「ショック」と わたし

「いいよ」
「大丈夫」
といいながら
びっくりするくらいに落ち込んでいる、
という感覚はみんながあるものだろうな。

と、思う。

思うから、そのときの気持ちを
ぎゅっと圧縮して
心の中のどこかにしまい込んだりする。

しまい込んだことがどんなだったか忘れても
びっくりするくらいに落ち込んだ
あの時の経験みたいなものは
ずーっと残っているもんで
ある日「よっ」と出てきて
胸が苦しくなる。

こんなことも、みんなあるんだろうな。

と、思う。

だから、そんな大したことでもないことを口にするのは
なんだか気が引けちゃうなあ
と思って、
自分の中の誰にも触られたくない
誰にも見られたくない
この部分のことをどう上手に表現しようかと
考えて思い起こすだけで
泣いてしまいそうになるあの場所に
ポイっと投げて入れておく。

きっとそんなことも、みんなあるんだろうな。

でも、
本当の本当に
心底食らったショックこそ
そういう粗末な扱いをしちゃったりするんだよなあ。

物わかりのいいふりをして。
お利口さんのふりをして。
誰に向かってそうしているんだろうな。

って、自分に意地悪を言う。

わたしにとって大それたことだったって
こんな大事なこと、
どうして言えなくなっちゃうんだろうな。

って、自分が不思議になる。

・・・みたいに思っている人も
たぶん、いっぱいいるんだろうな。

と思うと、
わたしはわたし以外の人の
ショックな話を聞くときに
話の内容はそっちのけで、
なんて勇気のあることができる人なんだろう
って泣きそうになったりする。

わたしは
勇気のあることができるようになりたいのかな
って、思ったりする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?