わたしの「成る」

わたしには、尊敬している兄がいる。
時に、威厳ある父親で、
時に、一番近い、優しいお兄ちゃんだ。


わたしの兄は
「常に追い込まれている中にいたい」
「何者かに成るためにあがいていたい」
そんなことをいつも言う。


なんでも、研ぎ澄まされた状態でいるためには
平穏や幸せなものから遠ざかっていたいらしい。
いつも忙しさやしんどさの中に飛び込んでいく。


我がため己がためと言わんばかりに
傍若無人な言動をとる人だ。

そう見せかけ、信じさせつつ
家族思いで、我々下の妹弟のために困ったときは助けにきて、
「そんな俺かっこいいだろう!」とあえて言うことで
ちょっと嫌な、鬱陶しい人間を演じる。

「いっぱいやってもらってごめんね、ありがとう」と
我々にあらたまって思われないようにする。
下の妹は、兄のこういう部分を「ザンネンなところ」と語っている。


感謝やお礼みたいな、
まっすぐであたたかい何かを人から受け取るのが苦手で
それでいてみんなのヒーローであろうとする。


本当は気持ちが小さくて
誰かの迷惑になっていたら、嫌われていたら、と考えているくせに
嫌われないことをして、慕われることをして、
面倒くさいことを言い、嫌われることを、言う。


我が兄ながら、とてつもなく面倒な奴だ。と思う。
悲しいかな核心に触れるのが苦手なところは同類ではあるので、
少なからず理解はできるが、わたしの500倍は面倒な奴だ、と思う。
でも、これまでの彼の人生でそのスタンスが全く変わっていないのが
とてもかっこいいな、とも思っている。


兄のことをかっこいいな、と思うけど
わたしには、「そうなりたい」という感覚はない。
どちらかと言うと逆かもしれない。
その違いをお互いにわかっているから、
互いに「理解できない面倒な奴だ」と思いあっているけれど、
否定的な気持ちは全くない。
とても心地よい関係だと思っている。


わたしはそんな兄から、ある意味いい影響を受けたと思う。

わたしにも生きていてじりじりとした焦燥感に駆られていた頃があった。
「何者か」になりたくて、「わたし」に意味を成したくて。
ここにいていい意味や、生きていることを実感できる何かが欲しかった。

今思えば、何者かにはなりたかった、というよりは
「わたし」が何者か知りたかったのかもしれない。

「わたし」が「わたし」を演じている感覚を終わりにしたかった。
「わたし」がわからないのは
常にぎりり、と胃を締め上げられる痛みを抱えているようだった。

もうこんなに痛くて苦しくてしんどいところにいたくなくて
歌ったり書いたりした。

上手になったら、語彙が増えたら、
音域が広がったら、新しい表現ができたら
やっと「わたし」に成れるんじゃないかと。


何をやっても駄目なような気がして
たとえその時目指した程度に上手く纏まっても、
やるせないような、むなしいような、
結局がっかりした感じがして、
まとめて、しんどい、みたいな時期があった。


その頃書いていた詩は
痛いくらいその時の感情がわかる。
日記よりも日記だった。


その頃歌っていた歌は
ちょっと苦しくて、寂しくて
聞いていて胸が動く歌だった。


それは作品として、自分でも素敵だと思った。


今、あの頃より「わたしのかたち」が
形らしく見えるようになってしまったわたしは
そんな詩もそんな歌も体から出すことができない気がする。

それは少しだけ寂しい気もするし
あの頃のわたしと競おうと思うと、
じりじりとしたあの焦燥感や
胃の痛みが戻ってくるような気がする。


でも思う。
わたしは成るようにしてわたしに成っている。
今は、立っている場所もわかっている。


語彙がなくても、行間にわたしを隠すこともできる。
わたしの得手不得手をわかってきている。
だから努力することもできる。
諦めも辛抱も好きに選べることを知っている。
「がむしゃら」をきちんと目的に向けられる。

それはあの頃のわたしにはないものだ。


だからなんだか新しいこともこれからできるようになる気がする。
そんな新しい自分に成っていくのが、わたしは楽しい。
たのしみに思えるのだ。



兄よ、わたしもやはりあなたの言うところの
「何者か」になりたい人間であるように思う。

あなたとの違いは「何者でもないわたし」になりたい
というところだろうか。
「そういうわたしに成れる」を選んで生きたいと思えている
というところだろうか。

あなたは「己が小さくどうしようもないものである」と思っている
ということをわたしは知っている。

知っているけど、わたしにとっては特別で偉大な兄だ。
誰にも代えられない、すばらしい兄である。

と言っても、己に厳しいあなたは、
そんなものではない、と言うのだろう。


わたしのこの真意を全てあなたの耳に届けるのは
今はまだ、難しいだろう。
そもそも
そんな言葉をわたしから求めていないことも、わかっている。


ただ一つだけ、後で伝えようと思うのは
わたしなりの「わたしに成る」をここに見出せたのは
あなたのかっこいい生き様のおかげだと確信しているよ。
こう言われるのは苦手だろうけど、とても、感謝しているよ。


妹として願わくば、
これからも変容しながら、
その中でもきっと変わらないであろう
あなたのかっこいい生き様の中に
すこしでも多くの幸せがありますように。

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