Racco-1000 丸芽 志悟

自由音楽実践機構Racco-1000団長&フルート他担当/微小総合娯楽商社Fine V…

Racco-1000 丸芽 志悟

自由音楽実践機構Racco-1000団長&フルート他担当/微小総合娯楽商社Fine Vacation Company代表(名ばかり)。音楽が輝いていた時代を後世に語り継ぐのが使命/作曲・作詞・音楽制作・記事執筆・イベント主催等

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Racco-1000活動予定のお知らせ

すっかり、Missing Years以外の更新から遠ざかってしまいました…「クリエイティヴな暗黒期」のかけらを拾い集めると意外に楽しくて、Raccoの活動総括どころではないのですが、それさえも日頃の混沌からの有意義な逃げ道でしかないのですよ。そこまで事態が混沌としまくっていて…そんな混沌の間にも、活動計画が黙々と練られています。というわけで、情報目白押しの告知エントリをお送りします。 まずは重要告知、関東地区では1年4ヶ月ぶりの開催となるRacco主催イベント。しかも二本立

    • MISSING YEARS その13~2005年の巻

      mixiの「宅録少女」コミュニティの管理人として、そのメンバーの一人から招待状を受け取りとあるライブハウスに走っていって、別の女の子の歌手の歌に心を打たれる…それが、J-popの中枢とは一味違う歌ものの世界への入り口になるなんて。そんなSNS中心の人間模様も手助けとなって、クリエイティヴ精神にも再び火が灯った年。相変わらず、それを外に出す勇気は芽生えなかったけど…そして、心の支柱だった篠原理華さんを失い打ちひしがれた身が、リコーダーの音をより切実に求め始めたのもこの年のことで

      • MISSING YEARS その12~2004年の巻

        暗雲を引きずりつつ、ソーシャルネットワーキングサービス・mixiに足を踏み入れ、新たな人脈形成の可能性を見つけた年。最大の事件は、11月のある日早稲田通りを歩いていて、当時あったロック喫茶・ジェリージェフの前を通った時に起こりました…「あの二人」の存在を知ったことが、その後の自分にどれだけの激動を与えたのか。そして、ブライアン・ウィルソンの『スマイル』。 メインストリームJ-pop市場は、そんなのお構いなしとばかりに不安定な変革を続けたのです。ある程度は伝わっていましたが、

        • MISSING YEARS その11~2003年の巻

          傷心を引きずりつつ、なおも自らの方向性を失いJ-popのストレンジサイドに逃げを求めていた頃。その頂点は、10月15日にリリースされた星井七瀬のシングル「恋愛15シミュレーション」と共に訪れた。今日聴く曲は、全てその曲と時代性を共有しているという概念の下に聴かれることになるのである。そして、あまりにもシンボリックな曲がトップに選曲されてしまった… ① 「(いきなり歌い出す) いきなりこれか!当然買いましたよ。両さんバージョン選ばなかったのでよかった。この手のシングルはめちゃ

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        Racco-1000活動予定のお知らせ

          MISSING YEARS その10~2002年の巻

          運命の分かれ目となった2002年。心身的ダメージに悩まされた挙句、普段聴いている類の音楽からの逃げ道を求め始め、それがネタ色を増しつつあった当時のJ-popの「裏側」に着地してしまったのです。その代表例が藤原彩代「おさい銭」であり、それを筆頭とするマイナーな演歌やアニメ・声優系、ハロプロの傍流としてのみ存在していたアイドル音楽に対する関心にまで至ってしまうのですが、その影響はどの程度このプレイリストに現れているのでしょうか。 あの悪名高き「コピーコントロールCD」が登場した

          MISSING YEARS その10~2002年の巻

          MISSING YEARS その9~2001年の巻

          21世紀の始まりは、浮かれてばかりじゃいられないという教訓と共に訪れました。相変わらず醒めた目で流行歌界を追いつつ、音楽マニア度を研ぎ澄まし、遂にDJイベントをやるまでに漕ぎ着けたのはよかったけれど、これが「終わりの始まり」になってしまいました。と同時に、Mac内部だけでノイズを作っていたRacco-1000も生演奏の導入に乗り出して、「音の交換日記」のような意味合いの別ユニットを始動したものの、純粋な演奏者としての関係が保てるわけがなく。この苛立ちが、翌年からのJ-popと

          MISSING YEARS その9~2001年の巻

          MISSING YEARS その8~2000年の巻

          遂に2000年代に突入。この年はメガヒット路線がアルバム市場を席巻し、流通現場にいた自分もひいひい言いながら商品に囲まれる喜びを噛み締めていましたが、それ故に今振り返ってみても好印象が残る曲が多いです。もっとも、真剣に聴く方は相変わらずマニア度が高いものでしたけど…この時期はネットで形成されたマニア意識が頂点に達した感があります。象徴的だったのが、4月に岸野雄一さんに誘われて初めて公の場でDJをした時。自分は準備のため同席しなかったのですが、呼び寄せた同胞6名が当時高円寺にあ

          MISSING YEARS その8~2000年の巻

          MISSING YEARS その7~1999年の巻

          人脈形成という点ではバラ色の日々の始まり。オールナイトで音楽と娯楽の追求に勤しみ、伝説の世界的名盤を作ったミュージシャンとオフラインで邂逅し…ネットで味わった新しい方法論がリアルに出ていったという点で、およそ20年間失っていたものをやっと取り戻すに至ったようです。その行く先に所謂恋愛まで見えてきました…(汗) そこまでを導くエンゼルになって下さった一人が、リコーダー奏者の篠原理華さん(2005年没)でした。そんなこともあり、所謂セミクラシック系の音楽を頻繁に聴くようになって

          MISSING YEARS その7~1999年の巻

          MISSING YEARS その6~1998年の巻

          1990年代の中でも1998年は、個人的に最も思い出すのが辛い時期。ネットでの人脈形成に必要以上に有頂天になりすぎて、その反動がいくつか来た。いわゆるネット傷心初体験ですね。祖母のお葬式にも出られなかったし。そんな中、ベルギーからの刺客とソフトロックに関して熱心に情報・音源を交換する日々が始まり、日本の流行音楽なんてどこ吹く風というムードになっていました。だからこそ、ポジティブな想い出が残る曲はあまりないし、メジャーなヒット曲でさえタイトルを覚えてない曲が多く、なんか情けない

          MISSING YEARS その6~1998年の巻

          MISSING YEARS その5~1997年の巻

          遂にやってきました1997年へ。この年の4月、遂にインターネットに参入。音楽との接し方も大幅に革新されたのに加え、6年ぶりに音楽流通業に復帰し、現場のシビアさを再び体現することに。故に、いろんな意味で印象に残る曲が量産されることになりました。4年間抜けていた音楽産業への同調を再び始めつつ、音を出す側としてはまだまだ変態的な方向を脱せず、その一方で第三者と交流する術を手に入れて、その喜びが自分の態度を大幅に高揚する結果となりました。と言っても、翌年には早々と暗転することになるの

          MISSING YEARS その5~1997年の巻

          MISSING YEARS その4~1996年の巻

          いよいよ1996年へ。メガヒット時代にそっぽを向くようにレコード会社を辞め、変態音響製造機としてのMacの可能性に目覚めると同時に、インディーズに活路を見出し、勢いのあるガールズ・アーティストを多数発見することになるのだけど、それがかえって歌ものへの再歩み寄りを促したのはあるかもしれません。今回提示されたプレイリストは、1996年全体の傾向からしたら浄化された感触が否めなく、かえってこの年のヒット曲の芳醇さを思い知らされました。やはり◯室ちゃんが外されたのでかいですよね…でも

          MISSING YEARS その4~1996年の巻

          MISSING YEARS その3~1995年の巻

          問題の新シリーズ第3回、今回は1995年に迫ります。12月、初めてのMacを購入し、それを契機に予期せぬ方向へとクリエイティヴィティが再燃の予兆。その話はすると長くなるので、また別コンテンツを準備するとしますが、そこへ至る道も平坦ではなく、あらゆる意味で意識覚醒の波が訪れた印象が強いです。それを象徴する楽曲も当然リストアップされました…が、個人的に95年J-popの金字塔と思っている曲が外れたのには納得がいきません… ① 「あれですね。ピーターズじゃない(彼らの同名曲を歌う

          MISSING YEARS その3~1995年の巻

          MISSING YEARS その2~1994年の巻

          問題の新シリーズ第2回、今回は1994年に迫ります。相変わらず、歌謡曲の幻を追い求めながら、クリエイティヴ面では葛藤に悩まされていた1年でしたが、衝撃だらけだった93年からいい意味で揺り返しがあったという印象で、今回聴いた曲の多くに懐かしさがこみ上げてきました。それと、BECKを聴いたことも追い風となって、多少は表現面に新たな道が開けたかもという気がします。実は社内バンドを組んで、ベーシストデビューを危うくしかけたのもこの年でした。翌年にはさらに大きな転機が来るのですが、とり

          MISSING YEARS その2~1994年の巻

          ガチ勢じゃない自分がいかに演奏の楽しみに目覚めたかという話

          こうして創作活動の報告をしていると、この人は実演感覚に溢れた人なんだろうなというイメージを持たれる方も出てくると思いますが、自分は如何なる表現においてもいわゆる「ガチ勢」ではないと自認しています。だからこそ、どの方面にも柔軟に向かえるのかもしれません(そして、周りで起こっている事を感知し、その乗りに相乗することは得意中の得意です)。そんなわけで、今日は自分の主だった楽器との付き合いの歴史を振り返ってみたいと思います。「楽器の日」には間に合わなかったけど、「ロックの日」ですから

          ガチ勢じゃない自分がいかに演奏の楽しみに目覚めたかという話

          MISSING YEARS その1~1993年の巻

          遂にスタート!自分がクリエイティヴ面では地獄にいた空白の30年間を客観的に眺める新シリーズ「MISSING YEARS」です。 ルールは、Apple Musicから配信されているその年の代表的J-popヒットを集めたプレイリストを、ランダムで再生。当然曲名や歌手名が見えない状態で聴取し、それを聴いて発したコメントをボイスメモに記録したものを文字起こしして要約しています。これを、フニルネ始動前年に当たる2022年の分まで続けます。上手くいけば今年いっぱいで完結します。 まず

          MISSING YEARS その1~1993年の巻

          『妄想ロンド』について

          昨日のエントリでちょっと触れた、幻の女性ヴォーカル・プロジェクト『妄想ロンド』。この構想の具体的なスタートは、2005年5月にまで遡ります。前年誘われて参加したソーシャルネットワーキングサービス、mixiで管理人として創始したコミュニティ「宅録少女」にある程度メンバーが集まり始め、そろそろこのコネクションを利用して、何度も着想に失敗した女性ヴォーカル作品集を具体化しようという勇気が芽生えたのが最大の動機でした。それに加えて、新しく入手したiBookに搭載されたDTMアプリGa

          『妄想ロンド』について