酒上小琴【サケノウエノコゴト】

茶の湯と古道具、落語とドラマで一年を過ごしております。

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ならうということ

茶の湯をはじめて、かれこれ20年近くになる。免状を取って教授になるわけでもなく、誰かを招いて茶会を開くわけでもなく、ただ師に付き、教えを乞う20年。それだけ続けたと…

正しいことを求める

ドラマにこれほど「正しさ」を求めるようになったのはいつからだろか? 時代にあった日用品や服装、街並みに留まらず、その頃の時代背景、思想や発言なども考慮されなけれ…

消えないために

茶道を習っていると、和菓子、特に上生菓子をいただく事が多い。練切、こなし、きんとん、薯蕷、羹。小さな世界に色とりどりの季節を詰め込んだ菓子を、毎週のように見て楽…

半夏生(ハンゲショウ)
半化粧(ハンゲショウ)
三白草(サンパクソウ)
三白(ミツジロ)
片白(カタジロ)
白粉掛(オシロイカケ)

知らない
学ばない
気付かない

それは「ダメ」な時代になったんだな。

間に合うのか?

依頼を受けて3ヶ月間、ずっと描いていた幕の図案。 風呂上がりに描きはじめて、寝るまでの数時間、ほぼ毎日何かしら手を加えて、それでも出来上がらない。下絵は100枚を超…

到達点

茶道を習いはじめて19年が経った。だが、未だに点前を忘れるし、満足な茶が点たない。それでも年月を重ねただけのことはあって、だいぶマシになった。 私は左利きなので、…

溺れた王

1845年8月25日、バイエルン王国皇太子マキシミリアン2世とプロイセン王女マリーとのあいだに継嗣が誕生。この子には祖父である国王の名を受け、ルードヴィッヒと名付けら…

見ていることを理解する。
正しく理解する。
見ているうちに、ふと思いつく。
思いつきは膨らんで、理解は侵蝕されていく。
そのうち思いつきは確信となり、
理解は見事に失われる。
さて、このとき私は何を見ているのだろうか。
見ているのは、確信という妄想。

お茶漬讃歌(付 葬式まんじゅう茶漬体験記)

お茶漬は奥が深い。シンプルでいて難しい。それはおむすびと双璧を成す。 もしあなたが「お茶をかけてかきこむだけの、間に合わせの食べ物」程度の認識であるなら、お茶漬…

子どもの頃、休みの父はずっとゴロゴロとして寝ていた。よく寝続けられるなと(少しの厭味も含め)感心した。この歳になって分かる。眠いのもあるが、休みまでアクティブに行動すると体力が続かず、翌日は使い物にならない。それどころか、いつまで経っても、リセットされない。だから寝ていたんだと。

ゴールデンウィークは楽しみではあるけれど、そのために仕事をギッチリ詰め込まれた「ブラックウィーク」を乗り越えなければならない。差し引きゼロどころかマイナスじゃないか?と思うほど、ひどいことになるからな。

散ればこそ

散ればこそいとど桜はめでたけれうき世になにか久しかるべき 散るから美しいのか、美しいから散るのか。桜吹雪には一種神々しさすら感じる。 木の花の降り立つ験や春の風…

吉柯と廣澄

清原局務家。始まりは平安時代中期の清原廣澄とされるが、この廣澄は『尊卑分脉』の『清原氏系図』によると、「陸奥守永見孫 出羽守瀧雄二男」小野吉柯を養父としている。…

『だくだく』を考える

『だくだく』は落語の一つ。店賃を溜めて長屋を出された八五郎は、新たな長屋を借りたが家財道具はなにもなし。知り合いの「先生」に、壁に家財道具の絵を描いてほしいとお…

瞋恚記 -嫉妬の一念、人をも殺す-

『邪眼』=人の幸福などを羨み、妬む心が瞳に宿り、その人を一瞥することでたちまち不幸に陥れてしまう目のこと。その力は強く、死に至らしめることもある。邪視。瞋恚(し…

ならうということ

ならうということ

茶の湯をはじめて、かれこれ20年近くになる。免状を取って教授になるわけでもなく、誰かを招いて茶会を開くわけでもなく、ただ師に付き、教えを乞う20年。それだけ続けたところで、私なぞは茶の湯の世界では裾野もすそ野、一合目に到達したくらい。上手と言う人は何年も経たず教授となるが、私の目標はのんびりと通い続けることだから、これでよいのだ。

茶の世界に身を置き、見るべきものを見、聞くべき話を聞き、知るべき

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正しいことを求める

正しいことを求める

ドラマにこれほど「正しさ」を求めるようになったのはいつからだろか?
時代にあった日用品や服装、街並みに留まらず、その頃の時代背景、思想や発言なども考慮されなければならない。そこに多くの「考証」の先生をつけて、間違いのない描写を心掛ける。そうやっていても、視聴者からの指摘を受ける。
それが本当に「間違い」であればよいが、正しい描写にまで勝手な違和感を抱いて文句をつける。そのために考証をもっと詳しく行

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消えないために

消えないために

茶道を習っていると、和菓子、特に上生菓子をいただく事が多い。練切、こなし、きんとん、薯蕷、羹。小さな世界に色とりどりの季節を詰め込んだ菓子を、毎週のように見て楽しみ味わい喜んでいた。市内にも上生菓子を商う店舗がいくつもあり、テーマは同じでも、店により作り方も菓銘も違う。それもまた楽しみの一つだった。
ところが、ここ数年で和菓子屋、それも上生菓子を作る店が次々と店を畳んでいる。私が習い始めた頃は、生

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半夏生(ハンゲショウ)
半化粧(ハンゲショウ)
三白草(サンパクソウ)
三白(ミツジロ)
片白(カタジロ)
白粉掛(オシロイカケ)

知らない
学ばない
気付かない

それは「ダメ」な時代になったんだな。

間に合うのか?

間に合うのか?

依頼を受けて3ヶ月間、ずっと描いていた幕の図案。
風呂上がりに描きはじめて、寝るまでの数時間、ほぼ毎日何かしら手を加えて、それでも出来上がらない。下絵は100枚を超えて、色入れしたものは20種以上。依頼主と話を詰めるたび、どこかしらに訂正が入る。
この図案の難しいところは「大きさ」。
実物の大きさは縦240センチ✕横710センチ、描いているのはその1/10。ラインが1ミリなら実物は1センチ。小さな

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到達点

到達点

茶道を習いはじめて19年が経った。だが、未だに点前を忘れるし、満足な茶が点たない。それでも年月を重ねただけのことはあって、だいぶマシになった。

私は左利きなので、最初の5年ばかりは茶筅を振ることすら怪しかった。何かを手に取ろうとすればまず左が出る。茶巾を絞るのも左手が前になる。火箸が扱えず、炭点前では白炭を何度落として割ったことか。

それでも続けていれば、右手を少しは使えるようになる。入らなか

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溺れた王

溺れた王

1845年8月25日、バイエルン王国皇太子マキシミリアン2世とプロイセン王女マリーとのあいだに継嗣が誕生。この子には祖父である国王の名を受け、ルードヴィッヒと名付けられた。

1848年、その国王はローラ・モンテスという踊り子との醜聞から退位を余儀なくされ、皇太子が王位を継ぎ、それに伴い王子はこの年生まれた弟オットーと共にミュンヘンを離れ、山間部のホーエンシュヴァンガウ城で少年時代をすごした。この

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見ていることを理解する。
正しく理解する。
見ているうちに、ふと思いつく。
思いつきは膨らんで、理解は侵蝕されていく。
そのうち思いつきは確信となり、
理解は見事に失われる。
さて、このとき私は何を見ているのだろうか。
見ているのは、確信という妄想。

お茶漬讃歌(付 葬式まんじゅう茶漬体験記)

お茶漬讃歌(付 葬式まんじゅう茶漬体験記)

お茶漬は奥が深い。シンプルでいて難しい。それはおむすびと双璧を成す。
もしあなたが「お茶をかけてかきこむだけの、間に合わせの食べ物」程度の認識であるなら、お茶漬に今までの非礼を謝ろう。

お茶漬は定型があるわけでもないが、やらねばならぬことが二三ある。うまいものを食べようというのだから、多少の窮屈は我慢しなければならない。

まず最低限ご飯はざるにあげ、湯通ししなければならない。このとき、きれいに

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子どもの頃、休みの父はずっとゴロゴロとして寝ていた。よく寝続けられるなと(少しの厭味も含め)感心した。この歳になって分かる。眠いのもあるが、休みまでアクティブに行動すると体力が続かず、翌日は使い物にならない。それどころか、いつまで経っても、リセットされない。だから寝ていたんだと。

ゴールデンウィークは楽しみではあるけれど、そのために仕事をギッチリ詰め込まれた「ブラックウィーク」を乗り越えなければならない。差し引きゼロどころかマイナスじゃないか?と思うほど、ひどいことになるからな。

散ればこそ

散ればこそ

散ればこそいとど桜はめでたけれうき世になにか久しかるべき

散るから美しいのか、美しいから散るのか。桜吹雪には一種神々しさすら感じる。

木の花の降り立つ験や春の風

桜の花は儚いものと知りながら、心ざわめく桜吹雪。そこに「狂」を見たのは、坂口安吾。否、それ以前から、桜は人を狂わせるものとして認識されていた。狂を発しないよう、桜を浴びるのは適度にせねばなるまい。

あと何回桜が見られるか?単純に平

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吉柯と廣澄

吉柯と廣澄

清原局務家。始まりは平安時代中期の清原廣澄とされるが、この廣澄は『尊卑分脉』の『清原氏系図』によると、「陸奥守永見孫 出羽守瀧雄二男」小野吉柯を養父としている。あるいは、儒家の小野吉柯の弟子(『群書類従本 清原氏 系図』)と記されている場合もある。この記事を信じるとするなら、小野瀧雄は小野篁の父である峰守の兄弟とも言われるので、吉柯と篁はいとこ同士ということになる。
一方、『尊卑分脉』の『小野氏系

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『だくだく』を考える

『だくだく』を考える

『だくだく』は落語の一つ。店賃を溜めて長屋を出された八五郎は、新たな長屋を借りたが家財道具はなにもなし。知り合いの「先生」に、壁に家財道具の絵を描いてほしいとお願いをする。部屋中の壁という壁に紙を貼って、ここに八五郎の指示で先生が箪笥や金庫などを描いていく。
さて、出来上がった絵に満足して八五郎が寝てしまうと、近眼の泥棒が絵の家財道具を実際にあるものと勘違いをして、押入って……という噺。
私がこの

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瞋恚記 -嫉妬の一念、人をも殺す-

瞋恚記 -嫉妬の一念、人をも殺す-

『邪眼』=人の幸福などを羨み、妬む心が瞳に宿り、その人を一瞥することでたちまち不幸に陥れてしまう目のこと。その力は強く、死に至らしめることもある。邪視。瞋恚(しんい)。

「evil eye」を仏教用語を用いて「邪視」と訳したのは南方熊楠(1867-1941)であるといわれる。
仏教典には「見毒」「邪眼」「悪眼」「瞋恚」「邪盻(じゃけい)」など様々なevil eyeの呼び名があるが、明治四十二(1

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