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変わりたいのにいつまで経っても変われない、そんな自分に焦ってしまったら

こんにちは、きのです。

今回の記事は、こんな方におすすめの内容になっています。
・頑張っていないと焦ってしまう
・いつまで経っても変われていない気がしてしまう

読み終わる頃には、「焦り」をすっきり手放せるようになっていますので、ぜひご覧くださいね。

行動できていない間、ソワソワしてしまう?

目標があって、それに向かって進んでいるときって、ただただ幸せですよね。やっとやりたいことができてる!やった~!みたいな気持ちで満たされていますよね。

でも普通に生活をしていたら、他にやらなきゃいけないこと(家事とか)って沢山あるし、お仕事もあれば育児をされている方もいらっしゃいます。

これはまた私の過去の話になるのですが、自分が取り組みたいことに一定時間以上触れられていないと、徐々に徐々に、焦ってくる感覚がありました。

「あ〜やばいな、そろそろやらないといけないのに、できないなあ」
「休んでる場合じゃないのに、なんだか体の調子が良くない、どうしよう」

気が付けばこういう思考になっていて、まさしく「休まるものも休まらない」という状態。これが常になっていました。

24時間しかない1日の中での数時間、7日に2日しかない貴重な休日で使う数時間ではいつもいつも足りないような気がしてしまっていたんですね。(しかもその数時間でやる気を出しきれなかったときのガックリ感は半端ではなかったのです。)

この「焦っている自分からの声」は、自分が頑張りたいと思っているからこそ聞こえてくるもの、だから仕方のないものなんだ、と思い込んでいました。

でもこの焦りの感情を持ち続けていても、決して良いことはありませんでした。いつも何かをしていないと間に合わない気がする、足りない気がする。見えない何かに追われている気がする。

そんな焦燥感は知らず知らずのうちに蓄積してしまい、疲労のもとになりましたし、今考えてみれば、モチベーションの低下にも大きな影響を与えていました。

必要なのは、立ち止まって考えてみることだったのです。

なぜ、焦ってしまうのか?

「わたしはなぜ、いつも焦っているんだろう?」

焦ってしまっているというみなさんは、いま、何に焦っていますか?

当時の私は、「目標があるにも関わらず思うように頑張れない自分、変わりたいと思っているのにいつまでも変われない自分」に焦っていたような気がします。

でも、今こうして毎週noteの更新とstand.fmの収録ができるようになって思うことは、

・なぜ自分を急かしたり、焦る必要が、あったのか?
・行動できない自分を責めて、なにか少しでも良い方向に変わったのか?

ということです。

急かされることが好き、それでモチベーションが上がってくる!そんな人っているんでしょうか?(いらっしゃったら、すみません。笑)

もしそうなら、どんどん急かせばそれで良くなるのでそれでいいと思いますが、大抵の方は違うのではないでしょうか?

ならば、自分を急かす、そして焦る、という行為になにか意味はあるのでしょうか?

焦っても特に良いことはないような気がしませんか。

ではなぜ焦ってしまうのかというと、やはり他者との比較を無意識に行っているのです。

・自分はまだこれもできていないのに、あの人はもうあんなに進んでる…
・目標に辿り着きたかったらこれくらいを目安にと言われているのに、わたしは全然到達できていない…

そんな思いが、自分の焦りを掻き立てます。

焦って自分を過小評価してしまう

さらにこの「焦り」の良くないところは、「自分が頑張った功績を認めにくくする」というところにあります。

こんなの頑張ったうちに入らない!と思い込んでしまったり、小さくとも進んだはずの一歩を認識できなかったりするのです。

そして「自分はいつまで経っても同じところに立ち続けている」という判断を、自分で自分に下してしまうのです。

そんなはずはありません。どんな小さな一歩でも、日々少しずつ踏み出しているはずなのです!

つまり、本当は小さくとも前に進んでいるはずなのに、「変われない、これでは足りない」と思いこんでしまい、さらにその無力感で自分のモチベーションを下げてしまっている、ということになります。

焦っても、いいことは何ひとつない。そうなんです。

だから焦らなくていいんですよ。むしろ焦らないほうがいいです。

焦っている自分に気付いたら、「あ、それ意味ないし、むしろ害だからやめようね」って、是非とも言ってあげてください。

焦らない毎日は、本当に楽ですよ。
焦らなくても、いやむしろ焦らないほうが、行動はできます。

それから、できたことを着実に数える習慣をつけましょう。
どんなにくだらないことでもいいんですよ。

noteを書くことが目標なのだとしたら、
「結局書けなかったけど、noteのアプリを開いた」
「PCをテーブルに持って来て開いた」
「書くために立ち上がった」

本当にそんなレベルでもいいんです。
それだって、しなければ始められないのですから。

記事を書き上げるという、ものすごく労力がかかることを「始められた」だけでも、本当にえらいんです。

行動の種を少しでも蒔いた自分を本気で認めること、褒めること。
そこからすべては始まります!

うまく休むことができない…という方には、こちらの記事もお勧めですので、ぜひご覧ください。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

ラジオの配信も行っていますので、もしよければ遊びにいらしてくださいね📻


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