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桃色の魚の鱗

0331 おじいちゃん80歳のお誕生日おめでとう。
老化でほとんど耳の聞こえなくなっているおじいちゃんは、たまにぼそりと寂しそうにつぶやく。みんなが会話しているのは見えるのに会話はほとんど聞こえないその世界は寂しがり屋のおじいちゃんにとっては耐えきれないことなのだと思う。そうなったときのことを想像してみたけれど、体の自由がきいて、特別何もしなくても困ることなく生きていけている私にとっても到底耐えきれないことだった。それでも長生きしてほしいと思うのは遺される健康なもののエゴでしかないのかもしれないなあ。

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毎日必ず、どれだけ疲れ果ててもお化粧だけは落として寝る、と心に誓った数日後の昨日の夜、疲れ果てて気がつけばお化粧を落とさず寝落ちしていた。
やってしまった。数年後のお肌に影響してくるぞ、と頭ではわかっているのだけど、数年後の自分なんて想像できないしな〜ともはや諦めの境地。毛穴が開いて悟りを開いた。

世間的に休日の日曜日。お仕事がある私にとっても休日。
お休みではないので平日と言ってもいい気がするのだけど、長年の休日と世間の空気が染み込んでいるようで、お休みの日なのにお仕事という気持ちでいつも働く。土日はどこに行っても人が多いからお仕事でもいいのだけれど。たまに世間のあのゆるんだ空気の中に身を委ねたいとも思う。

日曜日の朝、いつもより人も車も少ないゆるんだ空気の中、ひとり仕事に向かう少し吸い込んだ空気がおいしい、あの時間も割とすき。

0401 疲労を回復するのに必死でめまぐるしく生きることに専念していたら、あっという間に4月になっていた。3月の記憶があまりない、断片的な記憶のかけらを拾い集めてパズルゲームのような感覚。

1日の区切りがつかぬまま泥のように繋がって生きている。

今日はすこしゆっくりしてお昼頃本屋さんに出勤する。職場に行くまでの徒歩15分、歩きながらようやく訪れた春を感じて空気を吸い込んだ。今日は4月のはじめだからピンクのシャツを着る。春は色づいてかわいい。

これまでの春はアルバイトを全然入れずひまだったり夜のお仕事だったりそもそも無職だったり精神を病んでいたりで、毎日桜を探しに探検していたのに、今年はまあまあ割と働いていて、さらに桜が顔を出していなかったりでなんだか春の訪れを感じづらい春だ。

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0403 親友の誕生日。15歳の今頃、入学式の日に話しかけられたのがきっかけで高校3年間を共に過ごし、出会って10年経った今も、環境や住む場所は違えど、数少ない背伸びせずに会える人のひとり。

2連休なのに雨なので無理に外出することもないかとお家で過ごす。積読本を消化するチャンス。映画も見たい、アニメも見たい。雨の日のほうがやりたいことがたくさんある。

桜は元気でしょうか。見たい反面、外出したくない気持ちとがせめぎ合っている。少し窓を開けて外の空気を吸い込んでみると、もわんとした体にまとわりつくいやらしい空気に耐えきれなくてすぐに窓を閉めた。

都会のマンションの室内は、田舎にある一軒家の実家と違って閉鎖的な空間だと思う。雨の音も虫の音も室内にいる私の耳には届いてこない。
実家で目覚めた朝、お庭にやってきた小鳥の囀りだったりがたくさん届いてきたのに。やっぱりマンションは嫌だなあ。何より縦に人がいる違和感に突然脅かされるようになった。頭上から他人の生活を密かに感じる。あまりに奇妙。

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0412 3月のおわりの日記から溜めてしまっていた。気づけば桜も葉桜にかわり、アスファルトに散らばる桃色の魚の鱗のようなものを踏みつけていく。散った途端、用はないと言われているかのよう。人は薄情だ。

春の陽気に脳はとろりと溶けて、照準をみつけてもなかなか焦点が合わない。いつの間にか口内に棲みつき始めた口内炎がじわりじわりと痛む。春は体がずっしりと重い。永遠と生理が続いているかのような倦怠感。

心を整えるにはまずは丈夫な体を得なければ。

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