私は恋愛感情を"持たない"のではなく"持ちにくい"だけなのだと思う

昨日はデートってなんぞやと思う私の話をしたので、今日は恋愛ってなんぞやと思う私の話をしていくよーう。

中高生の頃から、恋愛体質の子と私はホルモンか何か生物学的レベルで根本的に異なるといった旨の学術的調査をして論文を出してほしいと思っていた。私に欠陥があるのではなく単純に彼ら彼女らと私はもう異なる人種なんだと研究して数値かなんかで証明してくれと。

好きな人が滅多にできなく、彼氏も当然いない私は、至極当たり前のように、どんどん恋バナに入っていけなくなり、話を振られることも無くなった。恋愛絡みの質問をされても経験がないのだから答えられないし、そもそもどう思う?と聞かれてもどうも思わないのだから返しようがない。自分の持ちネタがないので、人の話を聞いたところで逆に聞いてほしい話はないし、興味もないし、いくら友達といえども他人の恋愛事情を知っても何の得にもならない(そもそも恋バナは損得勘定とは無縁のものなのか?)。中高生の間はクラスの(時に少し妬みと悪意のこもった)ゴシップネタ程度にはなるのかもだが、(情報通であることって少し大事じゃない?クラスの中では)、大学生にもなれば、友達の彼氏が自分の知人であることなんてそうないので、さらにどうでもよくなる。そんな話を全くしないので恋人がいないと思っていた友達に実は何年も付き合ってる相手がいたり、友達が数か月付き合って別れてを私と知り合った間に何回も繰り返していたりしたことを、後になってふとした拍子に知ることがたまにある。自分でもこんなにも気づかないものかとびっくりする。

ちなみに、私自身、別にここまで恋愛感情を持ちにくいことが変だとも今さら特に感じていないし、少々は焦りやなぜだァァァといった感情はあったものの10代の頃も別にそれほど何とも思っていなかった。だからといって恋愛感情持たないアロマンティックだとも自認していない。恋愛感情を持たないんじゃなくて、持ちにくいだけだと思う。そもそも持ちやすい持ちにくいは何かの基準があってはじめて成り立つ程度の感覚だが、21年間で好きな人が一人いるかいないかくらいは少ないほうなのだろうか。普通の公立の共学学校に進んだ場合、20年間で人を好きになる回数の平均ってどれほどなんだろう。

まぁとにもかくにも、そもそもあまり他人を信用していないというか期待しても無駄と思ってる節があったり、複数のことに色んな割合でエネルギーを割くことが苦手で自分以外の他人にエネルギーや集中を割く余裕が常にない状態だとか、そういったことが重なって単純に恋愛というもののハードルが自分の中でかなり高くなってしまってるのだと思う。まぁ10代の恋愛は余裕があるからするもんなんじゃなくて勝手に落ちてるものなんだと言われそうだが。こういった私の思考回路がそもそも恋愛とは程遠いのだろう。中高で彼氏ができず、大学ももう一度も恋愛せずに終わりに差し掛かっているのだから、これから年を取れば取るほど、更にハードルが上がってしまいそうだ。20を超えてしまうと、彼氏ができたことがない旨を皆に知られたときに、じゃあそっちの経験もないってこと、、、?と、どうでもいい他人に性行為の経験の有無を聞かれることが増える。誰かこの一連の流れのうまい対処法を教えてくれ〜。というかそもそも聞いてくんな。まぁ酔っ払ったその脳みそで勝手にいいように想像を膨らまされても困るが。

私も一応、並の女子大生なみに、息を吐くように彼氏がほしいと言ったりとする。一応。しかし、「本当に欲しいと思ってる?全然そんな感じしないんだけど」とツッコまれてしまうと、どうなんだろう〜と流すしかいつもできない。全く欲しくない1ミリも興味ないといったわけではないのだが、めっちゃ欲しいわけでもない。なんなら、多分ほしいと思ってない。突き詰めると本当はほしいと思っていないからこそ、その事実に薄々気づいてしまってるからこそ、とりあえず息を吐くように彼氏がほしいとつぶやくのだ。息を吐くときは息を吐きたいと思っていないし、息のはき方なんていちいち考えながら動作しない。当たり前のようにするだけだ。多分私の彼氏がほしいというその一言も"そんな感じ"なのだ。そして、私自身、薄々気づいておきながらも、彼氏をほしいと大して思っていない自分と向き合いたくないというか、とりあえず隠しておきたいのだと思う。別にほしいと思ってないのではなく、恋人がいることでの幸せみたいなものやその感覚その生活を人並みに経験はしてみたいとは思っているけれども(だって多くの人が経験することじゃん)、それよりは一人でいるいまの21年間慣れ親しんできたこのリズムを崩したくないだけなのだと思う。恋人や恋愛と聞いてしあわせるんるん♪や相手がいることでの享受できるものを思い浮かべるというよりも、今の生活を脅かすものとしての他人だったり、不毛なものというイメージの方が私の中ではどうしても強い。

でもどこか、きっとどこかで、同年代が普通に経験しているもの普通に経験してこなかったことに劣等感というか、なんで自分はそんなこともできないのだといった感覚がある。たぶん。でもそもそも、恋愛なんてしなくてもしてもどっちでもいいものだし、恋人がいなくても私は楽しく生きている。恋愛したい好きな人がほしいといった欲求は、別に本能レベルのものでも根源的欲求でもなんでもなくて、90%は社会によって作られた欲望だと思う(今度この私の考え方についてもっと深く語りたいぞ)。だから、その作られたある種規範としての欲望を持ち得てないからと言って悩むのはばからしいし、恋人がほしいと"思わされている”というその側面が確実に存在すると思っているので、そこに従う必要はないと思う。よって、社会のせいで私が劣等感を感じているその事実に腹が立って、恋愛至上主義なんてクソ喰らえと思うし、一方、そんなものに影響されてる自分の弱さに自己嫌悪にも落ちる。社会に対する憤りと自己嫌悪がうずまいて両者一歩も引かない上、やはり何においてもみんなができるように自分はできないという感覚が自分には根強くあり、その劣等感から逃げられないので、私は恋人を大して欲しいと思っていない自分と向き合いたくないし、向き合うとかそんなシチュエーション自体、世の中に恋愛至上主義が蔓延していない限り起こり得なかったかもしれないので、必要性を感じなかったりとする。とにかくいろんな思いが交差してしまうし、その状況は本来いらない作られたものでもあるので、ひとまず隠しておくのだ。

なんだか長くなりすぎたのでひとまずここで切り上げます。本日もこんなグダグダ話にお付き合いただきありがとうございました!(恋人ほしいと思ったところでお前ごときができっこないってツッコミは心の奥にしまってね)

私なんぞにご支援いただける方がこの地球上におりましたら、もう控えめに言ってあげみざわエクスプローションします。