#田村淳の大人の小学校
田村淳の大人の小学校公式クラブ「夢を語るクラブ〜Dreamin〜」2周年❣️
田村淳の大人の小学校というオンラインサロン
にて
夢を語るクラブ〜Dreamin〜という公式クラブを主催している。
どんな活動をしているかというと
夢を持つ大人が
いくつになっても
たくさん夢を持ち
夢を語り合い
お互いアドバイスし合い
応援し合うことで
1人ではできないことを
みんなで
ひとりひとりの夢を共有して
前に進めていく
夢は言葉にすることで
誰かに話すことで
「夢を語る」こと
今年の3大ニュース(R4)
①校長が変わった4月、赴任して1年の小学校の校長が変わった。初日から教職員全員で学校教育目標を考えるという積極的に改革していくタイプの方だった。ただ、強引ではなく、いわゆるサーバントリーダーシップを絵に描いたような方だ。
校長が変わったことによって何が変わったか。
大きく分けて3つある。
読書家デビュー
3月末、たくさんの段ボール箱が届いた。中身は、校長の私物の教育書やビジネス書等だった。
FOR THE BRAND-NEW DREAM
15歳からずっと、明日何してるかわからない人生を歩みたいと思って生きてきた。
もちろん、今もそう思ってる。いまだにそう思えていることに、そして、そのことにワクワクできることが何よりも嬉しい。
夢その1「大人と子どもの学校(サードプレイス)」づくり
職場(学校)と家族、それ以外の居場所を必要としている人は多い。
それが部活動だったり、地元の友達だったり、勉強や習い事仲間だったり、地域の集まりだっ
「夢と現実」その狭間で…
4〜6年の担任を全てを賭けてやり切ったという思いが強く、今後、他の子どもたちを担任しても、この子たち以上に愛情をもって接する自信が持てないかもな、と感じていた。
そんな時に教頭試験を受けないかと当時の校長から誘われた。今から思えば自然な流れだった。
当時、年齢的にも教頭が足りてない状況なのはわかっていたし、いつかならなくてはならないとは思っていたので、そんなに抵抗なく、認められたことの方が嬉し
かけがえのない夢の時間
4〜6年の3年間、持ち上がりで担任となった。結果的に最初で最後の学年主任となった。
相方の担任は新任で、男性30代。企業の営業からの転職。何もわからないので一から教えなければいけない。ただ、とにかく前に進む、とてもいい人だった。結果的に2人で3年間担任することになった。彼には本当に助けられた。文字通り、苦楽を共にした同志となった。
1学期始めから毎日が勝負!崖っぷち!命懸け!だった。
上手く
夢が現実になったら…
思わぬ友人の紹介から小学校教員になった。転職経験の多い私でも、37歳で全く違う知らない仕事に変わるのは想像以上にキツかった。
1日の授業の流れ、学校全体、行事等に関する仕事、担任しているクラスの事務仕事…全て知らないゼロからのスタートでした。
わりと転職してきたほうなので、仕事に慣れるのは大丈夫だろうと思ってたけど、想像以上の大変さに戸惑い、現実逃避したくなり、電車を乗り過ごしたくなったりもし
dreams come true
教員免許の勉強は順調に進み、2年目に教育実習に行くことになった。4週間もあるので仕事を辞める覚悟をしていた。
で、ダメ元で上司に教育実習に行くと言ったら…何と!休ませてくれた。本当に感謝である。
その時、息子3歳、そして、娘3ヶ月!?
当時はそんなに何も思わなかったが、振り返ってみると計画通りだったとはいえ、なかなか無謀な決断だったと思う。
教育実習は、母校ではなかったが、実家近くの地域の学