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わたしの整理整頓

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最近の記事

わたしの「かわる」

この3-4年、 わたしの人生の革命期のような時期をすごしていたように思う。 革命と言っても、分かりやすく環境の変化だ。 住むところが、かわった。 苗字が、かわった。 「わたし」を示す呼び名の数が、かわった。 仕事が、かわった。 大切な人に対する認識が確信的なものに、かわった。 わたしは、臨機応変に対応するということにあまり不都合を感じない。 この数年の目まぐるしい変化に対応すべく生きることにも、心を壊すほどに乱された自覚は無い。 怒涛ではあったけれど。(笑) ただ、

    • わたしの「がんばる」

      「自分で思っているより世の中は」 ある時からわたしの頭の中には常にこのフレーズがあるように思う。 思っているより世の中は、 わたしを必要としていない。 わたしはそれをポジティブに受け取っている。 こうしなくちゃ、ああしなくちゃというものは 今まで少なからずわたしを消耗していた。 だから、これに気づいたときは本当に救われた気持ちになった。 わたしは「かけがえのないわたし」で 「世の中を動かす一員」ではあるけれど 時の神クロノスではないし、 世界の時間の流れを好き勝手できる

      • わたしの「成る」

        わたしには、尊敬している兄がいる。 時に、威厳ある父親で、 時に、一番近い、優しいお兄ちゃんだ。 わたしの兄は 「常に追い込まれている中にいたい」 「何者かに成るためにあがいていたい」 そんなことをいつも言う。 なんでも、研ぎ澄まされた状態でいるためには 平穏や幸せなものから遠ざかっていたいらしい。 いつも忙しさやしんどさの中に飛び込んでいく。 我がため己がためと言わんばかりに 傍若無人な言動をとる人だ。 そう見せかけ、信じさせつつ 家族思いで、我々下の妹弟のために困

        • 「ショック」と わたし

          「いいよ」 「大丈夫」 といいながら びっくりするくらいに落ち込んでいる、 という感覚はみんながあるものだろうな。 と、思う。 思うから、そのときの気持ちを ぎゅっと圧縮して 心の中のどこかにしまい込んだりする。 しまい込んだことがどんなだったか忘れても びっくりするくらいに落ち込んだ あの時の経験みたいなものは ずーっと残っているもんで ある日「よっ」と出てきて 胸が苦しくなる。 こんなことも、みんなあるんだろうな。 と、思う。 だから、そんな大したことでもない

        わたしの「かわる」

          わたしの「我慢する」

          「みんな自由にみんなの自分を生きている」 わたしの基本的な、不変的な考えのひとつだ。 ふと、過去の自分の出来事をぶわっと思い出して今になってよくよく考えて、ハッと気づいた自分がそこにいる、みたいなことがある。 今日はそれを忘れないように書いてみる。 恋人や家族や友達と何か意見交換をしている時、 (多分シチュエーションから判断すると一般的には「言い争い」という場面なんだろうけれどわたしの態度や感覚に「争う」がないため意見交換としか言いようがない流れになるので、こういう

          わたしの「我慢する」

          わたしの「こだわる」

          わたしは、生活の中に「こだわる」ということがあまりない。 これはここにないとだめ。 洗濯ものはこうしないといけない。 家具はこれがいい。 家はこういうものがいい。 ――そういった「こだわり」がない。 たとえば、時々コーヒーをのんびり飲みたいだとか、 わたしのものはここに片付けるとか、 習慣のようなものはもちろんあるけれど、 必ず思ったその通りになければならないものではない。 片づける場所も変えられるし、習慣も変えようと気を付けられる。 強いて言えば 挨拶は元気ににこやか

          わたしの「こだわる」

          わたしの「したい」

          23歳の頃、とあるきっかけで 自分が何者なのか、 何をやってる時自分を許しているのか、 深く深く考えたことがある。 どんな人生にしたいのか。 それを考えるためには わたしが成長過程で思い描いた 叶えられなくて気になっていた「将来の夢」を取っ掛りにするのが わたしには必要だった。 「あの時小学校の先生になりたかったのはどうして?」 「あの時保育園の先生になりたかったのはどうして?」 「あの時お花屋さんになりたかったのはどうして?」 根幹となる想いを、途方もなく考えた。

          わたしの「したい」

          季節限定

          アールグレイティーの紙パックに ストローをさして飲む ヘッドホンで聴く音楽はいつも通り 新しい帰り道を行く 水色の空はうろこ雲を飲み込んで 天気予報はまた外れそうだ 新しい帰り道を行く 手に触れるやわらかいぬくもりは わたしのたからもの わたしの人生がつまったたからもの 心に響く声で 新しい季節もわたしを呼ぶのだろう 思い出は季節限定 一生モノの季節限定 プレイリストは入れ替えられて 予報は当たり外れを繰り返すでしょう わたしという人生の中で何度も何度も アー

          季節限定

          はじめまして、わたし

          ボロボロこぼれる、わたしのこころ キリキリ言う、わたしのおなか はじめまして、大切なひと はじめまして、ほんとのわたし 悲しいはお前ひとりでカタをつけて 幸せをキミと2倍にする そんな夢をみたいと思った はじめまして、大切なひと はじめまして、あたらしいわたし

          はじめまして、わたし

          わたしの「気をつける」

          「ありえない」 幼い頃から使い方を考えている言葉だ。 「有り得ない」という言葉を発する時、 だいたいの人が目の前の出来事や 人から聞いた話に対して感想として 用いていることが多いような印象がある。 わたしは、なんでだろう、と思う。 だって、目の前にある出来事なのに。 だって、誰かには起こった話なのに。 気をつけるようになったきっかけは、 幼少期に自分の「普通」の話をした時に 「ありえなーい!」とお友達から言われたことだ。 ちょっぴり心が苦しかった。

          わたしの「気をつける」

          わたしの「泣く」

          「泣くこと」について考える。 わたしは、幼少の頃から「泣くこと」がうまくできずに苦しく思っていた。 感情表現において「泣くこと」は、わたしがよくする「笑うこと」くらいに大切だと思っていたからだ。 「良い子であらねば」「普通であらねば」という基本思考のせいで、うまくできない、ということが苦しかった。 わたしは、「泣くこと」で心を表現出来る人のことを羨ましく思っていた。人間の自己表現のあるべき姿のように思って、美しいと思っていた。 そして比較するほどに、「わたしはそこま

          わたしの「泣く」

          わたしの「わからない」

          わたしは、「わからないこと」がすごく怖い。 それを解消するために 「ひとりで考えること」と 「人とお話すること」を好んでしているように思う。 なぜこんな書き出しをしているかというと、「ひとりで考えていることって何だろう」と、ただの今、ふと気になって考えて、やっとこの自分について気づいたからだ。 「なんでだろう」を考えることが多い。 「なんでこうなったんだろう」 「なんでこう思ったんだろう」 「何に困ったんだろう」 「何が、すきなんだろう」 例えば、会話の中ですこしだけモ

          わたしの「わからない」

          わたしの「気持ち悪い」

          どろどろと。 自分で驚く程に あの日嫌だったことや あの日苦しかったことを 思い出すことがある。 どうして なにが あんな気持ちを産んだんだっけ? と。 気になってしようがないときがある。 そんな時の自分は決まって 前の日によく寝ていて、 頭がすっきりしていて、 退屈でも眠気がこなくて、 ただ、貧血の時のあの じらじらしたものが目の前を通るのだ。 自分で選んで苦しかったことよりも 唐突に失くしてしまったり 知らないうちに壊れたりしたものにつ

          わたしの「気持ち悪い」

          わたしの「朝」

          雨の音がする。 それで目が覚める。 窓の外は眩んで 壁と同じ色をしているように見える。 昨日の夜を思い出す。 あの灯りを見ながら、 一日を反芻して 目を擦り、あくびをして 友達の話をした。 今きた今日を否定はせずに 昨日に目を向けて それでやっと、今日だと思い知る。 つけっぱなしにしていた灯りを 今にやっと消して今日にする。 少しだけ足を布団から出して 外の空気に慣れる。 これがわたしの朝だ。 これがわたしの今日だ。 じんわりと冷えていく足

          わたしの「朝」

          わたしの「星空」

          わたしは、星空を見るのがすきだ。 どうしてだろう。 とてもとても幼いころ、 わたしは母に、それはそれはありきたりな 「星はどうしてできたの?」 という質問を投げかけた。 鮮明に覚えている。 おうちで一番大きな窓を目の前に わたしは母に抱かれていた。 窓に手を付けて手の跡がついたときに 怒られたことがあったから 手をつけないように気をつけながら、 母も好きな星を、一緒に見ていた。 あの日、母は応えた。 「あれは全部、チリだよ。ごみクズみたいなもん。」 ――かなり、ショッ

          わたしの「星空」

          山登りの頭のなか

          山を見上げる。 つい先日まで黒や茶色の山が 気が付いたら緑色になっている。 わたしは緑色が好きだ。 目が覚めるような新緑はどうしてこんな色で どうしてどんどん濃くなっていくんだろう。 きっと何かいろいろな難しい仕組みがあるんだとしても どうしてそんな仕組みになったのか、 不思議で不思議でたまらない。 険しい細い坂道を歩く。 水をたくさん吸っている山の土は、 人が乗れるほどにかたいのに ちょっとやわらかくて 夢みたいな場所に感じる。 わたしは自分の足音が好きだ。 少

          山登りの頭のなか