妻が死にました。

※だんだんと前向きになれている今、同じ自死遺族の方々に読んでいただきたいと思いnoteを始めます。死にまつわる表現がでてきますので、ココロがきつい時はムリをせず。

ぼくは自死遺族です。妻がいなくなったあの瞬間から時間がたって、少しずつ人間らしい感覚、感情が戻ってきている気がしています。自死だけでなく、事故や病気で家族や大切な方を失ってしまった方々へ。あなたはひとりじゃない。そんな事を伝えたくて、当時なにが起こったのか、どんな感情だったのか、どうやって前向きな気持ちを増やしていったのかを書いておきたくなりました。

本当の後悔

イヤな予感はしていた。その予感にせっつかれながら、ぼくは少し小走りに、家に向かって急いでいた。

普段だったらすぐに既読のつくLINEがその日は夜までずっと未読のままだった。夜に仕事をしている妻が日中うたた寝を楽しんでなかなか既読がつかないこともたまにはあったけれど、それにしても昼前に送ったLINEが20時を過ぎても未読のまま、というのは思い出すのが難しい。

18時頃に電話をしてみた。呼び出し音が鳴り続け、妻の元気のいい声がスマホから流れてくることはなかった。気にはなるがそれでもぼくは、家に帰れば「ごめん、寝ちゃってた」と目をこすりながらはにかむ妻を思い浮かべながら仕事を片づけていた。

今思えば、あの時すぐに仕事を切り上げて帰宅していれば本当にそんな妻に会えたのかも知れない。今思えば、あの日の朝、少し様子のおかしかった妻に気が付いて会社を休んでいればよかったのかも知れない。今思えば。どうしてあの時。ぼくが悪かったのか。なんで気が付かなかった。

後悔という感情がこれほど自分の身体と心をザクザクと切り刻むとは、想像もしていなかった。これまでしてきた後悔なんてハナクソみたいなものだ。

夜のマンションでぼくは妻の冷たくなった身体を抱きかかえながら、力の限り絶叫していた。のどがつぶれ、かすれ声しか出なくなっても、ぼくは妻の名前を叫び続け、身体をゆすり、抱きしめていた。色白の妻の顔はさらに白さを増し、とてもキレイな深い青みさえ浮かべていた。妻はとても冷たかった。

5年前

5年ほど前のあの日。この日を境に、ぼくの人生はいったんストップすることになる。当時の記憶はぼやけている。脳に霧がかかったような状態というのは小説や体験記でよく見る表現だが、自分自身に霧がかかると、本当によくできた表現だと思う。記憶力には自信がある方だったが、本当に思い出せない部分が多く、もどかしい。歯がゆい。

既読のつかないLINEにいぶかしさを感じながら、それでもコンビニで妻に簡単なお土産を買い、小走りに少し汗ばみながら帰宅した。マンションの1階にあるぼくたちの部屋は、カーテンを閉めていても部屋の明かりが漏れ、外からでも誰かがいるのはすぐにわかる。エントランスを通る際に感じた違和感は、いつも視界に入ってくる部屋の明かりの漏れを感じられなかったからかも知れない。

鍵を開け、扉を開いた瞬間の闇の深さはよく憶えている。真っ暗だった。人の気配もない。妻の名前を呼びながら廊下の電気をつける。返事はない。そのままリビングに進む。

足が目に入った。横たわっている、妻の足。

そこから先の記憶が本当に曖昧なんだ。妻の名前を叫びながら、何が起こっているのか理解できないまま、横たわっている身体に駆け寄っていったんだと思う。

リビングのドアは半開きになっていて、そのドアノブには短かいコードがかかっていた。そのコードの先には、うつ伏せの態勢で、でも上半身は少し浮いた状態で、妻の細い首がかかっていた。妻の身体をコードから外し、床に横たえる。息をしていない。目を開かない。心臓に耳を当てるが何も聞こえない。あふれ出る涙で視界はぼやけ、自分が何を叫んだのかもわからないままとにかく心臓を押す。反応がない。いや。正確にいえばほんの少し声を出してくれた。背筋が凍りつく中で聞いたその声の、ほんのわずかな希望にすがりながら名前を叫び続ける。ぼくが聞いた声は、身体の体勢が変わって食道から漏れた息の塊の音だった。

相変わらず反応がない。それでもぼくは妻の名前を叫び、心臓を押し続けていた。



※まだまだ思い出すのがつらいタイミングもあるので、更新は不定期になると思います。2日ごとくらいに更新していければと思います。

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