『妄想ロンド』について

昨日のエントリでちょっと触れた、幻の女性ヴォーカル・プロジェクト『妄想ロンド』。この構想の具体的なスタートは、2005年5月にまで遡ります。前年誘われて参加したソーシャルネットワーキングサービス、mixiで管理人として創始したコミュニティ「宅録少女」にある程度メンバーが集まり始め、そろそろこのコネクションを利用して、何度も着想に失敗した女性ヴォーカル作品集を具体化しようという勇気が芽生えたのが最大の動機でした。それに加えて、新しく入手したiBookに搭載されたDTMアプリGaragebandを使い、理想的な音源制作環境を取り戻したこと(それまで…即ち92年まではコツコツ、鍵盤やギターを拙い手弾きで、ドラムやいくつかのパートを打ち込みで多重録音していましたが、何せそれができる環境に制約がありすぎた)も励みになりました。その月の20日に六本木で主催したイベントで、自分が「大台」に乗せたことを悪用してちゃっかり、弾き語りでライヴを敢行したことは、この流れとは全く関係ない上、むしろ黒歴史でしたが…

この時、収録候補曲を10曲ほど決めて、大まかなアウトラインを作成。と同時に、基本アレンジにも及ばない段階でデモ作りを始めたのですが、結局SNS上だけで理想的な作業要員が集められるわけもなく、自然にフェイドアウト。その後、2010年になって再度コンセプト作りに着火し、新たに1曲を追加してヴォーカル入りのデモを作成(当然「真弓真由美」が召喚されました)。うち1曲は、ちゃんと生身の女性ヴォーカルが入ったデモを作るところまでこぎつけたのですが、またしても挫折。今もこの作品の収録予定曲の多くは眠ったままですが、諦めたわけではありません。ただ、明らかに作風が80年代後期~90年代の感じに特化しているため、これらをフニルネッサンスの一部として再生することは、確実にないと思います。
ちなみに唯一採用された生身の女性ヴォーカルの主は、2010年当時入り浸っていた阿佐ヶ谷のライブハウス、ネクストサンデーに勤務していたM子さん。のちに彼女とは「スマホ時代のフォーク」を標榜するデュオ、Racco-stic1000を結成し、2011年1月に1度だけのライヴを敢行。公式にRacco-1000のライヴとして記録されている初めての生演奏になりました。これをやったことで、円満に歌ものにけじめをつけられたのかもしれません。したくなかったけれど…

幻となった収録曲に関して、この際なのでちょっとだけ明らかにしておきます。
「夏雨にうたれて」: 最も古い、1981年の作品。当時「真弓真由美」の歌でデモを作ったのを皮切りに、86年に真剣に世に出すために再度デモ録りしたり、92年のJCとの邂逅の際にも引っ張り出したり、97年にベースを加えたりと、決して蔑ろにしていない曲です。81年当時録音した雷雨の音さえ、未だに保管してあります。
「Run-Runing Daze」: 1988年、親戚一同でアルバムめいたものを作った時(これに関しては改めて振り返る予定ですが、一部をここで明らかにしています)、書いた曲の一つ。やんちゃな感じの曲なので、92年のJCとの邂逅の際にしっくりくるかもと思い、引っ張り出しました。その名残でここにも選曲。
「歌の続き」: 1990年、親戚3姉妹の長女のデモ制作に際して書き下ろした「歌」という曲がベースになっていて、当時瀕死状態となっていたレコードに対する愛情を描いたテーマを、2010年当時音楽配信に押されて運命が儚くなっていたパッケージ市場への挽歌に置き換えました。先述した「新たに追加した1曲」がこれです。フニルネ第2期用に用意した新曲「愛の気分」は、いわばこの曲のprequelみたいなもの?(設定が1978年のため)
「Dear One」: 1990年、親戚3姉妹の友人に「これに曲つけて」と渡された歌詞(「石丸謙二郎に捧げる歌」というタイトルがついていました…汗)に曲をつけたものに若干メスを入れ、完成させた曲で、作詞クレジットは当然彼女との合同となります。2005年引っ張り出した時は、アヴリル・ラヴィーン的ガールロックをイメージしたアレンジになっていました。
「15の頃」「上手くいかずにいられない」「虹」: この3曲は、昨日触れたJC3人組との邂逅の直後、一気にできたもの。遠距離関係が破綻した相手に本当の気持ちとして期待したことを妄想して書いた(14年も経っていたのに、未だその影が拭いきれなかった…)「15の頃」は、M子さんがヴォーカルを入れたことによって、実に胸を打つ曲になりました。「上手くいかずにいられない」は、2010年にデモを再作成した際はPerfumeをイメージしてみた(汗)アゲアゲなデートソング。「虹」はとてもよくできたバラードですが、何せ同名異曲が多いだけに、世に出しづらいですね。各コーラスの最後「ずっとそばにいて」と5回繰り返し、その全てに違うメロディーがついているところは、未だに自分屈指の「よくやったな」な瞬間だと思っています。
「おはよう」: 92年、ガールプロジェクトとは別個に書いた曲で、故に「僕」が「君」のために歌う歌詞のままになっていますが、今なら坂グループに歌わせたい感じに聞こえますね(汗)。これはレコ社勤務時代、新卒で新しく入ってきた子に密かに宛てた曲です(瀧汗)。
「時々あたしは」: 95年、親戚3姉妹の長女のために新たに数曲書いたのですが、そのデモや歌詞が紛失してしまい(歌詞はワープロ用のフロッピーに入っていた…汗)、唯一生き残った曲。4年後、ネット上のコネクションで実現した某「伝説のシンガー」のカムバック・プロジェクトのために復活させ、歌詞やCメロを書き直して提出しましたが、「難しすぎる」という理由で却下されました(涙)。
「幻がらみかさま」「岬」: 2005年に『妄想ロンド』を着想した時、新たに書き下ろした曲。「幻がらみかさま」は当時の不安定な心境をもろ表した曲で、「岬」は壮大すぎる失恋バラード。これはメロディの原型が既に90年代初期に録られたスケッチテープに記録されていました。

以上11曲です。これらの楽曲に対する「諦めない思い」があったからこそ、フニルネッサンスへとスムーズに進めたのかもしれません。
楽曲中心プロジェクトで「幻」になったものは、まだまだあります。今後も隙を見て語っていこうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?