酒上小琴【サケノウエノコゴト】

茶の湯と古道具、落語とドラマで一年を過ごしております。

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ならうということ

茶の湯をはじめて、かれこれ20年近くになる。免状を取って教授になるわけでもなく、誰かを招いて茶会を開くわけでもなく、ただ師に付き、教えを乞う20年。それだけ続けたところで、私なぞは茶の湯の世界では裾野もすそ野、一合目に到達したくらい。上手と言う人は何年も経たず教授となるが、私の目標はのんびりと通い続けることだから、これでよいのだ。 茶の世界に身を置き、見るべきものを見、聞くべき話を聞き、知るべきことを知る。身のこなし、礼儀作法、ものの見方を身体に叩き込む。これを常とすること

    • 消えないために

      茶道を習っていると、和菓子、特に上生菓子をいただく事が多い。練切、こなし、きんとん、薯蕷、羹。小さな世界に色とりどりの季節を詰め込んだ菓子を、毎週のように見て楽しみ味わい喜んでいた。市内にも上生菓子を商う店舗がいくつもあり、テーマは同じでも、店により作り方も菓銘も違う。それもまた楽しみの一つだった。 ところが、ここ数年で和菓子屋、それも上生菓子を作る店が次々と店を畳んでいる。私が習い始めた頃は、生活圏に両手に余るほどあった店も、今は数軒を残すのみとなった。 和菓子店の閉店が

      • 半夏生(ハンゲショウ) 半化粧(ハンゲショウ) 三白草(サンパクソウ) 三白(ミツジロ) 片白(カタジロ) 白粉掛(オシロイカケ)

        • 知らない 学ばない 気付かない それは「ダメ」な時代になったんだな。

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          間に合うのか?

          依頼を受けて3ヶ月間、ずっと描いていた幕の図案。 風呂上がりに描きはじめて、寝るまでの数時間、ほぼ毎日何かしら手を加えて、それでも出来上がらない。下絵は100枚を超えて、色入れしたものは20種以上。依頼主と話を詰めるたび、どこかしらに訂正が入る。 この図案の難しいところは「大きさ」。 実物の大きさは縦240センチ✕横710センチ、描いているのはその1/10。ラインが1ミリなら実物は1センチ。小さな図案なら目立たないが、大きくすると雑に引いた線はアラがわかってしまう。 そのうえ

          到達点

          茶道を習いはじめて19年が経った。だが、未だに点前を忘れるし、満足な茶が点たない。それでも年月を重ねただけのことはあって、だいぶマシになった。 私は左利きなので、最初の5年ばかりは茶筅を振ることすら怪しかった。何かを手に取ろうとすればまず左が出る。茶巾を絞るのも左手が前になる。火箸が扱えず、炭点前では白炭を何度落として割ったことか。 それでも続けていれば、右手を少しは使えるようになる。入らなかった力も徐々に入るようになってくる。要は慣れということ。茶道の基本だ。それが「逆

          溺れた王

          1845年8月25日、バイエルン王国皇太子マキシミリアン2世とプロイセン王女マリーとのあいだに継嗣が誕生。この子には祖父である国王の名を受け、ルードヴィッヒと名付けられた。 1848年、その国王はローラ・モンテスという踊り子との醜聞から退位を余儀なくされ、皇太子が王位を継ぎ、それに伴い王子はこの年生まれた弟オットーと共にミュンヘンを離れ、山間部のホーエンシュヴァンガウ城で少年時代をすごした。この城は父王マキシミリアン2世が荒廃したシュヴァンシュタイン城を買い取り再建した城で

          見ていることを理解する。 正しく理解する。 見ているうちに、ふと思いつく。 思いつきは膨らんで、理解は侵蝕されていく。 そのうち思いつきは確信となり、 理解は見事に失われる。 さて、このとき私は何を見ているのだろうか。 見ているのは、確信という妄想。

          見ていることを理解する。 正しく理解する。 見ているうちに、ふと思いつく。 思いつきは膨らんで、理解は侵蝕されていく。 そのうち思いつきは確信となり、 理解は見事に失われる。 さて、このとき私は何を見ているのだろうか。 見ているのは、確信という妄想。

          お茶漬讃歌(付 葬式まんじゅう茶漬体験記)

          お茶漬は奥が深い。シンプルでいて難しい。それはおむすびと双璧を成す。 もしあなたが「お茶をかけてかきこむだけの、間に合わせの食べ物」程度の認識であるなら、お茶漬に今までの非礼を謝ろう。 お茶漬は定型があるわけでもないが、やらねばならぬことが二三ある。うまいものを食べようというのだから、多少の窮屈は我慢しなければならない。 まず最低限ご飯はざるにあげ、湯通ししなければならない。このとき、きれいに「ぬめり」を取っては ならない。ぬめりを取り去ろうと水に長く晒してしまうと、ご飯

          お茶漬讃歌(付 葬式まんじゅう茶漬体験記)

          子どもの頃、休みの父はずっとゴロゴロとして寝ていた。よく寝続けられるなと(少しの厭味も含め)感心した。この歳になって分かる。眠いのもあるが、休みまでアクティブに行動すると体力が続かず、翌日は使い物にならない。それどころか、いつまで経っても、リセットされない。だから寝ていたんだと。

          子どもの頃、休みの父はずっとゴロゴロとして寝ていた。よく寝続けられるなと(少しの厭味も含め)感心した。この歳になって分かる。眠いのもあるが、休みまでアクティブに行動すると体力が続かず、翌日は使い物にならない。それどころか、いつまで経っても、リセットされない。だから寝ていたんだと。

          ゴールデンウィークは楽しみではあるけれど、そのために仕事をギッチリ詰め込まれた「ブラックウィーク」を乗り越えなければならない。差し引きゼロどころかマイナスじゃないか?と思うほど、ひどいことになるからな。

          ゴールデンウィークは楽しみではあるけれど、そのために仕事をギッチリ詰め込まれた「ブラックウィーク」を乗り越えなければならない。差し引きゼロどころかマイナスじゃないか?と思うほど、ひどいことになるからな。

          散ればこそ

          散ればこそいとど桜はめでたけれうき世になにか久しかるべき 散るから美しいのか、美しいから散るのか。桜吹雪には一種神々しさすら感じる。 木の花の降り立つ験や春の風 桜の花は儚いものと知りながら、心ざわめく桜吹雪。そこに「狂」を見たのは、坂口安吾。否、それ以前から、桜は人を狂わせるものとして認識されていた。狂を発しないよう、桜を浴びるのは適度にせねばなるまい。 あと何回桜が見られるか?単純に平均寿命まで生きたとして私はあと三十回あまり。多いとみるか、少ないと見るか。

          吉柯と廣澄

          清原局務家。始まりは平安時代中期の清原廣澄とされるが、この廣澄は『尊卑分脉』の『清原氏系図』によると、「陸奥守永見孫 出羽守瀧雄二男」小野吉柯を養父としている。あるいは、儒家の小野吉柯の弟子(『群書類従本 清原氏 系図』)と記されている場合もある。この記事を信じるとするなら、小野瀧雄は小野篁の父である峰守の兄弟とも言われるので、吉柯と篁はいとこ同士ということになる。 一方、『尊卑分脉』の『小野氏系図』には吉柯の名は出てこない。瀧雄の子として、恒柯の名が記されるのみである。小野

          『だくだく』を考える

          『だくだく』は落語の一つ。店賃を溜めて長屋を出された八五郎は、新たな長屋を借りたが家財道具はなにもなし。知り合いの「先生」に、壁に家財道具の絵を描いてほしいとお願いをする。部屋中の壁という壁に紙を貼って、ここに八五郎の指示で先生が箪笥や金庫などを描いていく。 さて、出来上がった絵に満足して八五郎が寝てしまうと、近眼の泥棒が絵の家財道具を実際にあるものと勘違いをして、押入って……という噺。 私がこの噺をかけたときにどのような人物造形をして噺を組み立てたか、ちょっと書いてみたくな

          瞋恚記 -嫉妬の一念、人をも殺す-

          『邪眼』=人の幸福などを羨み、妬む心が瞳に宿り、その人を一瞥することでたちまち不幸に陥れてしまう目のこと。その力は強く、死に至らしめることもある。邪視。瞋恚(しんい)。 「evil eye」を仏教用語を用いて「邪視」と訳したのは南方熊楠(1867-1941)であるといわれる。 仏教典には「見毒」「邪眼」「悪眼」「瞋恚」「邪盻(じゃけい)」など様々なevil eyeの呼び名があるが、明治四十二(1909)年五月に南方の発表した「evil eye」についての論文中の訳語を「邪視

          瞋恚記 -嫉妬の一念、人をも殺す-

          今日は花粉症、厳しかった。軽い症状で済んでいたのに、鼻水が止まらない。昔の子どもは(両鼻から鼻水を垂らし、そこに砂埃がついて、レールを二本敷いたように見えることから)「鉄道大臣」とあだ名されたらしいが、鼻は垂れる、砂埃はひどい、まさにそんな感じ。

          今日は花粉症、厳しかった。軽い症状で済んでいたのに、鼻水が止まらない。昔の子どもは(両鼻から鼻水を垂らし、そこに砂埃がついて、レールを二本敷いたように見えることから)「鉄道大臣」とあだ名されたらしいが、鼻は垂れる、砂埃はひどい、まさにそんな感じ。