語演目の一節ならば笑いのポイントとなる描写なのだが、もちろん『コンビニ人間』は落語ではないし、時代背景も現代なのでここで意図的に笑いを取ろうとしてはいない。恵子の〝世間からズレた様〟を悲劇に寄せることも喜劇に寄せることもなく、事実だけを淡々と描いている。
 落語における与太郎は、すでに他の登場人物たちからの〝与太郎枠〟の市民権を勝ち得ているし、たとえこき下ろされていたとしても、彼の一挙手一投足は「しょーがねーな」の笑いへと置換されていくことで、落語を聞いているお客からの市民権をも手堅く得ている。そこが、同じ属性を持った恵子と与太郎との大きな違いなのである。恵子が置かれている環境には〝恵子枠〟が存在しないのだ。たとえ存在していたとしても、それはおぼろげなもので、本気の愛情や笑いとは程遠いものである。その恵子の置かれている環境こそが、わたしたちが生きる日本の現代社会である。



★ゼネラリストなマニュアル人間。

 世の中の人々は、『ゼネラリストタイプ』と『スペシャリストタイプ』に大きく二分される。〝広くそれなりにまんべんなくできる人〟をゼネラリストタイプ、〝ひとつのことに一点特化の人〟をスペシャリストタイプとここでは言うことにする。コンビニ店員というのは『ゼネラリストタイプ』である。ひとつのことだけでなく、広く全方向にアンテナをむけていなければ成立しない仕事だからだ。しかし、与太郎はひとつのことにひいでている『スペシャリストタイプ』であると思われる。恵子と与太郎は似ているが、『ゼネラリスト』と『スペシャリスト』という真逆の特性がある。いや、コンビニ内の仕事全て〝コンビニ店員〟として一括りにしてしまえば、恵子もひとつの仕事に特化するタイプの『スペシャリスト』なのかもしれない。「コンビニ以外は難しかった」と恵子本人も言っている。裏を返せば「コンビニのスペシャリストである」と受け取ることもできる。
 しかし、やはりコンビニ店員は『ゼネラリスト』である。コンビニ店員が一瞬だけスペシャリストのように思えてしまう要因のひとつに〝仕事のマニュアル化〟が挙げられる。「コンビニ以外は難しかった」というのは、言い換えれば「コンビニはガチガチにマニュアルがあったからイケた」と言うことである。恵子はコンビニ店員でいるときだけが人間らしく社会の一部として機能していると実感できたのだ。コンビニ店員の〝制服〟を着て他者と均されることや、他人の真似をすることで〝普通の人〟に成れる自分に安心感を得ていた。そんな恵子は『ゼネラリスト』『スペシャリスト』という以前に、コンビニ人間という名の〝マニュアル人間〟である。
 戦後民主化政策の代名詞であるような『ゼネラリストなマニュアル人間』を我が国は長い年月をかけて大量生産してきた。しかしながら、今時代の節目を迎え、これからの新しい流れに『ゼネラリストなマニュアル人間』は搾取されるだけに留まらず、その存在自体淘汰されてゆくだろう。事実セルフレジの導入からのコンビニエンスストアの無人化計画が着々と進んでいる。その点から言えば、この〝コンビニ人間〟である恵子は前時代の面影を残した絶滅危惧種なのである。しかし、恵子気質、与太郎気質の人間はこれから一層増えつつあると予測できるので、そんな彼らが搾取される側にまわってしまわないように、彼らの個性が存分に発揮できるような社会発展を願いたい。



★コンビニ店員と落語家

 コンビニ店員と落語家。いずれもわたしには成れない職業なので尊敬する。本書内でコンビニ店員の地位を下層に表現している描写があるが、わたしは方々にアンテナを張れないタイプなので、コンビニ店員は素晴らしいなと思っている。きっと本気で仕事に着手したら、ものすごく労を伴うし、意義ある仕事なのだろうと思う。そして、落語家もまた、アンテナを張り巡らして空気を読める力がなければ大成は望めないだろう。そもそも、仕事のイメージに優越がついてしまうのは『当該の仕事に就く上での障壁の有無』『従事者の思入れの強弱』に大きく影響されているように思う。
 恵子はコンビニ店員であることに誇りを持っていたように感じられた。自分も周囲と同じように機能できると喜びを持って仕事に励んでいた。その意識は、本来仕事に階級付をする前に育まれるべき精神なのではなかろうか。



★コンビニ人間。コンビニ女性。

 コンビニ人間は、現在およそ30カ国の言語に翻訳されているという。英語圏では『Convenience Store Woman』と題されている。『Convenience Store Human』でも無く、『Convenience Store People』でも無く、『Convenience Store Man』でも無いという点に興味深さを覚えた。原作邦題は『コンビニ人間』とされており、そこにジェンダーやパーソナルが類推されるような言葉は組み込まれていない。たかがタイトル、されどタイトル。原作者の村田氏や翻訳者の方がどのような意図で題名をつけられたかはわからないが(単純に音が良かったということかも知れないし)、日本よりもジェンダー理解が進んでいるであろう海外で〝Woman〟というワードを敢えて使用したことに疑問符を投げかる人が一定数いそうな気もする。〝人間〟だったところをわざわざ〝Woman〟に置換した理由を探りたがる人がいるはずだ。もしも、そのように思う人が多くいるのだとしたら、日本の、ジェンダーに対する大衆意識が、そもそも何かを履き違えたまま蔓延しているのではないかと感じる。日本人の国民性における〝ことなかれ主義〟がジェンダーを語る上で腫れ物扱い(または特別視)をしている結果なのでは無いかと勘繰ってしまう。海外の方が、ジェンダー問題ときちんと向き合う人口が多いからこそ、タイトルにある種の意味を持たせるために〝Woman〟を用いたのではないかと感じる。個人的には邦題『コンビニ人間』、洋題『Convenience Store Woman』であることで、それぞれの文化に対して訴求する力が十分にある良き題名だと思っている。



★コンビニ人間と世界の文化。

 前述の通り、コンビニ人間は世界中で翻訳されて広くに知れ渡っている。その事実を知っていたので、本書を読み進めるうちにこの内容を世界中の人々はどのように捉えているのだろうという点に非常に興味があったので、読後少々調べてみた。 すると、「日本は〝生きにくさ〟を感じている人に対する社会的環境整備が遅いのではないか」という反応が散見された。先進的に環境を整えられている国や地域では、恵子や与太郎のような人間をテーマにした作品は古くからみられたので、新鮮味に欠ける内容であったうえに、そこから日本の社会的環境を危ぶむ指摘が入るのは当然のことであるように思う。洋画をほとんど観ないわたしでも『レインマン』『フォレスト・ガンプ』『アイアム・サム』といった作品タイトルをすぐに挙げられるくらいなので、海外文化において『コンビニ人間』はインパクトに欠ける内容で今更感があったのだと思う。さらに、〝コンビニエンスストア〟そのものの立ち位置も日本と海外とでは大きく異なるため、コンビニで働く主人公に共感を抱けないのだろう。
 しかし、わたしは本書が世界各国に広まることで、何かの突破口を築く一翼を担っているように感じる。日本から海外に送り出し、その反応を逆輸入することで、日本に生活する我々が得られる気付きが多々あるように思う。
 そして、日本の環境整備の遅れを不安視している海外の人々には、日本が欧米化に走る前の鎖国時代には、与太郎にやれやれと思いつつも、優しく抱え込む社会性や人間性が息づいていたのだということを落語演目を通して示せたらいいなと個人的に思っている。






『コンビニ人間』を読了された方からの感想、また、このnoteを読んで湧いた感想をお持ちの方は、ぜひコメント蘭に記していただけたら嬉しいです。










(あ。どうしよ。何もおもしろいこと言わずにおわった・・・涙)











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