山登りの頭のなか

山を見上げる。
つい先日まで黒や茶色の山が
気が付いたら緑色になっている。

わたしは緑色が好きだ。

目が覚めるような新緑はどうしてこんな色で
どうしてどんどん濃くなっていくんだろう。
きっと何かいろいろな難しい仕組みがあるんだとしても
どうしてそんな仕組みになったのか、
不思議で不思議でたまらない。

険しい細い坂道を歩く。

水をたくさん吸っている山の土は、
人が乗れるほどにかたいのに
ちょっとやわらかくて
夢みたいな場所に感じる。

わたしは自分の足音が好きだ。

少し薄っぺらいわたしの足は、
わたしの好きな靴とはあまり合わなくて
足元でカポカポと音を立てる。
その音が好きだ。
好きな靴はわたしとぴったりじゃないけれど
ぴったりじゃないから出る音が好きなのだから
結局この靴はわたしにぴったりなのだ。

ここが道なき道だったとき、
初めて歩いた人の気持ちはどんなだろう。
次にくる人のために草を分けるのか
帰るときのために草を分けるのか
前が見たくて、草を分けるのか

そんなことよりただ険しい坂がつらいばかりなのか。

道はたくさんの往来があって作られる
それほどに人を迎えてくれたこの山がなければ
こんなに険しい坂に道もなかろうに。

そんなふうに、思う。


川が流れている。

木漏れ日をキラキラと反射させている。
流れをそれた水が、道を渡って、そこだけ泥濘んでいる。
歩いたら、足を奪われるかもしれないなあ。
でも、どんなにやわらかいのか少し気になる。
水辺にいるわたしはとても調子がいい。
だから、あえて、そこを歩いてみたくなる。
やっぱり、転びそうになる。

転んでしまってもよかったのに。と、思う。

たくさん息を吸う。
身体の内側がきれいになったような感覚になる。
内側なんて、見えないのに、内側を洗浄した気持ちになる。
川の横を歩いているだけで、
全部が最高のような、
好きな人の隣を歩いてる時のような、
とてもいい気持ちになる。

わたしは水辺がだいすきだ。

水がたてる音が好きだ。
足音と相性がいいところが好きだ。
かたちが変わるところも好きだ。
しん、としたところで、鏡みたいになるのを見るのが好きだ。
水が近くにあるというだけで、好きがたくさん集まる。
わたしの還るとこは間違いなく水だ
そう思えるところが本当に好きだ。


また、山を見上げる。

雲が近く見える。

鳥の声が聞こえる。

邪魔になった草木も、
転びそうになった道も
目には見えない生き物たちも
この山に在る。

歩くために、
もうなくしてしまうか、避けるか、
もうここを渡らないか、
探して見つけ出して触るか、
わたしはなんでも出来たのに、
水辺を、ただ楽しいと思いながら歩いてきた。

在るように在った。それでよかった。それがわたしにはよかった。

これが、生命かあ。と、また山を見上げる。

有り難いものの上に、足をつけて立っている。

そんなふうに、思う。

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