料理ができない 妻が死にました。(12)

初めて抗うつ剤を飲んだ次の日、なんとなく今の自分の状況を整理してみた。葬儀が終わり、役所への必要な手続きをなんとか終わらせていたものの、妻の仏壇や納骨の手配は全く手つかずだった。ぼくの実家のお墓は福岡にある。東京から福岡まで納骨に行かなければならないが、お墓参りがしづらくなるという事で、妻の母親と少しもめていた。

結局は福岡に納骨することになったのだが、気力も何もないぼくがその交渉をすることはできず、父が矢面に立ち、妻の母親と弟との話をまとめてくれていた。ありがたかった。妻の遺骨はリビングに置いたままだったし、早く落ち着かせてあげたかった。

すぐに納骨に行ける訳ではないけれど、行き先が決まらないままなのはかわいそうだったので、お墓が決まって少しホッとした。遺骨が家から離れてしまうのは、妻と離れてしまう気がしてイヤだったのだけれど。

近所の葬儀品屋さんに戒名を刻んだ位牌を発注していたのを思い出した。完成予定日からしばらく経っている。気が付いたことは終わらせておかないと、すぐにまた忘れてしまうかも知れない。

この頃は時間の感覚がおかしくなっていた自覚はあったのだが、その他にも短期間の記憶がぼんやりとしてしまう短期記憶欠如の症状も出ていた。これもうつ病の症状。例えばドラマを観ると、確実に観たはずの前回のストーリーをほとんど憶えていなかったりする。何とか見逃し再生動画を探し出し、記憶から消えている回を観てみると、部分部分を思いだしてくる。やはり、観ているのにそのことすら忘れている。

忘れないうちに位牌を取りに行き、お線香をあげられるよう簡単なセットも手に入れた。綺麗な位牌だった。仏壇はまだそろえる気にならなかったので、リビングに位牌と遺骨、遺影を配置してお線香をあげた。妻に話しかけ、また泣いた。

位牌を設置したあとはやらなければいけないことも差し当たってはないので、先生の言う通りしっかり休むことを心がけようと思った。毎日12時前にはベッドに入り、食事も2回、できれば3回、栄養のあるものを摂る。

ぼくは料理が好きだったので、自分で自炊して野菜をいっぱい摂ろうと思っていた。材料を買い込み、キッチンに立ってみると、ぼくは包丁を持つこともできなかった。鍋を火にかけることもできない。ぼくが好きだったのは料理ではなく、ぼくの料理を美味しそうに食べる妻の顔だったことに気が付いた。

妻がいない今、料理をする意味が全くない事に、キッチンに立てないことでぼくの身体が教えてくれていた。それでも栄養のある食事を摂りたくて、ウーバーイーツやコンビニではなく近所の定食屋に通うようになった。

妻とも何度も食事にいっていた店だったので最初は抵抗があったのだが、手ごろな価格で魚や野菜をしっかりと食べられるのでありがたかった。女将さんは一人で店に来るようになったぼくを見ても何も聞いてこなかった。人と話すことがまだまだ辛い時期だったので、それもまたありがたいと思った。


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