ぽて

5年ほど前に、妻が自死しました。 なにもできなくなって抜け殻みたいになったぼくが、だ…

ぽて

5年ほど前に、妻が自死しました。 なにもできなくなって抜け殻みたいになったぼくが、だんだんと人間らしさを取り戻していく経過を書いていきます。 おなじ自死遺族となってしまった方々の、ほんの小さなチカラになれたら。

最近の記事

ムダ予想 妻が死にました。(16)

気をまぎらわすことは、悲しみを癒していく過程でかなり重要なウェイトを占めていると思う。それは自分が今まで好きなことであったり、疑問に思ったことを解決しようとする動きであったり。 とにかく沈んでいくばかりの気持ちを他の方向に向けることで、ただただ悲しむだけの意識が少しずつではあるが変わっていくのだ。ぼくの場合は無意識の暴食を何とかしようと考える事だった。今思うと些細でくだらない思考ではあるが、そんな事すらきっかけの一つになるくらい、それまではひたすら悲しんでいるだけの、何もな

    • 暴食対策 妻が死にました。(15)

      1か月経ち、再び病院に来ていた。まず先生はこの1か月どのように過ごしていたのかを聞いてくる。気分の落ち込み方や抑揚、体調など。食欲や睡眠リズム、それに外部の刺激に対する感想なども聞いてくれた。 一回目の診療で先生に対する抵抗がほとんどなくなったぼくは、先生のいいつけをしっかりと守っていた。出来るだけ栄養のある食事をこころがけ、睡眠のリズムを整える。とはいえ眠かったらそのまま眠ってしまうこと。妻のことを思い出し泣きたい気分になった時はムリをせず思いのまま泣いてしまうこと。音や

      • 暴食 妻が死にました。(14)

        薬を飲み始めて1か月ほど経った頃、ぼくはまた新たな自分に気が付いた。 薬が効いて意識や記憶が軽くとんでいる時間帯に、どうやら暴食をしているようなのだ。朝起きると机の上にジャンボモナカの空き袋が5つ転がっていたり、普段は10粒程度で食べるのをやめるピスタチオの殻が200粒分くらい散らかっていたり。 飲んですぐに薬の効果がでて眠りにつけるように2時間ほど前から何も食べずにいることで空腹を少し感じ始めた状態で、薬が効いてくると感情の抑制が効かずに食欲のまま目の前にあるものを食べ

        • 薬との付き合い方 妻が死にました。(13)

          飲みつけていない薬を飲むことには正直抵抗があったので、薬なしで寝ようと試みたこともあるのだけれど、4時間ほど寝付けずにベッドでごろごろするはめになり諦めた。今の身体と心の状況では、薬なしで眠るのは難しい事を再確認しただけだった。 抗うつ剤と睡眠導入剤はよく効いた。感覚としては、30分もたたずに眠りにつくことができた。一か月ほどこの生活を続け、だんだんと薬との付き合い方がわかってきた。 まず、おなかが満たされている状態では薬の効きが悪い。胃袋にたまっている食べ物が薬の消化を

        ムダ予想 妻が死にました。(16)

          料理ができない 妻が死にました。(12)

          初めて抗うつ剤を飲んだ次の日、なんとなく今の自分の状況を整理してみた。葬儀が終わり、役所への必要な手続きをなんとか終わらせていたものの、妻の仏壇や納骨の手配は全く手つかずだった。ぼくの実家のお墓は福岡にある。東京から福岡まで納骨に行かなければならないが、お墓参りがしづらくなるという事で、妻の母親と少しもめていた。 結局は福岡に納骨することになったのだが、気力も何もないぼくがその交渉をすることはできず、父が矢面に立ち、妻の母親と弟との話をまとめてくれていた。ありがたかった。妻

          料理ができない 妻が死にました。(12)

          初めての抗うつ剤 妻が死にました。(11)

          帰りの方向のホームで電車を待っていたときに、それは起きた。薬を飲んでから30分も経っていない。視界が派手に45度ほど回転し、足元がフラついた。立っていられない。慌てて近くの柱によりかかる。身体が重い。コントロールが効かない。横に回転していた視界が、前後にも揺れだす。倒れそうになるのをこらえながら、なんとかゆっくりとホームにへたり込む。頭や身体を打たないですんだ。 2メートルほど先にベンチがあった。ぼくは四つん這いになりながらベンチに這いより、重い身体を持ち上げて座り込んだ。

          初めての抗うつ剤 妻が死にました。(11)

          治療開始 妻が死にました。(10)

          うつ病の治療は「コレが効く」というものがない。発症原因や症状、状況が患者さんごとに千差万別であることに加え、治っていくにあたってたどるプロセスもそれぞれ違いがあるからだ。ただ、共通していることは「とにかくやすむ」こと。 ぼくの場合はまずしっかりと睡眠をとることを指示された。もともとは非常に寝つきがよく、電車の中や車の助手席ではすぐに気持ちよく眠っていたのだが、妻が亡くなって以来、体力がなくなって自然に意識を失うまで寝ることは出来なかった。 それもまたうつ病の症状の一つです

          治療開始 妻が死にました。(10)

          診断結果ーうつ病 妻が死にました。(9)

          ぼくの家から1時間半ほど電車を乗り継ぎ、かなり広い敷地の医療施設にたどり着いた。入院を含め精神的な治療を受ける患者さんたちを大勢受け入れているようだ。 従妹が診察予約と同時に先生にあらかじめぼくの状況を話しておいてくれたようで、受付ではごくごく簡単な問診票への記載だけですんだ。自分の名前や住所さえしっかりと書けない状態だったので、これもすごくありがたかった。 診察は完全に予約制で、それに加え待合室は個室になっており、他の患者さんと顔を合わせることなく受診できるシステムだっ

          診断結果ーうつ病 妻が死にました。(9)

          決心 妻が死にました。(8)

          雀荘で過ごした日々、多くの客たちと一緒に卓を囲んだけれど、ほとんど話はしていなかった。人とまともに話すことができない。音や光の刺激がきつい。文字を読んでも、頭の中で意味を成さない。文字を書くこともほぼ完全に無くなっていたので、ペンを持つのも辛かった。手がうまく動かせない上に、漢字が思い出せない。力の入れ方が曖昧なので、まさにみみずののたくっているようなひどい文字しか書けなくなっていた。 たまに家に帰り一人になると、激しい気持ちの高ぶりに襲われ、泣きわめき、床をたたいた。身体

          決心 妻が死にました。(8)

          雀荘での暮らし 妻が死にました。(7)

          葬儀後、ぼくは退職した。社長は何日でも休んでいい、働ける状態になったら連絡をくれと言ってくれていた。とてもありがたい言葉だったが、いつまでたっても働ける状態になるとは思えなかった。会社から預かっている社員証や携帯、保険証をひとまとめにして、お詫びの手紙や退職届と一緒に社長宛に送った。この頃には精神状態がかなりひどくなってきており、社長や人事に直接会ってお詫びして、退職のお願いをするなんてことはとてもできなかった。 自暴自棄にもなっていた。お金が無くなってももうどうでもいい。

          雀荘での暮らし 妻が死にました。(7)

          葬儀 妻が死にました。(6)

          妻が亡くなって何日かした後、実家で葬儀の打ち合わせをした。ぼくは他人と話せる状態ではなかったので、父が葬儀屋を探し、簡単な打ち合わせを済ませておいてくれた。いくつかの確認をし、葬儀屋に遺体の引き渡しスケジュールを告げる。金額は正確には憶えていないけれど、思っていたよりも安いんだな、と印象を持った。 警察から検視の結果報告が来ていた。縊死。やはり妻は自死していた。自死の兆候が生活からは全く見られなかったことから、精神的な落ち込みから衝動的に行動に移してしまったのでは、というこ

          葬儀 妻が死にました。(6)

          次の日 妻が死にました。(5)

          一人で帰宅し、リビングに明かりをつけた。今夜起こったことを最初から思い出そうとした。帰宅すると真っ暗だった家の中。倒れていた妻の足をみた衝撃。病院での心臓マッサージ。警察での事情聴取。妻の母親からの罵倒。土下座。改めてリビングを見回す。妻のいない家。 わからない。心当たりがあるとすれば独立を考えている事、そこから先の不安だったが、自死を選ぶほどのことなのか。なんで妻が死ななければならなかったのか、ぼくは知りたかった。 妻のいない部屋で、ぼくは必死に妻の痕跡を探した。まだ生

          次の日 妻が死にました。(5)

          土下座 妻が死にました。(4)

          バタバタと空気が動く気配があり、ぼくは鋭い声で名前を呼ばれ顔を上げた。顔面蒼白の妻の母親が立っていた。ぼくにつかみかからんばかりの勢いで何があったか問い詰めてくる母親に、妻を見つけてから今までの事を説明しながら、ぼくは土下座をしていた。 泣きながらかすれた声でお詫びの言葉を繰り返しながら、頭を床にこすりつけ、うちつけ、もうどうしようもない現実のつらさを少しでもやわらげたくて、土下座をしていた。妻の母親と一緒に来ていた弟が泣き崩れていく母親の肩を支えていると、先程ぼくに話を聞

          土下座 妻が死にました。(4)

          警察署 妻が死にました(3)

          ※だんだんと前向きになれている今、同じ自死遺族の方々に読んでいただきたいと思いnoteを始めます。死にまつわる表現がでてきますので、ココロがきつい時はムリをせず。 警察署妻と自分の身に起こったことはまだ理解できていなかった。それでも、両親と妻の母親に電話しなくては、と気が付く。妻の父親は早くに亡くなっている。もう夜もふけ始めていた時間ではあったが、父はすぐに電話に出た。これまでの話を伝えると、また涙が止まらなくなっていた。父の動揺はすさまじかったが、それをおもんぱかることは

          警察署 妻が死にました(3)

          救急病院 妻が死にました。(2)

          ※だんだんと前向きになれている今、同じ自死遺族の方々に読んでいただきたいと思いnoteを始めます。死にまつわる表現がでてきますので、ココロがきつい時はムリをせず。 救急病院気がつけば家の中は到着した救急隊で騒然としていた。いつの間に救急通報したのか憶えていない。ぼくを妻から引きはがした救急隊員が、ストレッチャーの上に乗せられた妻に力強く心臓マッサージを施していく。無線ががなり声をあげているけれど、ぼくの頭の中では意味を形作れなかった。あわただしく救急車に連れていかれるストレ

          救急病院 妻が死にました。(2)

          妻が死にました。

          ※だんだんと前向きになれている今、同じ自死遺族の方々に読んでいただきたいと思いnoteを始めます。死にまつわる表現がでてきますので、ココロがきつい時はムリをせず。 ぼくは自死遺族です。妻がいなくなったあの瞬間から時間がたって、少しずつ人間らしい感覚、感情が戻ってきている気がしています。自死だけでなく、事故や病気で家族や大切な方を失ってしまった方々へ。あなたはひとりじゃない。そんな事を伝えたくて、当時なにが起こったのか、どんな感情だったのか、どうやって前向きな気持ちを増やして

          妻が死にました。