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瞋恚記 -嫉妬の一念、人をも殺す-

『邪眼』=人の幸福などを羨み、妬む心が瞳に宿り、その人を一瞥することでたちまち不幸に陥れてしまう目のこと。その力は強く、死に至らしめることもある。邪視。瞋恚(しんい)。


「evil eye」を仏教用語を用いて「邪視」と訳したのは南方熊楠(1867-1941)であるといわれる。
仏教典には「見毒」「邪眼」「悪眼」「瞋恚」「邪盻(じゃけい)」など様々なevil eyeの呼び名があるが、明治四十二(1909)年五月に南方の発表した「evil eye」についての論文中の訳語を「邪視」に統一したことから、のちに他者も使用するようになった由が、自著『十二支考』の中で「手前味噌ながら」と前置きして語らえている。
それまでの日本ではevil eyeについて著述、考察されているものがなかなかない。江戸時代、あれほど奇譚を好んだ文人たちの作品にもあまりそれらしきものはなく、『宿直草(御伽物語)』の「巻三第十一 幽霊偽りし男を睨ころす事」などに残滓を見出す程度である。ゆえに南方熊楠の論文は日本におけるevil eye研究に先鞭を付けた形となり、柳田國男らは南方に敬意を払い、訳語に「邪視」を用いたと考えられる。
古くは『日本書紀 巻二 神代下』の天孫降臨に「目勝(めかち)」とみえ、これも邪眼の一つであろう。その目の持ち主はサルタヒコの神である。

…且降之間。先駆者還白。有一神。居八達之衢。其鼻長七咫。背長七尺余。當言七尋。且口尻明耀。 眼如八咫鏡而(赤+色)然似赤酸漿也。即遣従神往問。時有八十萬神。皆不得目勝相問。

ニニギノミコトの先触れの神が、天の八街に鼻がでかく背の高い、目が酸漿(かがち=ほおずきのこ と)のように充血した神さんを発見する。怪しいので、八百万の神に誰何させにいくのであるが、その目にやられて問うことさえ出来ない。ここで出てくる「酸漿のように赤い目」はスサノオノミコトが退治した「八俣の大蛇」と同じ特徴である。
蛇の目は日本古来から「破邪・魔よけ」の紋として使われていたことでも分かるように、力の強いものとして見られてきた。蛇が蛙を睨みつけると竦んでしまう、眼差しで勝つゆえに「目勝」とよんだが、鼻デカ神に見つめられると、神様達は蛙同然になっていたわけだ。
人をすくみあがらせる眼力のことを「睨み」という。インドの高僧・聖者たちはこの「睨み」という術を心得 ていたという。けして相手を恨み、祟ろうとしたわけではないが、相手を金縛りにする、東洋にいう「邪視」 とはおよそこの類が多い。高天原から下ることの出来ないニニギノミコトは困ってしまったが、ここで進み出たのがアマノウズメであった。ウズメは鼻デカの前に進み出ると、胸元をはだけ、恥部も露わにして、お前は何者でここで何をしているのかと問い質す。突然現れた裸の女神に鼻デカ君は気が動転、在らぬ方を向いたり目を伏せたりしていたが、あまりにも攻め立てられて堪らず、我が名はサルタヒコと答えてしまうのである。
ウズメはサルタヒコの術をどうして破ることが出来たのか。これはevil eyeの回避法として洋の東西を問 わず云われる方法なのだが、「卑猥なポーズをとる」ことで、その害を退けるのである。何時も何人も卑猥なポーズは直視に耐えない。視線をはずさせることで、その力が及ばないようにしたのだ。いくら「目勝」なサルタヒコも、アマテラスさえ岩戸から引き出させたウズメの姿を直視は出来なかったようだ。


軽快な『地獄のオルフェ(邦題 天国と地獄)』のメロディーで知られるフランスの作曲家オッフェンバッ ク(Jacques Offenbach 1819-1880)は、当時有名な「邪眼」であった。
オッフェンバックは第二帝政前夜のドイツでユダヤ人の子として生まれた。父イザークは高名なヴァイ オリン奏者であったため、幼い頃から父に師事しチェロをマスター、そして音楽家の第一歩を踏み出すべ く父と共にパリへと向かった。目的はフランス一といわれるパリ音楽院への入学であった。このとき14歳。入学後は上流階級にその技量を買われ、一躍社交界の寵児となる。この頃はまだ作曲らしいもの は為されていないが、「チェロのリスト」とその技巧のすばらしさを賞賛された。
三十代に入り、一楽団員としてやっていくことから抜け出ようとしていた彼は、小品ながら作品を書き、舞台でこれを発表した。これが大ウケ、後に「パリ風喜劇」とよばれるオペレッタを量産し、アメリカなどにも進出した。ドイツの堅苦しさを微塵も覗かせぬその作風は、ロッシーニをして「シャンゼリーゼのモーツァルト」と言わしめるほどであった一方、かろきに任せた俗な歌曲ゆえ新聞紙上には「後の世に名の残らない作曲家」と酷評されてもいる。
オッフェンバックはギュスタヴ・フローベール(Gustave Fiaubert 1821-1880)の書いた『紋切型辞典』の中で、

オッフェンバック(Offenbach) 彼の名を耳にしたら、右の指を二本組合わせて、不吉な呪いから身を守ること。 いかにもパリ的で、上品な身だしなみの男。

と記されている。また、「宿命」の項には、

宿命(Fatalite) 実にロマン主義的な言葉。「宿命の男」とは不吉な視線を持ったひとのことを云う。 「オッフェンバックは宿命の男と知るべし。」

とあり、オッフェンバックは知られた「邪視」であったようだ。
ではどうしてこう云われる様になったのか。その確たる証拠は……ない。かなり以前からそうだとは云われていたのだが、原因がこれといって見当たらないのだ。ただ、この風評を頑なまでに信じていた男がいた。作家テオフィル・ゴーティエ(Theophile Gautier 1811-1872)である。彼はかなりの迷信家で、何事にもびくびくとおびえて生活をしていたという。 このオッフェンバックの邪視についても、彼の出入りしそうなところには行かない、彼の指揮する音楽会には行かない、彼の音楽についての評論もしない、といった徹底振りであった。ゴーティエはオッフェンバ ックを認めていなかったわけではないのだが、邪視に罹るのを恐れて口に出すことさえ憚ったようだ。 邪視は恨みの発するもの、少しでも褒めときゃ邪視なんて恐れることないのに……。


誰もが知る邪視の代表格といえば、ほかでもないギリシャ神話のメデューサである。 彼女は三人とも五人とも言われるゴルゴン姉妹の末妹で、元来その美貌はアテナイでも並びないと噂されるほどの美しいニンフであった。
ゆえに言い寄るものも少なからず居た。が、これをことごとく断って、かつ何とも思わないのは美人の特権である。しかし度重なればそれでは済まなくなってくる。ある日、海神ポセイドンは日ごろ想いを寄せていたメデューサを無理やり連れ去ると、よりによってアテナイの神殿で陵辱した。ここはアルコール脱脂綿を持ち歩くような潔癖症の女神アテネの神殿で、発覚した途端、「何してんのよ!」とばかりにメデューサから美貌を奪い、髪はとぐろを捲く蛇へと変えた。
この日からメデューサの不幸は始まる。以前の下にも置かない歓待がなくなったどころか、その醜さか ら彼女の周りに人が寄り付かなくなった。たまさか近づく者があっても、その視線に罹ればたちまち身が石と化してしまう。ますます人々はメデューサを避けた。
まったくアテネは底意地が悪い。そのメデューサを、今度は勇者ペルセウスに知恵を付けて討たせようとしたのである。ペルセウスは人がいいというか下っ端の悲しい性というか、「ジュースかってコイ」のノリで、「メデューサをやっちゃって」と云われ、二つ返事で危ない橋を渡りに行ったのである。このときの顛末はご存知の通り。姉たちと違い不死身ではなかったメデューサは、楯を鏡代わりにした作戦にまんまとはまり、一刀の下に切り伏せられてしまう(このあ たりは「スサノオのヤマタノオロチ退治」に似ている)。
さらにアテネは死して抗うこともないメデューサを余念なく辱める。アテネは戦闘の神でもある。その姿は時として鎧兜に身を固め、右手に剣、左手にイージスつまり楯をもつ。このイージスの中心にメデュー サの首を嵌めこんだのである。 多少の慢心はあったが、好きでもない男にヤラレ、それがもとで醜悪な姿とされ、罪なくして殺された上に、一生を狂わした者を守る羽目になったメデューサに、誰が同情せずに居られようか。
そりゃ、邪視に もなるって。


邪視除けは世界中に数多く存在する。

ナザール・ボンジュ
トルコのお守り。ガラスビーズで、球体の中ほどに三ないし四重の円が描かれ ている。カラスよけの「目玉風船」のようなデザインだ。これを身に付けていると、邪視をうけた時このビーズが身代わりになり、割れて持つ人を邪視から防ぐといわれている。日本の「蛇の目」柄と同じ模様は、「目には目」「睨みには睨み」という相克の関係をあらわしている。

アイシャドウ
邪視が一般的な中東では、子供、特に嫡子は髭の生える頃までやたらに人の目に触れさせない、そのため子供が地下室で暮らすこともざらにあるらしい。そんななか、よく目にするのが女性が頭からすっぽり被っている覆い布シャリシャフ(頭・上半身・下半身の三枚の覆い布の総称)で、これを身に纏うことで人の目から身を守った。これに顔を覆うリマスを付けたり、アイシャドウ(「コフル」という、接頭語の「アル」を付けると、これが「アルコール」の語源)を塗ることで、さらに守りを堅くする。

籠目
ヨーロッパでは「ダビデの星」というが、これも邪視除けの文様であった。五傍星、つまり星型でも同じ効果が得られる。籠は目が多い。たとえ力のない目でもたくさんにあっては邪視にとっても怖いらし い。そこから、邪視除けにサイコロを持つ人もあったという。

サンゴ
コーラル(サンゴ)は前述のメデューサによって生み出されたものと信じられていた。ペルセ ウスが浜辺で休養しようと、メデューサの首を海草の上に置いた。その首から滴る血に、海藻はみるみ る石化した。海のニンフたちは面白がり、次々と海藻を石に変え海のなかへと投げ込んだ。そして生ま れたのがサンゴなのだと。ゆえに、サンゴを身に付けていれば、どんな強い邪視に罹っても、メデューサの力によって弾き返せると考えたのだ。

ホルスの目
この目にも力が宿っている。父の仇を討たんとしたホルスは、仇敵である叔父セトによって目をくり抜かれたうえ、それを五分刻みされた。哀れに思った学問の神トトはそのかけらを拾い集めると、元に戻しホルスの眼窩にはめ込んだとされる。このときトトは学問の神らしく、バラバラにされた目の部位が、元々の目の霊力を一としたときにどれほどの力を宿していたかを分数で表した。目頭の白目が二分の一、瞳が四分の一、眉が八分の一、目尻の白目が十六分の一、目に生えた羽毛が三十二分の一、目の下の隈が六十四分の一、とこんな具合に。ところが、これを全部足しても六十四分の六十三 にしかならない(凡ミス!)。仕方ないので、残り六十四分の一はトトの霊力で補ったとされる。 セトがホルスの目をくり抜いたのはその目に力があり、脅威に感じていたからに他ならない。力のある目=邪眼は他者の眼力を相殺する効果を期待して身に付けられたのである。

ファーティマの手
ファーティマはムハンマドの四女。イスラム社会においては良妻賢母の鏡として、 崇められている。何者も包み込む愛こそ恨みから発する邪視の天敵である(優しくされたら恨めないでしょ?)。彼女の手をかざすことで邪視の毒を避けようとしたのだ。さらに護符の力を強めるため、祈祷文や目を加えたデザインも生み出された。ちなみにアラブではカシオペア座はファーティマの手と呼ばれる。これがヨーロッパに至ると聖母のイメージへと変化する。別名マリアの手。

ヘンナ
ミソハギ科の植物「メヘンディ」を原料とする。すりつぶしてペースト状にしたあと、パラフィン 紙で作ったコーンの中に入れ、搾り出しながら皮膚に模様を描いてゆく。数時間置くと成分が皮膚に定着し、洗い落とすと描いた模様が褐色に染まる。多くは女性がする。元来日差しの強い中近東では日除けの目的で使用されていたが、後年は目的が変わり、邪視除けの模様を描くようになった。婚礼など特別恨みを買いやすい祝い事に描かれる。前記のファーティマが神より啓示を受けて始めたという説もあ る。

ヒーガ
握りこぶしの形をしたお守り。17世紀のスペインで流行。こぶしは日本で言う「女握り」、親指を中に折り込み、その先を中指と薬指のあいだから出す。卑猥な意味を持ち、ゆえに邪視除けと見られ た。


日本ではあまり馴染みのないケルト神話。この中にも邪眼の神があらわれる。バロール(Balor)。 ケルト神話は光と影の対立の物語で、ケルトの王の始祖に繋がるダーナ一族と、死と夜と悪の種族フォモールの争いが展開される。フォモールの種族の一つを統べる首長バロールは、いつも片目を閉じているが、ひとたび開けば見るものすべてを殺傷するほどの邪視の持ち主であった。 ある日、バロールは予言をうける。
「お前様はいつか孫に殺されるよ。」
バロールは気色ばんだが、ふとあることに気がついた。
「孫がいなけりゃいいんじゃねぇか。」
運のいいことに、一人娘のエスリンには子供がない。いまだ夫さえいないのだ。いまのうちにと、娘を幽閉し文字通りの箱入り娘にしたのだ。ところが、どこをどうしたのか、エスリンはキュアンというダーナの血を引く若者と恋に落ち、親の目を盗んで逃げ出したのである(お前は引田天功か?)。逃げて逃げて、 しかしやる事はしっかりやって、エスリンは宿命の子を身籠った。これが後に光明神と呼ばれるルーフである。怒り狂ったバロールは後憂を断つべく親子を殺しにかかった。ところが、思わぬところで救いの手が差し出され、宿命の子ルーフは生き残ってしまう。 このとき仕留めそこなった所為で、ダーナとの争いの中、バロールは最大の武器であった邪眼を潰され、予言どおりに孫に殺害されてしまうのである。


大天使サリエル(Sariel)は月と霊魂の管理者であった。その昔、ヨーロッパでは月が霊魂の帰る場所で あると信じていた。ゆえにこの世に生を受けたものは月より霊魂をいただき、死に逝くときはこれを帰 す。元々は月の天使であったサリエルはこうして霊魂の管理者になり、人の一生を見守る天使として務 めた。他にもサリエルの仕事は神の法を守り、背いた天使を罰することであった。
月には天使にしか知りえない様々な秘密があった。潮の干満もその一つで、人間には教えてはならな い決まりであった。ところがこれを、サリエルはカナンの女司祭に漏らしてしまう。法の番人が神の法に 背いたのである。その所為で、サリエルは堕天使の烙印を押され、天界から放逐されてしまった。 サリエルは霊魂を扱っていたことから、人の死を自由に出来る、と思われていた。霊魂を見守る彼のまなざしはどこへ行ってもついてまわる。一たび意に添わないことがあったなら一睨みで……。彼が堕天使になるもう一つの原因がこの邪視にあったともいわれる。ところが、サリエルが邪視であったという記事はどこにもない。ただ、時代が下るにつれ、尾ひれがついて美しい大天使がとんでもない悪魔に変わってしまったということだ

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