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#82 血を超えるつながり

声や顔、そしてメンタルが弱い部分は父譲り。
フットワークの軽さや仕事に熱意を持っている部分は母譲り。
……だと自分では思っている。

確実に僕の体には、両親の血が流れている。
血縁というのは人間が持ちうる中でも、非常に強い繋がりだと思う

とはいえ、血が繋がっているからといって、互いを全て理解できるかといえばそうではない。
少なくとも、僕を最も理解してくれる人間は、父でも母でもない。

人間は、血縁以上に強い繋がりを作ることのできる生き物なのだ。

最大の理解者である親友の存在

ありがたいことに、僕には親友と呼べる存在が何人かいる。
彼らはそれぞれ特別で、互いのことを深く理解し合えていると思う。

その中でも最大の理解者は、中学校時代からの付き合いになる親友だ。
中高時代が黒歴史であることを過去の記事で書いてきたけれど、この親友と出会えたことだけは中高時代で得たものと言っていいかもしれない。

彼と出会ってから今年でちょうど20年になる。
クラスはほぼ別々だったが、部活やその他の学校活動ではほぼ一緒だった。
ゲームをして、カラオケに行って、音楽を共有して、そして互いの悩みを相談し合える存在。

そんな彼こそ、僕の最大の理解者だと確信したのは、やはり適応障害の経験だった。

適応障害を患い、休職をしたあと、まず最初に相談したのは両親だった。
両親の意見としては、
「しばらく休んで、復帰した方がいい」
というものだった。

もちろんそのとき、復帰した方がいいのは重々わかっていた。
生活もある。家賃を払わないといけない。
それだけ考えれば、復帰するのが一番手っ取り早い。

だけど両親に求めていたのは、その言葉ではなかった。
なぜなら僕の心の奥底には、もう職場に行きたくない、職場に行くのが怖いという気持ちが強く強く根付いてしまっていたからだ。

そのときの僕は、心身共にひどく弱っていた。
とても自分一人では決断できるような状態ではなかったのだ。

だから、親友に
「とっとと逃げろ! 今すぐやめろ!
 お前にできる仕事は、他にもたくさんあるから!
 だけど、お前は一人しかいないんだぞ!」
と言われたときは、本当に本当に嬉しかった。

誰よりも自分のことを理解してくれている。
背中を押してほしいときに押してくれる。

僕は、血縁という繋がりを特別視していたのかもしれない。
だからか、血が繋がっている両親よりも、繋がっていない親友の方が僕を理解しているなんて不思議なものだと思ってしまっていた。

とはいえ、逆に僕も親友のことを誰よりも理解しているとも思う。
20年間、誰よりも会話をし、誰よりも同じ時間を共にしてきたわけだから。

血縁はあくまで血の繋がりであり、それ以上でも以下でもない。
結局のところ、親だって兄妹だって親戚だって、ただの人間でしかない。
互いのことを話すこと、共に過ごす時間で、そんなものは容易に超えられるものなのだ。
至極当然のことを、適応障害の経験が教えてくれたのだった。

互いの理解に血はほぼ関係ない

子どもの頃から、僕は両親や祖父母、親戚などの血の繋がりは特別であり、一緒にいることや理解し合うことは当たり前だと思っていた。

だが、よくよく考えてみれば、交際や結婚というのは血の繋がりのない間柄で行われるわけで……。
そう考えると、自分が思っているほど血の繋がりというのは強いものでもないのかもしれないなと理解が変化してきている。

中には血の繋がりを呪いのように感じている人もいるかもしれない。
家族と血の繋がりはないという人もいるだろう。

もちろん血の繋がりのある家族と心から理解し合えればそれは素敵なことだけれど、それは別に血が繋がっているからではない。
単純に、人と人が理解し合えることが美しいのだろう。

お互いを理解しようとすること。
そのために、会話を交わすこと。
そして、密な時間を共有すること。

それらによって、血の繋がりを超えた強い繫がりを作ることができる。
それを親友は教えてくれたのだった。

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