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柳流水
2022年2月15日 21:00
『物質と記憶』の終盤に差し掛かって、終盤というのは、「要約と結論」という章に入ったからなのだが、今までわからなかったことが、ここへきて全体的視点を得ることができる、あるいは、そこまでいかなくとも、今まで読んできて全く分からなかった点を、何かしら読み換えるヒントのようなものがある、ということに期待をしていたのだが、それは完全に裏切られた。この「要約と結論」においてまとめられていることは、今まで辿って
2022年1月27日 21:00
今回は、別に内容と関わらない、くだらない話である。 ベルクソンの『物質と記憶』という哲学書を、半分まで読み進めたところであるが、こういう、記憶を題材にとった哲学書、またはノンフィクション科学読み物やなんぞというのが定期的に発刊されたりするが、そういうものを読んでいると、おのずと、自分はどういう風に、何かを記憶しているのか、振り返り、たとえば今どれだけのことを思い出すことができるか、記憶力を上
2022年1月26日 21:00
もったいぶらずに、前回の続きの、このベルクソンの『物質と記憶』がさも忘れたかのように振る舞いつつ、そこを乗り越えるために、目指しているといっても過言ではないある一つの哲学とは、ヒュームの観念連合論である。 ヒュームの名前は出さずに、観念連合という彼の概念を名指しし、「観念連合論の間違っている点は……」などと、その理論を新しい枠組みから説明しなおそうという所もあった。 ヒュームの観念連合論は、
2022年1月25日 21:00
実は、半月か、一か月前辺りから、この本を読んでいる。しかし、普段ならほんの少し読み進めたそばから、直感的な感想をガンガン書きつけていくスタイルの僕が、この本については、感想を書きあぐねていた。 前に、同じくベルクソンの『時間と自由』を読んだ。偉そうにいろいろ言っているが、数少ない読み切った哲学書のうちの一冊である。そもそもが本人の持続と意識というテーマを文体にしたかのような、一息が長い文体と、
2021年12月10日 21:00
最後までこの本を読んだ。色々感想はあるが、最後まで読めば、当初思っていたよりいい本だということがわかった。吉村萬壱は、もう80になるのか。あらゆる作家の中でも、努力によって、努力というより、ひたすら書くこと、しかも文章を周りに読ませるためというより、純粋に、手で書く、書くという行為、文章というより文字を書き続ける、紙面を埋める、ということに情熱を傾けることによって、ここまで来た作家なのだというこ
2021年12月7日 23:23
中盤に差し掛かって、俄然面白くなってきた。題名の「哲学の蠅」の意味も明かされた。というか、吉村萬壱はバリバリ哲学に浸っており、ちょっとずつ齧っている、などと言っているがぜんぜんそうは思えない。いや、哲学の全体という、とても踏破しきれそうもない荒野の存在を、少しでも感じたからこそ、そういう言い方をするのかもしれない。前半ほどは、変態だとか、虐待だとか、目を封じたくなるようなことは、なくはないが、少
2021年11月12日 21:00
2とナンバリングしながら、実際に読んでいるのはいまだに井筒俊彦全集の一巻の最初の方である。書き方が難しい。 しかも、今回は一発ネタではないけど、ほんとにふと思ったことで、大したことがない。でも今日は、それしか思わなかったから、それを書くことにする。 全集中の、「ザマフシャリーの倫理観(一)」の最後の方で、こんな部分がある。 今、久しぶりにこの引用機能を使って、今まで手作業で入力していた、