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わたしの「がんばる」
「自分で思っているより世の中は」
ある時からわたしの頭の中には常にこのフレーズがあるように思う。
思っているより世の中は、
わたしを必要としていない。
わたしはそれをポジティブに受け取っている。
こうしなくちゃ、ああしなくちゃというものは
今まで少なからずわたしを消耗していた。
だから、これに気づいたときは本当に救われた気持ちになった。
わたしは「かけがえのないわたし」で
「世の中を動かす一
「ショック」と わたし
「いいよ」
「大丈夫」
といいながら
びっくりするくらいに落ち込んでいる、
という感覚はみんながあるものだろうな。
と、思う。
思うから、そのときの気持ちを
ぎゅっと圧縮して
心の中のどこかにしまい込んだりする。
しまい込んだことがどんなだったか忘れても
びっくりするくらいに落ち込んだ
あの時の経験みたいなものは
ずーっと残っているもんで
ある日「よっ」と出てきて
胸が苦しくなる。
こんな
わたしの「我慢する」
「みんな自由にみんなの自分を生きている」
わたしの基本的な、不変的な考えのひとつだ。
ふと、過去の自分の出来事をぶわっと思い出して今になってよくよく考えて、ハッと気づいた自分がそこにいる、みたいなことがある。
今日はそれを忘れないように書いてみる。
恋人や家族や友達と何か意見交換をしている時、
(多分シチュエーションから判断すると一般的には「言い争い」という場面なんだろうけれどわたしの態
わたしの「こだわる」
わたしは、生活の中に「こだわる」ということがあまりない。
これはここにないとだめ。
洗濯ものはこうしないといけない。
家具はこれがいい。
家はこういうものがいい。
――そういった「こだわり」がない。
たとえば、時々コーヒーをのんびり飲みたいだとか、
わたしのものはここに片付けるとか、
習慣のようなものはもちろんあるけれど、
必ず思ったその通りになければならないものではない。
片づける場所も変え
はじめまして、わたし
ボロボロこぼれる、わたしのこころ
キリキリ言う、わたしのおなか
はじめまして、大切なひと
はじめまして、ほんとのわたし
悲しいはお前ひとりでカタをつけて
幸せをキミと2倍にする
そんな夢をみたいと思った
はじめまして、大切なひと
はじめまして、あたらしいわたし
わたしの「気をつける」
「ありえない」
幼い頃から使い方を考えている言葉だ。
「有り得ない」という言葉を発する時、
だいたいの人が目の前の出来事や
人から聞いた話に対して感想として
用いていることが多いような印象がある。
わたしは、なんでだろう、と思う。
だって、目の前にある出来事なのに。
だって、誰かには起こった話なのに。
気をつけるようになったきっかけは、
幼少期に自分の「普通」の話をした時に
わたしの「わからない」
わたしは、「わからないこと」がすごく怖い。
それを解消するために
「ひとりで考えること」と
「人とお話すること」を好んでしているように思う。
なぜこんな書き出しをしているかというと、「ひとりで考えていることって何だろう」と、ただの今、ふと気になって考えて、やっとこの自分について気づいたからだ。
「なんでだろう」を考えることが多い。
「なんでこうなったんだろう」
「なんでこう思ったんだろう」
「
わたしの「気持ち悪い」
どろどろと。
自分で驚く程に
あの日嫌だったことや
あの日苦しかったことを
思い出すことがある。
どうして
なにが
あんな気持ちを産んだんだっけ?
と。
気になってしようがないときがある。
そんな時の自分は決まって
前の日によく寝ていて、
頭がすっきりしていて、
退屈でも眠気がこなくて、
ただ、貧血の時のあの
じらじらしたものが目の前を通るのだ。
自分で選んで苦しか