ガチ勢じゃない自分がいかに演奏の楽しみに目覚めたかという話

こうして創作活動の報告をしていると、この人は実演感覚に溢れた人なんだろうなというイメージを持たれる方も出てくると思いますが、自分は如何なる表現においてもいわゆる「ガチ勢」ではないと自認しています。だからこそ、どの方面にも柔軟に向かえるのかもしれません(そして、周りで起こっている事を感知し、その乗りに相乗することは得意中の得意です)。そんなわけで、今日は自分の主だった楽器との付き合いの歴史を振り返ってみたいと思います。「楽器の日」には間に合わなかったけど、「ロックの日」ですからね。

[ピアノ/鍵盤]

物心ついた頃には、家に電動リードオルガン(昔小学校にあった足踏みオルガンの発音システムを、電気で風を発生させることで代用したもの…最早、そう説明するしか術がない)があって、気ままに弾いていたのだけど、ガチでピアノとかを習わせることに親が向かわせなかったので、今みたいな体質が生まれたのかもしれません。さすがに学校の音楽室にあったピアノやエレクトーンに手を触れるまでの勇気はなかったけれど、友達の家に遊びに行ってピアノがあればそれを弾いたり。

フニルネの「早起き」の歌詞の中でそのことに触れたりしてるけれど、当時は滋賀に於いてさえ、平均的なお嬢さんのいる家庭の居間にピアノがあるというケースは珍しくなくて。そんなわけで、友達と言っても姉か妹がいる場合に限られるのですよ。YMO以前は、鍵盤楽器を嗜むというと女々しいイメージしかなかったし。その辺に縛られたくなかったので、こっそり自己流で。その頃録音した即興演奏のテープは、後にRacco-1000で録音物を創るようになってから、何度か引用したことがあります。ピアノに関しては、友達及び親戚の家とか、中二の時に米国西海岸にホームステイした時に弾かせてもらったりとか、そういう細かい断片的経験の積み重ねで次第に慣れてきて、今はライブハウスで弾き語りできるまで最低限の度胸がつきましたね。まぁ、ジョン・レノンの生涯を超えたあたりでしたけど(汗)。

YMOの洗礼を経て、高校進学祝いみたいな意味合いでカシオトーンに進化。しばらく宅録ではそれが主軸になりました。以降、コルグPOLY-800とか、カシオCZ-101などにお世話になりつつ、今はカシオCTK-601を使ってGaragebandに打ち込みをしています。もちろん練習用にも活用しているし。打鍵音の問題でガチで弾けないのが惜しいですけど。というわけで、完全に自己流です。

ついでに、鍵盤ハーモニカに関しては、意外にも小学生の時に与えられなかったので、初めて個人用のものを手に入れたのは東日本大震災の直前あたりです。その頃からRacco-1000のライヴで使い始めるのですが、そんなキャリアが浅い割に結構演奏を褒められる機会があるので、皮肉なものですよね。

[ギター]

初めてのギターは、中三の時に買ったヤマハのアコギ。弾き語りしたいからとかそういう動機はなくて、単なる憧れ。当時聴いてた音楽を考えると、アコギやりたいなんて想像できないじゃないですか(汗)。それでも、少しずつコードを覚えて、曲作りの際に役に立ったり。20歳になったあたりで、不純なきっかけで初めてのエレキが転がり込んできて(安いやつです)、父の持ってたカラオケの機械をアンプ代わりにして、歪み系エフェクターだけ一丁前に買ってきて弾いてましたね。こちらも完全自己流。最早人前で弾く度胸はないですけど、国分寺クラスタや無人島(R.I.P.)で気ままに弾く機会を得たりはしています。

[ベース]

94年、レコード会社勤務当時、ふと社内バンドをやろうという構想が出来て、ギターの二人だけはガチだったのですが、その他のパート選考が難航して、そんな中自分がベースやると言い出して、奮発して買いました。歌謡シングル集めに全情熱を傾けてた頃の話です…ただ、やはりドラムがネックになって、一度リハをして頓挫。ガチベーシストになる夢は絶たれましたが、宅録の際何度か弾いてはいます。公の場所でも一度だけ弾きました。「渋谷ズンチャカ」の初年度、自由に楽器体験できるスペースがあって、そこでドラム女子が気ままにビートを刻んでいたのですが、そこに乗っかってなぜかゾンビーズ「ふたりのシーズン」を演奏。別に練習してた曲ではないのだけど、ドラムのイメージで自然に出てきて。彼女、きっとこの曲知らなかっただろうな…オルガンソロの部分に来てビートパターンを変えるなんてやられたら、その場で求婚してたと思います(涙)。まぁ、慣れない楽器でもそういう事ができるという強みはありますね。

[ドラム]

ドラムに対する憧れは早々とありましたが、当然それができる環境を容易に確保できるわけがなく、周りにあるものを適当に叩くことで解消するしかありませんでした(瀧汗)。その後、カシオトーンに内蔵されているリズムパターンを使ったり、時に既製のレコードからドラムパターンを抜き出してループさせたり(完全手作業で!ヒップホップとか聴く前の話ですよ!)して、リズムを強化していましたが、これも20歳のあたりでコルグの一番手軽なドラムマシーンを導入。しばらくそれでしのぎました。ローランドのTR-505も使ってましたね。そんなわけでずっと機械頼りですが、少なくとも公の場所で2回、本物のドラムを叩いたことがありますし、Racco-1000をバンドとして始動してからもスタジオリハーサルで何回か叩きました。uRaccomec0のある日のリハ音源で気ままに暴走している部分があるのですが、それを聴き返すと、なんとやけくそ気味にツェッペリンの「ロックンロール」を演ってる(!)。別にボンゾのコピーに精を出した覚えはないし、その辺も自然に血肉として浸透した結果でしょうか。打ち込みをする際は、ドラムパターンの完全コピーをよくやりはしましたが。

[フルート]

意外にも、ガチで習った楽器はこれだけです…何故フルートなのかを説明するには、延々と別枠を用意して「笛との蜜月史」を説かなきゃいけないのですけど(汗)、その延長線上で高木綾子さんや藤井香織さんの演奏を聴くのが好きで。それがどうして自分が演る方に繋がったのかというと、2007年から始まった「不健康な日々」に関する言及を延々としなければいけません。これは今後、このコンテンツの中で控え目に引き合いに出していくつもりですが、今の自分の生活を考える上で、この時期のことはあまり肯定的に扱いたくはないのです。

それでも、そんな日々の繰り返しの中、とある女性シンガーの存在を知ったことは、2つの面で我が人生を大きく揺さぶりました。その片方が、彼女のバンドにフルーティストとして参加していた我が恩師・江藤みどりさんとの出会いです。

彼女の紹介で即興演奏やそれに伴うコンテンポラリー・ダンス界隈の深さを知り、そこから交流人脈を広げていくことになるのですが、そんな流れで2008年から直接フルートを習い始めることになります。これで実演感覚を取り戻し、2011年を皮切りにRacco-1000のライヴ活動に精を出すことになるのです。2015年に母が亡くなってから、経済事情を含む色々な思惑が絡んでレッスンを辞めてしまうことになるのですが、今後も機会があれば様々な先生に習ってみたいと思いますし、他の楽器に関しても同様です。

ちなみに今習う機会があれば是非と思っている楽器は、リコーダーを別格とするとスチール・ギターと琴。いずれも「歌のない歌謡曲」を聴きすぎた結果かもしれませんが、自分の骨格の中に持っていたい音ではありますね。

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