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他人の頭の中をタダで見れると思うなよ

2020/03/24

この日は朝からバイトがあったのだが、バイト後に済ませたひと用事が、とにかく心をざっくざくに切り裂いては、思い出すたびに身体の末端からぞわぞわと嫌悪感や吐き気を呼び起こしてくるもんだから、体はいつもの商店街の中にあるものの、心ここにあらずといった感じで、一人で感傷に浸りながらぼちぼち駅に向かって歩いていた。

しばらくすると次は、形容しがたいむしゃくしゃした感情が沸き上がってきて、イライラしすぎて気づくと一人で王将の餃子のカウンター席に座っていた。やけ食いというやつだ(笑)

ラーメンにミニから揚げとミニ天津飯がついたトリプルセットに加えて餃子一人前を勢いよく食い散らかした。

おなかは十分すぎるほど満たされたけど、案の定、心は一ミリも満たされず空虚なままだ。全身からくる気持ち悪さといらいらがおさまらなくて、この身体で家族のいる家に帰れる気がしなくて、ひとまず本屋さんに立ち寄った。

ちょうど話題の新刊のトップに同じ大学の方が出版されたエッセイ本を発見。

普段は割と本屋で立ち読みをしてしまうことが多いのだが、さすがに今回は読み始めて10分弱、「他人の人生をタダで消費していいわけがない」といつもはネットで中古本ばかり購入している私も、そそくさとレジへ急ぎ足で向かった。

ものすごく当たり前のことなのだが、とてつもない量の労力をかけられて作られた1つの作品を、2時間弱のバイト代で買えてしまうなんて、この上ないありがたいことであり、いつも書籍代をケチってしまう自分を猛省した。

知識や情報、人生、経験等、一人の人間の持つのありとあらゆるものが詰まっているのだから、作者の身からでたものを言葉という万人に伝わる形に翻訳していて世に放出してくれているのだから、しっかりとその対価としてお金が作者に入るように、図書館や古本屋さんも安くて便利だけど、気に入った本は読んだことがあっても本屋やネットで新品を購入するよう心がけようと思った。

ワニ騒動にしろ、ネット上に無料コンテンツが溢れかえりすぎていて、人の創作物をタダで消費することに私たちはあまりにも慣れすぎている。

かつては、知らない情報を手に入れたいのなら、知識のある人のところや図書館へと足を運んだり、絵画を見たいのであれば入館料を払って美術館に行ったり、映画が見たければ隣町にある映画館まで行かなければいけなかったり。

しかし、今となっては、ボタン一つでインターネットの世界には、全てを見切れないほどの量のコンテンツが溢れかえっている。あまりにも他人が作った作品へのアクセスが容易すぎるのだ。

中には、ただ無料で消費するだけに終わらず、彼らは被評価者なのだから自分が評価してあげているのだと言わんばかりに、無差別攻撃、集団リンチをする輩が平然とネットの世界で息をしている。

本来、他人の作品に対価を払わずに触れていいわけないのだ。アーティストやクリエイターたちは、時間をかけて自分が習得したものや、経験、考えを、他人にも伝わるようにと、言葉や絵、動画、様々な表現方法を使って、一つに創作物へと多大な労力をかけて変換させている。

彼らの作品をただ閲覧して、こちらからは何もギブすることなく、回れ右をする行為はあまりにも無礼だし、いくら作者が代金をつけて売っていなかったとしても、時間やお金、身を削って築き上げられた他人の創作物を対価を払わずに消費することは「搾取」であると言っても過言ではない。

人の作品までのアクセスがイージーすぎるのがデフォな時代。スマホネイティブ世代からすると、スマホからネットの世界の扉を開けるだけで、コストゼロで他人の脳内をのぞき見できるのは当たり前の事になっている。それが搾取だと誰も認識していない。

無名の時代はネットで有名になるために無料で自分の漫画を好感していた漫画家が、デビューが決まって今までの作品を書籍化して売ることは、何も世間の反感をかうような行いではない。そもそも、無料で他人の作品を見れる状態というのが異常なのだ。

とはいえ、自分が触れたありとあらゆるものにお金という対価を払っていくわけにもいかないので、挑発的なタイトルをつけてしまいましたが、私自身も、ネットで他人の創作物に触れる際にはそういった側面もあるということを忘れずに、節度をもって、他人の作品に触れ、何らかの形でそのお返しをできたらなと思います。

私は、頼まれてもいないのに、自分から自分の頭の中を勝手に晒していってるだけですが、本日も読んで頂きありがとうございます。自分の脳内を他人の目に触れさせてしまうことが公害となっていないか心配ですが、引き続き宜しくお願い致します。

私なんぞにご支援いただける方がこの地球上におりましたら、もう控えめに言ってあげみざわエクスプローションします。