酒上小琴【サケノウエノコゴト】

茶の湯と古道具、落語とドラマで一年を過ごしております。

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ならうということ

茶の湯をはじめて、かれこれ20年近くになる。免状を取って教授になるわけでもなく、誰かを招いて茶会を開くわけでもなく、ただ師に付き、教えを乞う20年。それだけ続けたところで、私なぞは茶の湯の世界では裾野もすそ野、一合目に到達したくらい。上手と言う人は何年も経たず教授となるが、私の目標はのんびりと通い続けることだから、これでよいのだ。 茶の世界に身を置き、見るべきものを見、聞くべき話を聞き、知るべきことを知る。身のこなし、礼儀作法、ものの見方を身体に叩き込む。これを常とすること

    • 子どもの頃、休みの父はずっとゴロゴロとして寝ていた。よく寝続けられるなと(少しの厭味も含め)感心した。この歳になって分かる。眠いのもあるが、休みまでアクティブに行動すると体力が続かず、翌日は使い物にならない。それどころか、いつまで経っても、リセットされない。だから寝ていたんだと。

      • ゴールデンウィークは楽しみではあるけれど、そのために仕事をギッチリ詰め込まれた「ブラックウィーク」を乗り越えなければならない。差し引きゼロどころかマイナスじゃないか?と思うほど、ひどいことになるからな。

        • 散ればこそ

          散ればこそいとど桜はめでたけれうき世になにか久しかるべき 散るから美しいのか、美しいから散るのか。桜吹雪には一種神々しさすら感じる。 木の花の降り立つ験や春の風 桜の花は儚いものと知りながら、心ざわめく桜吹雪。そこに「狂」を見たのは、坂口安吾。否、それ以前から、桜は人を狂わせるものとして認識されていた。狂を発しないよう、桜を浴びるのは適度にせねばなるまい。 あと何回桜が見られるか?単純に平均寿命まで生きたとして私はあと三十回あまり。多いとみるか、少ないと見るか。

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        • 子どもの頃、休みの父はずっとゴロゴロとして寝ていた。よく寝続けられるなと(少しの厭味も含め)感心した。この歳になって分かる。眠いのもあるが、休みまでアクティブに行動すると体力が続かず、翌日は使い物にならない。それどころか、いつまで経っても、リセットされない。だから寝ていたんだと。

        • ゴールデンウィークは楽しみではあるけれど、そのために仕事をギッチリ詰め込まれた「ブラックウィーク」を乗り越えなければならない。差し引きゼロどころかマイナスじゃないか?と思うほど、ひどいことになるからな。

          吉柯と廣澄

          清原局務家。始まりは平安時代中期の清原廣澄とされるが、この廣澄は『尊卑分脉』の『清原氏系図』によると、「陸奥守永見孫 出羽守瀧雄二男」小野吉柯を養父としている。あるいは、儒家の小野吉柯の弟子(『群書類従本 清原氏 系図』)と記されている場合もある。この記事を信じるとするなら、小野瀧雄は小野篁の父である峰守の兄弟とも言われるので、吉柯と篁はいとこ同士ということになる。 一方、『尊卑分脉』の『小野氏系図』には吉柯の名は出てこない。瀧雄の子として、恒柯の名が記されるのみである。小野

          『だくだく』を考える

          『だくだく』は落語の一つ。店賃を溜めて長屋を出された八五郎は、新たな長屋を借りたが家財道具はなにもなし。知り合いの「先生」に、壁に家財道具の絵を描いてほしいとお願いをする。部屋中の壁という壁に紙を貼って、ここに八五郎の指示で先生が箪笥や金庫などを描いていく。 さて、出来上がった絵に満足して八五郎が寝てしまうと、近眼の泥棒が絵の家財道具を実際にあるものと勘違いをして、押入って……という噺。 私がこの噺をかけたときにどのような人物造形をして噺を組み立てたか、ちょっと書いてみたくな

          瞋恚記 -嫉妬の一念、人をも殺す-

          『邪眼』=人の幸福などを羨み、妬む心が瞳に宿り、その人を一瞥することでたちまち不幸に陥れてしまう目のこと。その力は強く、死に至らしめることもある。邪視。瞋恚(しんい)。 「evil eye」を仏教用語を用いて「邪視」と訳したのは南方熊楠(1867-1941)であるといわれる。 仏教典には「見毒」「邪眼」「悪眼」「瞋恚」「邪盻(じゃけい)」など様々なevil eyeの呼び名があるが、明治四十二(1909)年五月に南方の発表した「evil eye」についての論文中の訳語を「邪視

          瞋恚記 -嫉妬の一念、人をも殺す-

          今日は花粉症、厳しかった。軽い症状で済んでいたのに、鼻水が止まらない。昔の子どもは(両鼻から鼻水を垂らし、そこに砂埃がついて、レールを二本敷いたように見えることから)「鉄道大臣」とあだ名されたらしいが、鼻は垂れる、砂埃はひどい、まさにそんな感じ。

          今日は花粉症、厳しかった。軽い症状で済んでいたのに、鼻水が止まらない。昔の子どもは(両鼻から鼻水を垂らし、そこに砂埃がついて、レールを二本敷いたように見えることから)「鉄道大臣」とあだ名されたらしいが、鼻は垂れる、砂埃はひどい、まさにそんな感じ。

          百枚描くとモノになってくる。 何をどう描けばいいか、手が覚えてくる。 描きはじめの迷いがなくなると、線が震えなくなる。 こうなると、どんどん直しが入れたくなる。 いつまで経っても仕上がらない……

          百枚描くとモノになってくる。 何をどう描けばいいか、手が覚えてくる。 描きはじめの迷いがなくなると、線が震えなくなる。 こうなると、どんどん直しが入れたくなる。 いつまで経っても仕上がらない……

          描いては消し、消しては描き

          技量というものがある。 才能というものがある。 発想というものがある。 嗅覚というものがある。 継続というものがある。 何かを作るには、必要なものが山ほどある。それを全て持ち合わせなくともよいが、少なくとも二つ三つもっていたほうが良い。 ないものは、あるもので補うことができる。 なんとかなる。なんとかする。 ずっとそう言い聞かせながら、描き続けている。 かれこれ20枚、ものにならなかったものを含めれば40〜50枚描き続けている。急がねば間に合わない。どうにかせねば。

          描いては消し、消しては描き

          ぐだぐだ噺の記

          「落語会に出ないか」 そんな誘いがきたのは昨年の12月のことだった。5年毎に行われる大学落研OB・OGによる落語会。コロナ禍で開催が延び延びになっていたが、今年久しぶりの開かれることとなった。 「私でいいんですか」 60年以上続くサークルなので、そのOB・OGとなれば数百人、そのなかから選んでもらえるのだから嬉しい反面プレッシャーも感じる。 「前回は年齢層高めだったので、今回は若手に出てもらおうと思ってね」 これには少し苦笑した。今年五十になろうというおじさんを捕まえて若手。

          注意していても

          いくらマスクをしていようと、いくら手洗いうがいをしていようと、かかるときはかかるものです。 昨日からのどの具合がおかしいと思っていたのですが、発熱してきたので医者で検査してもらったところ、インフルエンザにかかっていました。 先程までちょっと熱が高く、寝ているのか起きているのか、ぼぉーとしていましたが、薬のお陰で37℃台まで下がり、楽になってきました(写真はあくまでイメージです)。しばらくは逼塞の日々が続きます。

          最善をこちらがあれこれと考えてみたところで、あちらがそれを全く汲むことがなければ、その思考は何の役にも立たない。そんなことがあったから、今はあちらの思いをどうにかして読み取ろうと必死に活動している。仕事でも人付き合いでも、そういうものではないのか。

          最善をこちらがあれこれと考えてみたところで、あちらがそれを全く汲むことがなければ、その思考は何の役にも立たない。そんなことがあったから、今はあちらの思いをどうにかして読み取ろうと必死に活動している。仕事でも人付き合いでも、そういうものではないのか。

          大雪は住まう処によりにけり坂東三寸越後三尺

          大雪は住まう処によりにけり坂東三寸越後三尺

          義憤に駆られ

          理不尽なことに怒る。 いかんともしがたい状況に怒る。 自分の無力さに怒る。 相手の無関心に怒る。 当事者でもないのに。 利害があるわけでもないのに。 経緯など上っ面しか知らないのに。 なんとなく ただなんとなく これは怒っておかねばならないと、 誰に頼まれたわけでもないけど、 腹の底には煮えたぎるものがなくても、 とにかく怒りをぶつけて、 とにかく怒りを表に出して、 とにかく怒りを叫んで。 それを見て、 ある人は義憤といい、 ある人は自己欺瞞という。 果たして何に怒